日暮らし通信


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あれから21年

2018年05月03日 20時15分31秒 | 日暮らし通信
from 赤とんぼ



■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

昨夜の雨で流れが戻った空堀川

空堀川左岸にて
(撮影: H300503)



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今日は私にとっては特別な日で、平成9年 (1997) 5月3日、始めて私のパソコンがインターネットに接続した記念日でもある。

当時、私のパソコンの機種はあまり定かではないが 「NEC 98 シリーズ」 だったような記憶がある。だが、今のパソコンと比べるとそれこそ雲泥の差があるようで、当時のパソコンの使い悪さと言うのはいまでも憶えている。

その日の日記帳を開いてみると接続に四苦八苦したような文字がたくさん出てくるが、私もパソコン初心者だったのに、その知能程度でインターネットの世界に挑戦しようとしたのだから、いい度胸でもあった。

インターネットに接続した瞬間は思わず自分で手を叩いてしてしまったと、記されているがそれは感激の瞬間でもあったのだろう。

インターネットには接続したが、メールの設定でまたブレークしたようで、その時のプロバイダーとのやり取りなどもくわしく書いてあった。

なかなかアカウント設定が完了しなかったは単純なミスで、プロバイダーが私のメール・アドレスを誤記したためだった。本当はIDの綴りの中の文字が n (エヌ) なのに h (エッチ) と間違えたからアカウント設定が難渋したのは当然だった。

そのプロバイダーの事務所は何故か富山県金沢市にあるとのことで、電話で何回も確かめた未にやっとメールも送受信することができた。

だが、今のような進化したパソコンの世界ではなく、まだCDロム以前の3.5インチ・フロッピーディスクの時代だったから、いろいろな制約もあり、インターネットの接続も時間刻みで料金が違うから、その時間を気にしながらインターネットを楽しむしかなかった。

勿論、今は当たり前のようにデジカメを使っているが、その当時は画像を送るなんて考えたこともなかった。当時は物理的にもメモリ容量はすこぶる少ないから、ギガとかテラなどの言葉は聞いたこともなく、もっぱらキロバイトかメガの容量だった。

今のように大容量の画像や動画などを送受信するなんて想像も付かなかったが、いつのまにか、私もそのような世界に入ってしまった。

それから21年が過ぎた。振り返るとパソコンは業務上で憶えたのが最初だが、そのお陰で高齢者になってもあまりパソコン操作には 「置いてけぼり」 を経験せずに済んだのは幸いだったが、もしパソコン操作を知らなければ、退職後はもっと味気ない人生だったことだろう。

私が若い頃、考えていた未来図で想像も出来なかったのが個人で 「車、電話、パソコン」 を持つことだった。それが今では、普通のことのように身近にあるのは奇跡のようにしか思えてならない。でも考えれば、人間はそのような持ち物が本当に必要なのだろうか? との疑問もある。

何処かの国では原住民が未だに原始時代の生活の中で暮らしているが、そのような人たちの方が幸せなのかもしれない。




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