ウオーク同好会の12月例会です。
今月は森林インストラクターの井上さんの案内で「各務原市自然遺産の森」を散策し、その後に迫間不動の農産物販売所まで歩きました。
4月に井上さんに解説して貰いながら大安寺川ホタルの里辺りを歩きました。
今月は井上さんから解説を聞きながら自然遺産の森の中を歩きました。
会員の中には初めてシモバシラを目にした人が居たのではなかろうか。
自然環境の中をウオークすると言う面白さを感じることが出来ました。
今月の集合場所。
各務原市自然遺産の森の各務野自然体験塾前となっていました。
井上さんの解説が始まりました。
まず、最初に説明したのがシモバシラです。
シモバシラをアップで。
シモバシラはシソ科の多年草であり、枯れた茎に霜柱が毛細管現象で出来ると言う説明でした。
自然遺産の森の園内。
次の場所へ向かいます。
次に来たところです。
ガマの穂を解説する井上さん。
ガマの穂です。
このガマの穂、大きいタイプなので大ガマの穂でしょう。
穂の部分を柔らかくして花として飛ぶのだと話していました。
次に来たところに大きい木が3本。
ユリノキです。
皆さん、上を見上げています。
ユリノキの上の方です。
果実の殻が残っています。
足元に落ちていた果実です。
この果実から種が飛びます。
飛び出た種です。
新芽として発芽するのは少ないようです。
自然遺産の森の園内で次の場所へ向かいます。
足元に落ちていた木の実。
青いドングリだと解説が有りました。
拾い上げて説明しています。
シリブカガシと言うドングリ。
尻深樫です。
手に取ったのを見せて貰いました。
各務野自然体験塾の方へ戻ってきました。
途中です。
枯れ始めた竹藪を見かけました。
この竹藪。
竹の花が咲いたとかです。
ハチクと言う竹の種類を解説する井上さんです。
自然遺産の森に戻ってきました。
ここから迫間不動の農産物販売所に向って歩きます。
モミジを解説する井上さんです。
種を撮影するのが難しかったです。
迫間不動の駐車場まで歩いて来ました。
農産物直売所へ来ました。
農産物直売所の店先です。
もう、正月用に門松が備わっています。
農産物直売所の店頭。
ミカンを買ったりする人が居ました。
迫間不動の入口です。
ここで全員写真を撮りました。
自然遺産の森に向って歩きます。
自然遺産の森に帰ってきました。
最期に
森林インストラクターの井上さんの解説でシモバシラやシリブカカシを知ることが出来ました。
アノ場所。
フクジュソウやセツブンソウが見れるのは知っていましたが、シモバシラが見れるのは知らなかったのです。
竹柵で保護しているシモバシラ。
朝の時間に見ることが出来て良かったです。
「岳友タンネの会」の山行に参加しました。往路は石津御嶽山から多度縦走路を踏破し、多度山から下山して養老鉄道の多度駅から石津駅まで電車で戻る。そんなコースを歩きました。
石津駅から駐車した場所に戻りました。
始めに登る石津御嶽。山頂まではキツイ登りですが、山頂に登ってしまえば、後は快適な縦走路を歩く。
濃尾平野を見下ろせましたが、霞んでいました。
養老山系を縦走するコースを歩いてきました。
3月にも、このコースを歩きました。
今回は24年の登り納めです。
石津御岳の麓の駐車場です。
7、8台の車が停まっていました。
4合目の展望台に着きます。
整備されてから歳月が経ち傷んできています。
それに、整備された時は展望が利いたのでしょう。
今は枝葉が延びて展望が悪くなっていました。
○○覚神と彫られた石碑が並びます。
信仰で、お山に登るのだと思います。
この大きさの石碑。
神輿のようにして担いで登って来たのではなかろうか。
そうだとすると何人くらいで担ぎ上げたのだろう。
三角点の場所です。
この三角点、山頂に近い場所にあるのではありません。
気が付かないと通り過ぎてしまいます。
御嶽神社の鳥居まで来ました。
指示標識が有りますが傷んできています。
多度山に向かって行きます。
この時、ルートから外れて横道に入ってみました。
多度山に向かうルートに戻りました。
コンクリートのコースを歩きます。
ハンググライダーのプラットホームまで来ました。
先客が4人いました。
白い帽子の人や黄色い服の人。
女性かと思ったら男性4人組でした。
