読売新聞の2022年12月26日の記事「お台場」なぜ3区にまたがっている?の記事を非常に興味深く読みました。
ペリー率いる巨大な軍艦「黒船」来航し、日本に開港を迫ったとき、慌てた幕府が取り掛かったのが、海防の強化だったそうです。
海を埋め立て砲台を設けたのが、今のお台場のあたりで、8基の台場が作られ、そこを将軍を示す「御」をつけて「御台場」と呼んだのだそうです。
使われることはなかったわけですが、
品川区立品川歴史館学芸員の冨川武史さんは、こんなことを言っています。
「日本を植民地にしようとする西洋列強との直接対決を避ける『防波堤』の役割を果たした」
明治政府は、西洋が隙あらば日本を植民地にしようとしていた、という緊張感の中にいた、と思うと歴史の違った面が見えてきます。