諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

今日、父が亡くなった。

2022年04月18日 22時39分36秒 | 人生
今日、父が亡くなった。

私は父の遺体を見れば殴らずにはいられないと思っていたが、そんな気持ちは全然起こらなかった。

父が亡くなる3か月前、父は私に寄って来た。私も父に寄った。お互いに助け合った。多少だが分かり合った。それは幸いだった。

父は誤嚥性肺炎で30キロ以上痩せた。3か月以上点滴で生きていた。一時は70キロ代だった体重は30キロ代になって別人の姿になった。そして亡くなった。

亡くなった姿を長く見つめていた。未練、恨み、悪意が立ち込めるのではないか。そんな気が遺体から発するのではないかと思い見つめていた。

何も起こらなかった。浄化していた。その姿に私も浄化した。父に対する恨みが大幅に消えた。

それにしても生前の父はどうして私を嫌っていたのだろう。

父の口癖は「生き馬の目を抜け」、「泥棒の上前をはねろ」だった。それは生きる上で当たっている部分がある。

だが私はそんな残酷な事なんて出来ないし、狡賢く振る舞えない。それでは世の中、上手く乗り切れない。

父とは正反対の性格になった。それでは世の中生きて行けないのだろう。自然界で善なんて余裕を持っていられない。生きて行けない。悪じゃなければ生きて行けない。だから「ダメな奴」として父に嫌われたのだろう。

でも、そんな事をしたら祟りになって返ってくる。私が悪を発動した時、何度もそうなった。私は祟りで悪を規制されている。それでは成功しない。私は生きるのには向いていないのだろう。

死はやはり浄化だと思う。浄化すれば悩みも苦しみも消える。死と言うゴールがあるから、苦しくても生きて行けるのではないか。

父も生きるのを苦しんだ。その苦しみを私にぶつけないと平常を保てなかった。

そんな父は天国に行くのか、地獄に行くのか。

多分、どちらでもない。浄化は無になる事だと思える。

浄化は善でも悪でもない。もう善悪で悩む事は無い。それは幸せと言えるのではないだろうか。

上手くは説明できないが、何となくだか、そんなふうに思える。


ではでは。


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高校時代、大喧嘩した相手が亡くなっていた。その6

2022年03月29日 15時45分06秒 | 人生
続きます。

さて、色々遠回りの話をしてきましたが、ここからが本題です。この千〇との喧嘩に付いてです。

私の席は前の方でした。そして千〇は黒板に何かを書いていたみたいです。そこを誰かが黒板消しで千〇の背中を叩いた。学生服の背中がチョークの粉で汚れた。

千〇は「誰だ!」と叫ぶ。そして私を見た。千〇は私に近付き躊躇なく黒板消しで私の胸を叩き、学生服を汚した。

私は座っていた。勿論、千〇の背中を黒板消しで叩いていない。距離的にも時間的にも私がそれが出来る状態ではない。それは千〇も分かっていた筈。ただ単に腹が立って私に八つ当たりをしただけなのだ。

私の親もそれをしている。仕事のストレスを私にぶつけた。殴る、蹴る、踏みつける、飛び蹴りする、私が大切にしている物を壊す等々、再三やられた。

流石に親には手を上げてはいないが、その怒りが沸騰した。

千〇は黒板消しの鬱憤を私で晴らした。私がやっていないのを分かっていながらニヤっと笑っていた。

「俺は不良グループの大柄なアイツを倒した。俺に手を出せないだろう、俺が怖いだろう」。そう思って笑ったのだと感じた。

私は席から立ち上がり千〇の前に立った。「オレがやる訳無いのを分かっててやったな」と怒鳴った。千〇は笑ったままだった。

そう言う時の私は頭の回転が速くなる。私は千〇の左肩を右手で押す感じの仕草をしながら、左手で千〇の顔面をフックで殴った。右手でフェイントをかけて利き腕の左手で殴った。その位の喧嘩のテクはある。何たって学年で一番喧嘩の数をこなしていたのだから。

千〇には親への恨みも重ねて殴った。千〇は吹っ飛び鼻血を大量に流して仰向けに倒れた。

「私は我に返った。やり過ぎた。あんなに血を流している。どうしよう。一発殴らしてやるか」。そう思い私は立ち尽くしていた。

千〇はよろめきながら立ち向かってきた。避けられたが、殴った罪悪感がある。殴らせるために動かずにいた。千〇は私に体当たりして一緒に倒れた。千〇の下になった私に千〇の鼻血が大量に垂れた。