私たちが着くと彼らは出発して行きました。
彼らは私たちと同じ場所に車を停めたのでして、下山して行くと話しました。
ハンググライダーのプラットホーム。
濃尾平野が広がりますが、曇り空で視界は良くないです。
プラットホームからの眺望。
揖斐川、長良川、そして木曾川です。
木曽三川が伊勢湾に注ぐ。
その状況が良く分かります。
多度山に向かうルートに戻りました。
オレンジと白の塗装のタワーです。
タワーが立っている場所が国有地で、愛知県が無線中継基地として借り受けていると言う看板が有りました。
歩き易い道です。
美濃松山へ来ました。
ここでランチタイムです。
美濃松山のプレートと三角点です。
先ほど通ったオレンジと白の塗装のタワーが美濃松山から見えます。
歩き易い道。
土塁のようになっています。
瀬音の森コースへの分岐点を過ぎた辺りです。
ウッドチップを固めた舗装となった場所に出ました。
この舗装、歩き易く快適でした。
舗装は、まだ新しかったです。
この先の階段を登ると多度山展望台です。
多度山展望台に着きました。
何人も登山者が居ます。
展望台からの景色です。
視界が広がるが、曇っていて見渡せません。
展望台から下山してきました。
まだ、新しいソーラーのトイレ。
中は綺麗でした。
多度山からの下山は健脚コースと眺望満喫コースがあります。
今回の下山は第3の道で下山しましたが、第3の道で下山したのは初めてです。
第3の道は所々、眺望満喫コースとクロスする道です。
第3の道を歩けて良かったです。
第3の道で下山してます。
所どころに何合目と言う木札が下がっていました。
7合目で行先が不明瞭となりましたが、向かう先を調べて下山できました。
眺望満喫コースとのクロスです。
アスファルトの道を横切り下山して行きます。
この写真を撮影した時間は14時19分を表しています。
電車の時間は14時19分となっていました。
ダッシュで多度駅へ駆け込み自販機からキップを買いました。
何とか19分発の電車に間に合いました。
駅に着いて、目の前を電車が出て行く。
その事だけは避けたかったのです。
石津御嶽に初めて登ったのは97.10.10の時でした。
この時は縦走せずに石津御嶽の神社まで登っただけでした。
何時の時だったか、記憶が薄れても麓の中学校で体育祭をやっていて、スピーカーから音楽が出ていたのは覚えています。
第2回は02.12.23でした。
登山口である太田派出所の横に車を停めて置き、山に向かいました。
縦走して車のところに戻ってきました。
戻って車に乗ったが、エンジンがかからなかったのです。
スモールが点燈っぱなしだったのです。
バッテリーケーブルを繋いで助けて貰った。
そうやって帰って来たのは間違いないが、助けて貰ったことの記憶が薄くなっています。
第3回は13.03.26でした。
「各務原歩こう会」で石津御岳から多度山にかけて縦走しました。
養老山系縦走 石津御岳 (629m) から 多度山 (403m) へ - Kオジサンの新・山歩きの記
この時はバスでして、登山口までバスが行ってくれ、下山口で待っていてくれました。
第4回は20.09.09の時です。
「弐水会」で石津御岳から多度山にかけて縦走しました。
三岐県境の山を縦走 石津御嶽(629.1m) 美濃松山(612.7m) 多度山(402.8m) - Kオジサンの新・山歩きの記
この時は電車で多度駅から石津駅へ戻りました。
14時19分の電車に余裕で間に合いました。
第5回です。
養老山系縦走 石津御岳 (629.1m)から 多度山 (402.8m) へ - Kオジサンの新・山歩きの記
今年の3月21日でした。
「かがみの山歩会」で石津縦走路を歩きました。
多度駅に着いたのが14時25分で、14時19分の電車に間に合いませんでした。
30分以上待ちました。
最期に
多度山縦走路を歩き始めて20年以上の歳月が経ちました。
アノ時から振返ってみると、木々の成長を感じます。
木が延びて眺望が悪くなっている場所が有ると感じました。
このように感じることが出来るのが面白い。
岳友タンネの会の忘年会が開かれました。ました。
今年も会場は会場は鵜沼三ツ池町の「初寿司」各務原分店でした。
タンネの会の1年間の活動を振り返りました。
忘年会の会場。
