「おそるべき親たち」

2014-03-29 23:04:23 | 舞台
いや~、おそるべき大人達のエゴ丸出しの世界に酔いしれました!

念願のtpt公演!実際はtptとは違うけど、演出家の熊林さんの作品は未見でしたが、tptの演出家さんであることだけは存じていたので、tpt公演と言っても間違いではないと思ってます。

関西に住んでいると、tpt作品を生で観る機会なんて皆無だったし、今はもうベニサン・ピットの芝居小屋もないから、tptの魂を受け継いだ方や触れた方の作品を観ることが念願でした。私にとってはベニサン・ピットは演劇の聖地だと思うくらい上演される演目がコアーで魅力的で1度は行きたかったんですよね…。

注)tptは現在も存続してます。わたくしが言いたいのは、デヴィッド・ルヴォー氏が演出していた時代や、ベニサン・ピットで公演していた時代のことなので悪しからず。

しかも、これも念願だった佐藤オリエさんの演技、tptの常連さんだったオリエさんの演技を生で観ることも夢でした。テレビの舞台中継でしかオリエさんの演技は観たことはないんですが、オリエさんの、しのぶさんやとんちゃんとはまた違う狂気の演技に魅了されて以来、オリエさんの生の舞台を観ることが本当に夢でした。


で、実は、この作品、2010年の初演の際、観劇の予定でチケット買ってました。結局は東京に行けずで空席にしてしまいましたが、まさか再演されるとは思ってなかったので、今日のまさかの初演キャストによる再演を大阪で観ることが出来て、それだけでもうめちゃくちゃ嬉しかったし、企画制作主催者様には本当に感謝してます!

ということで、私のどうでもいい前振りはさておき、

ジャン・コクトーのこの戯曲は持っているので、ストーリーは知ってましたが、キャストがマジ魅力的!tptの常連のオリエさんを筆頭に、同じく常連(と思われる)の麻実れいさん、そしてもう一人の狂気女優の中嶋朋子さん、最高の組み合わせです。今でこそ魅力的ですが、2010年の時は存じ上げてなかった中嶋しゅうさんと満島君。もう完璧なキャスティング!

この五名が醜悪な作品とコラボするなんて演劇ファンの私にとってはもう奇跡中の奇跡です!

昨日の続きじゃないですが、美術がまた素晴らしい!作品に潜む人間の滑稽さや醜悪さを引き立てるシンプルかつスタイリッシュな美術で、tptの香りがプンプンしていてとても魅力的でした。

恋愛の三角関係ならぬ五角関係。魔のトライアングルならぬ魔のペンタゴン(五角形)。

登場人物の精神を色で例えたかのように、純粋な白と腹黒い黒の二色使いがとても印象的でした。

そう、純粋な心はいつも大人の身勝手なエゴで汚されるんですよね…。そのピュアさと腹黒さをこの二色で表現されてるとこがあって、人間のピュアな部分と邪悪な部分が見事に浮き彫りにされてました。

人間って、本当、無意識に人を傷つけ、無意識に人に依存しているんよね。無意識だからホント本人は気付いてないから質が悪い。あ、このBlogでも、思ったことをストレートに書いているので傷付いている人はかなり多いとは思います。これが私流なので許し願います。もし、何か、私の心を動かす何かに遭遇したらまたスタイルも変わると思います。

この作品には、人間の無意識、エゴ、依存、道徳、嫉妬、裏切り、歪んだ自己犠牲などなど、人間の醜い部分を浮き彫りにしていて、それが登場人物5人で見事に表現されている本当傑作だと思う。見事な五角関係だと思う。ホンマ最低な人間だらけ。でもそれが面白味でもあるので、最低な内容なんだけど、何故か笑えたりする。ぶっちゃけ書くと、チェーホフの「かもめ」よりこっちのほうが悲劇だけど喜劇だと思う。

登場人物が個性的で狂っていて、それを狂気女優&男優さんが演じるとよりリアリティーが出て面白くなるので、中途半端じゃないマジの演技、素晴らしい狂気沙汰に感動してます。

それから、熊林さんの演出で面白いのが、シーンに登場しない人物が、まるで裏シーンのように登場させているとこ。劇場自体がプロセミアムアーチなのに、さらにプロセミアムアーチを舞台上に作って、脚本の外の部分を表現しているのが素晴らしかった。脚本上登場しない人物が客観的に登場人物のシーンを見たり、またはエッチしたり、寝ていたりするんですよ。面白い演出でした。

そこで一際輝いていたのが、オリエさんの視線!メインでは母と息子の近親相姦しているシーンを椅子に座ってジーッと見てるんですよ。不気味ったらありゃしない(笑)でも私達観客と同じなんですよね…。ぶっちゃけ、近親相姦よりオリエさんの目線に釘付けでした(笑)本当、面白い演出でした。

登場人物のあり得ないけどあり得そうな狂気沙汰。演技面では各々の狂気の演技が超魅力的でした。

今回のオリエさんの役はクールで腹黒い叔母のレオ役なんですが、本当に最低な役で、冷静を装ってとんでもなく腹黒い。勘違いの自己犠牲を象徴するかのような人物で妹の夫を愛しているんですよ。その愛し方が勘違い。一緒に住むなよ!と言いたいんだけど、でもこのレオがいないと家はゴミ屋敷になってる役どころなんですよね…。微妙な人間関係の繋がりがこの作品の魅力ですね。

そう、作品を知っている人なら誰もが思ったと思いますが、オリエさんは母親のイヴォンヌ役のイメージなんですよね。でも、見事なクールっぷりで静かな狂気を体現されてました。可能ならオリエさんでイヴォンヌも観たい!

