11月27日朝4時、何故だか目がさめていた。突然の電話に出てみると実家からの電話で母が救急車で運ばれたとの事。「今度はダメかも知れん・・・」と弟が悲痛な面持ちで云う。
「え、なんで????」3日前の電話では2回目の退院をしたばかりで元気になりつつあるという事だったのに・・・・。
今年の8月に私が帰省するのを楽しみにしていたのだが、帰省の前日に1回目の入院をして、帰省早々病院に駆けつけ話をしたのでした。心臓が弱っているとの事でしたが、私と話した状態ではまだまだ元気でした。その後2週間程で退院して、今月2回目の入院をして退院したとの事でした。来月また帰省するつもりでいましたので元気な顔を見るのが楽しみでした。82歳でした。
母の葬儀の為、27日はお客様からの問い合わせの仕事を片付け、商品の発送をして午後から帰省しました。家族4人揃っていくのは久しぶりの事。
実家に着いたなり、直ぐに炊き出しの食事をそそくさとかきいれ、通夜の席に。お経はあっけないほど短かったけど弔問客が後を切らない。
戦国時代のキリシタンのお墓も残る旧家の家系で、家格的にも「本家」となった為に地元では親戚だらけ。
実際にこの家で「葬儀」を行うのは「祖父」の葬式以来で実に50年ぶり。本当は葬祭場でやる予定だったとのことであるが,当日が込み合っていて、自宅での葬儀となりました。
実際の田舎の葬式を体験した事がなかったから大変。通夜の席から一晩中親の兄弟と子供の兄弟・家族50人余りが「線香番」をするのである。夜がしらんで明るくなると炊き出しの朝食を取り「火葬の準備」です。またお坊さんが来るので正装に着替えます。
お坊さんの短いお経が終わると出棺して、車列を作り火葬場へ行き最後のお別れ。当日長崎の身内が一緒に参列。
田舎の火葬場は国立公園の中にあるのだが高台から見渡す風景は妙に懐かしかった。
火葬が終わり実家に帰り、隣組の炊き出しの昼食を取り本葬の準備。菩提寺からお坊さんが7人来て葬儀が始まりました。曹洞宗になりますのでにぎやかなお経です。1人と3人のお経、3人と4人の掛け合わせ。鐘と太鼓とシンバルがリズミックに入り、クラシック音楽の合奏協奏曲を聴く感じといっていただければ良いでしょうか。小さいころから他家の葬儀で聴き馴染んでいますので本当に懐かしいですが、最愛の母を送らなければならない事が悲しいです。
本葬が終わると「野辺送り」、昔は子供が沢山いましたので旗を沢山並べて隊列を組んでいっていましたが、ここも過疎化が進んでいて子供なしの隊列が隣組で出ました。昔懐かしい風景ですが妙に心に滲みます。
お墓でお経を上げてもらい納骨を終了します。帰りは道の順路を変えて帰ります。
葬儀が終わり、お客様や荷物の配達が有りますのでその足で帰ってきましたが、帰りの高速は怖かったです。何せ2日寝ていませんので緊張と休憩を繰り返しやっと帰ってきました。
葬儀は終わったけれど、本当の悲しみはこれからやってきます。心の中にポッカリと穴が空いた様な・・・。母のいない田舎を考えると帰るふるさとがなくなったような気持ちです。