「初寿司」各務原分店です。
これから入ります。
始めに出てきたお料理です。
次に出て来たお料理。
この後、天ぷらが出ました。
終わりが近づきました。
お寿司が出ました。
お話が盛り上がっています。
弐水会の12月例会です。
今回は東白川村の捨薙山に行って来ました。
東白川小学校では伝統行事として「全校登山」に取り組んでいます。
東白川村の周囲の山、6山を毎年1山ずつ登るのを1986年(昭和61年)から始めています。
在学中の6年間で「6山制覇」を目指しています。2024年(令和6年)の登山で39回目を迎えました。
長年の全校登山。継続する事により、伝統が出来てきます。捨薙山の全校登山は令和4年5月15日に行われました。
東白川小学校のホームページです。
東白川小学校 | くらしのガイド | 東白川村役場
林道を走り、登山口に向っています。
捨薙山登山口の指示標識が立っています。
邪魔にならないよう分散させて停めました。
右に向かって行く砂利道で登山口に向います。
登山口まで300mの指示標識です。
暫く進むと雪が現れました。
坂道を歩きます。
この辺り、木が伐採されていました。
坂道で後ろに振返りました。
見えるのは裏木曽の山でしょう。
その先、中央アルプスの山だと思います。
ズームで撮影しました。
冠雪した中央アルプス。
雲が邪魔しています。
捨薙山の登山道に入りました。
登山道はハッキリしています。
樹間から見える山頂の方角です。
こちらは樹間から見える御嶽山。
木々が繁っていると見えない御嶽山だが葉が落ちて見えます。
ハッキリ見えないが、全く見えないよりはマシか。
もう直ぐ山頂です。
山頂のプレート。
山頂です。
標高983.2mとなっていますが、国土地理院の地図では983.4mとなっていますので、その数字としました。
山頂からの眺望は無かったので、下山にかかりました。
標柱の裏側です。
平成28年と令和4年の全校登山。
2024年(令和6年)の登山で39回目を迎えています。
山頂から下山して行きます。
周回コースを取れるようでしたが、道が不明瞭でしたので往路を戻りました。
材木をトラックに積み込んでいました。
その横をすり抜けました。
道の駅 茶の里 東白川です。
山から下山してきて、ここに寄りました。
ツチのコ焼きやソフトクリームを販売していました。
店内で食事が出来ました。
店の物を頼めば持ち込みOKと言う事でお握りを持って入りました。
煮込みうどんで無くにごみうどんがイチオシでした。
うどんにけんちん汁が乗った感じ。
野菜がタップリだと言っていました。
07.12.10の捨薙山
07.12.10に捨薙山へ登りました。
その時の山名プレートです。
山頂から見えた御嶽山です。
当時は樹間から御嶽山が望めましたが、今は葉が繁り眺望を遮っています。
最期に
国道256号線から登山口へ向かう道。分かり難かったのですが、先に走って貰いました。
このような仲間の協力が嬉しいです。
全校登山で取り組んでいる山。
子ども達が声を上げながら登っているのを想像しながら登りました。
上級生が下級生をサポート。思い浮かびます。
昨年7月に白川町から尾城山へ登りました。
東濃の山 尾 城 山 (1,133.0m) - Kオジサンの新・山歩きの記
これで東白川村6山の内2山に登りました。
一宮友歩会の第105回ウォーク例会です。
今回は名鉄玉野駅から山崎駅まで歩きした。
黄色く色づいた沿道のイチヨウの木。
祖父江町は黄色に染まっている。そんな印象を受けました。
名鉄玉野駅(スタート) → 光願寺→ 善福寺 → 阿古井池公園 →八剣社 →
広口池 → 山崎神社→ 坂井文助石碑 → 永帳寺 →領内川 →善光寺 →
祖父江の森→名鉄森上駅 → 布智神社 → 日光川 →ぎんなんパーク →名鉄山崎駅
第105回例会の地図です。
105map.pdf
集合場所が光願寺となっていました。
こちらで出発式を行いスタートしました。
最初に寄ったのが善福寺です。
善福寺の境内です。
尾張は日本のメソポタミヤであり
木曽長良の両川はチグリス エウフラテスにあたる
尾張福士会の尽力で建てられた「福士幸次郎先生原日本考発想の地」の記念碑です。
阿古井池公園に向かって歩いています。
濃尾平野の真っ只中。