息子に依存しまくりで甘ったれで精神的にもヤバイ母親イヴォンヌ役を麻実さんが演じているんですが、麻実さんはレオのイメージだったけども、イヴォンヌも素晴らしかったです。本当に狂ってしまう役なので麻実さんのイメージにない役柄を観るのは非常に新鮮でした。


その息子ミシェル役の満島君は、無邪気な子供のようなピュアさ持ちつつも、小悪魔的な部分も兼ね備えている役柄を見事に演じてました。このミシェル、無邪気なだけに罪深い。このミシェルこそ無意識の象徴だと思う。やってることは母親同様最低だと思う。無意識で無邪気ならなんでも許されると思ったら大間違いだよ!ま、この親にしてこの子供ありな部分を上手く演じてました。

息子と同じ女性を愛してしまう父親役の中嶋しゅうさん。ホンマ最低な役!がお見事でした(笑)嘘つきで嫉妬魔ぶりを見事に体現されてました。でも、男って皆あんなんだと思う。男はいつまでも子供です(笑)

息子と父親に愛されるマドレーヌ役の中嶋朋子姐さん、見事な狂気っぷりでした!中嶋姐さんも狂気が似合う!「祈りと怪物」の時はぶっちゃけイマイチでしたがm(__)m、このマドレーヌはピッタリだった。実年齢に関係なくピュアさと狂気さを兼ね備えていて、変な表現ですが、観ていて心地よかったです。わたくし、狂気の演技大好き人間なのでついついほくそ笑んでしまうですよね(笑)(汗)

どの登場人物も救いようがないというか、一つ屋根の下で一緒に住んだらアカンやろ!?と言いたくなるくらい無意識に依存し合っていて、見事な五角関係を表現してました。

精神的自立とはなんぞや?
道徳とはなんぞや?
生きるとはなんぞや?
愛するとはなんぞや?

を問いかけいる部分もあって、戯曲を読んだ時には見えなかったこと感じました。

あと、自殺についても触れている部分もあって、内容はグロいけど、道徳観を考えさせてくれる素晴らしい作品だと気付かせてもらいました。戯曲より舞台の方が断然良かったです。

オススメしたいけど、もう終わりなんですよね。再再演は…、きっともう関西ではないかもね。

今日のまとめ:この作品、2010年に観なくて良かった。きっと私もドツボにはまったかもしれないから。勘違いの自己犠牲、心当たりがあるもので…(笑)本人は勘違いだと思ってないんだよ。だって自分を知らないから。だから他人も分かってないんよね(汗)

朝倉摂さん

2014-03-29 01:39:17 | 日記
ついこの前、4ヶ月前に、摂さんが美術を担当した蜷川さん×祐飛さんの「滝の白糸」を観たばかりなのに、突然の訃報に驚いてます。あまりにも観劇から早すぎて未だに信じられません。


朝倉摂さんといえば、ずっと蜷川作品の常連さんだと思っていたら、私が観たことあるのは、平さん主演の「元禄港歌」と「滝の白糸」だけでした。あとは別の方でした。

色々検索すると、なんと!とんちゃんが音楽座に客演した「メトロに乗って」も摂さんの美術だったんですね。というか、音楽座ミュージカルの美術、ほぼ摂さんが担当されていて驚きました。ということは、わたくし、「とってもゴースト」を生観劇しております。

あと、個人的に最も印象的だったのが、池の下事務所の舞台「身毒丸」の美術です。いかにもお金を掛けていないシンプルな美術なのに、蜷川さんの「身毒丸」より遥かに良かったこと。同じ戯曲なのに、明らかに美術の費用が違うのに、作品がめちゃくちゃ引き立てられていて、寺山アングラを堪能させてもらいました。

そもそも私が摂さんを知るきっかけは、たまたま摂さんの講義を聴く機会があったからです。当時は、演じることには興味あったけど、裏方には全く興味も関心もなかったんですが、その講義で摂さんが紹介されたご自身が担当された美術作品に感動して、それ以来、意識して美術や照明、衣装をチェックするようになりました。時々美術に口出しするのはその理由です。

凝った舞台美術も目の保養になるし、リアルな美術ももちろんいいけど、抽象的でシンプルな美術が一番想像力を必要とするから難しいと思うんですよね。空間のバランスの兼ね合いもあるし、シンプル過ぎると作品の価値を下げかねないし、派手過ぎても価値を下げることがあります。って考えると、あの池の下事務所の「身毒丸」は本当に良かった。ちなみに10年以上前です。

昨日の月組じゃないけど、どんなに美術が素晴らしくても、内容が良くなければ引き立て役にはならない。と同様に、作品を引き立てられないならそれは美術ではないと私は思ってます。創る側の想像力と観る側の想像力がパズルのピースのように上手く合致してこそベストな状況であり、舞台の醍醐味だと思います。

美術に関係なく、何処に、何に重きを置くかが大事だと教えてくれたのが、摂さんでした。もっと摂さんの美術観たかったです。

摂さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。