冬は寒風が強いだろうなと想像しながら歩きました。
この地なら、伊吹おろしと言うのだろうと思ったのです。
一宮友歩会の仲間のグループラインです。
このラインに伊吹おろしが小中学校の校歌に捉えられているのではと思いながら歩いたと書き込んだのです。
二人の教員経験者から反応が有りました。
やはり、この地方。
冬は伊吹おろしが強く、校歌の中に唄われているのでした。
阿古井池公園へ来ました。
神社へ来ました。
この場所、八剣社で有り上祖父江城跡でもあります。
八剣社内の石碑の解説です。
明治39年(1906年)に興業で欧州へ渡ったと書かれています。
花子の首、ロダン作となっています。
ロダンは1480年生1917年没ですから生存中の作品なのでしょう。
黄葉したイチョウ。
広口池へ来ました。
洪水調節のゲートです。
広口池の洪水調整の役割を表した解説板です。
河川土木の研究家、Y氏の解説が有りました。
玉野放水路、祖父江放水路の解説資料です。
日興側と領内川の水を広口池に集め、祖父江放水路で木曽川に流しています。
解説板の直ぐ脇に本居宣長と横井千秋の石碑が在りました。
横井千秋は尾張藩の宣長門下生と有ります。
山崎神社へ来ました。
山崎神社の東側に有った坂井文助旧跡の碑です。
解説する城郭研究家のMさんです。
戦国時代にこの地に居住した土豪・坂井氏の屋敷跡です。
初代・文助は、信長、信雄、秀吉に仕えて道中奉行を務めた。二代目・利政は尾張藩主に仕えて船奉行となった。しかし三代目・利知も船奉行となったが、事故を起こして、お家断絶、追放された。
その後は三河国(愛知県東部)へ移り眼病の医者になった。
この石碑の寄進者の姓が医学博士酒井利○となっている。
Mさんの資料によると将軍秀忠が上洛の際に起川に掛けた舟橋の架綱が切れた責で改易となったと有ります。
その後、坂井氏は三河の福田原新田に移り、酒井と改名し眼医者として代々続いたと有ります。
黄葉したイチョウ。
領内川の横を歩きます。
ススキが繁っています。
黄葉したギンナン畑。
ギンナン畑で散乱するギンナン。
凄い数です。
DeLiいなかと言う店。
Googleマップにはうどんの店となっているがダンゴやタコ焼きの店です。
店頭に並んでいたギンナン。
1パックが100円と、格安です。
2パック買いました。粒の大きさもマアマアです。格安でした。
善光寺へ来ました。
今回、初参加の人が6名居ました。
ミンナの前に並び自己紹介が有りました。
初参加の中の一人。
善光寺で貰って来たボケないための五ヶ条です。
気持ちの若い人。
感謝の出来る人。
よく書く人。
感動を忘れない人。
旅の好きな人。
これからも心掛けていきたい事柄です。
祖父江の森の横を歩きます。
この施設、市民の健康保持とスポーツ振興のための施設です。
温水プール、テニスコート、多目的広場。敷地内には図書館も有ります。
森上駅の駅前へ来ました。
モニュメントが設置して有ります。
日光川の川沿いを歩きます。
左側。
黄葉したギンナン畑です。
カモの群れ。
人の気配で対岸に向かって行きました。
ぎんなんパークへ来ました。
葉が落ちだしたギンナンの木。
ギンナンがビッシリと実っています。
先頭がぎんなんパークに入りました。
ぎんなんパークの展望丘です。
ここで解散式となりました。
最期に
一宮友歩会の例会は単に歩くだけでは有りません。
知識人から色々と教えて貰っています。
歩いていて、この辺り。伊吹おろしが強いだろうなと想像しながら歩きました。
そして、この伊吹おろしを校歌に取入れているのではなかろうかと想像しました。
グループラインにそんな想像をしたとアップしたら、二人から実際、校歌に入れられていると書き込みを貰ったことが嬉しかったです。
坂井文助の旧跡を訪ねました。
調べると二代目三代目が尾張藩の舟奉行を努めたことが判りました。
11月7日に「やっとかめ文化祭」で熱田の水辺から探る! ~湊町・漁師町・宿場町~に参加しました。
その中で、堀川に差し掛かった時に講師から対岸に尾張藩の御船蔵が有って、船奉行が千賀氏だったと解説が有りました。三代目の坂井利知が事故を起こして、お家断絶、追放となったので、その後任に千賀氏が就任したのかもしれない。
先日に歩いて解説を受けた事柄が結びつくのが面白い。