私はウワッと身を反転させ千〇を上から押さえつけた。そして大声で「オレがやる訳無いだろ。それなのに確かめずに黒板消しを付けたお前が悪いのだろ」と肺活量6600ccオーバーの大声で私は凄んだ。千〇はまた殴られると思い恐怖の表情に変わっていた。

私は千〇の上から離れ自分の席に着いた。千〇は暫く身を横たえたままだったが、立ち上がって自分の席に着いた。私が千〇を殴ってから席に着くまで教室は静まり返った。

私の家業は新聞販売店。刑務所帰りの奴も従業員で使っていた。親にも包丁で刺されそうになった。酔っぱらっている従業員にも包丁で刺されそうにもなっている。新聞販売店は命がけだ。

そして当時の中学・高校も命がけ。虐められたら卒業まで虐められる。それなら相手を殺して少年院に入った方がまし。教師達だって虐めをやっている。そんな教師など頼れない。

キリスト教教育など屑だ。何がライフ・ライト・ラブの3L精神だ。キリスト教の歴史を振り返れば戦争ばかりではないか。キリスト教は戦争兵器ではないか。第一、カトリックの神父たちは鬱憤が溜まって性的暴行ばかりしているじゃないか。

イエスキリストが目の前にいたら言ってやりたいわ。「お前は間違っている。お前の存在は結果的には悪だ」と。

話を千〇に戻します。あれ以来、奴は私に近付かなくなった。更に誰にも声をかけなくなった。独り黙った状態で高校を卒業した。同じ大学に通っていたが、見かける事は無かった。

その喧嘩から約20年後、奴は亡くなっていた。38歳前後だろう。病気だったらしい。

今想えば胃が悪い、内臓が悪いと言っていた。内臓が悪いと様々な病気になる。その点は気の毒だ。

ただ、アイツの性格は酷かった。自分のストレスを人にぶつける奴は最低だ。でも、私も親への恨みも込めてアイツを殴った。私も最低だった。中学・高校も嫌な想い出ばかりだ。

私には禍が集まる。騙そうとする奴が近づいてくる。近年の不動産屋とのトラブルもそう。馬鹿だと思われている。変な話だが人相が良過ぎるみたいだ。

私は天知茂に憧れているが、あんな眼力のある顔をしていたら、禍はやって来ないだろうなぁー。

もう、彼の事を考えるのは止めよう。気が滅入るだけだ。

私は死に付いて考え過ぎだ。どうも自殺した者を深く考えると自分も自殺したくなるみたいだ。

私の母方の従妹も母親の兄である伯父が自殺し、夫の弟も自殺した。そして本人も自殺した。

死は人を引っ張る。人は誰しも死ぬ。間違いなく死ぬのだから死に付いて考えても仕方が無いのだ。

それは兎も角、千〇はあんな性格しているのに結婚できたのだから大したものだ。子供もいると思うし。

でも、あんな性格をしていなければもっと長生き出来たのではないか。人から好かれれば人生に張り合いが出来る。ストレスが無くなる。活き活きと生きて行ける。それが分からなかったのか。

分からなかったのだろう。私も今もって分からない部分があるし。

もう、千〇への苛立ちは忘れよう。彼の事は忘れよう。死んだものを恨んでも仕方が無いし。


ではでは。
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高校時代、大喧嘩した相手が亡くなっていた。その5

2022年03月27日 16時26分34秒 | 人生
続きます。そろそろ終わりにします。

千〇には私、結構話しかけられていました。しかし、私はこの男が嫌い。ゲップばっかりしているし息が臭い。人を不愉快にする事ばかり言う。

声をかける理由も分かります。私が劣等生だからです。自分より下だと思っている。だから小バカにしようと私に話しかけて来るのです。

私は劣等生ですが、ユーモアのセンスが有ったので人は寄ってきていました。秀才達もノートを「しょうがねぇーな」っと言う感じで貸してくれた。不思議に目立つ。人気者でした。

その証拠に私の学校は中学・高校とも2学期制です。1学期は成績優秀性が教師の指名で学級委員長に選ばれていましたが、2学期は生徒の投票で選ばれていた。それで私は中学から高校までの6年間、後期の2学期は必ず学級委員長に任命されていました。

勿論、面白半分で選ばれていたのでしょうけど、私はテストの成績は最悪でも平常点は頗る高かった。数学で0点を取っても平常点では36点が付いた。それだけ教師には受けが良かった。

その理由ですが、虐められる奴を守っていたのを教師側も知っていたからだと思います。

私は怒ると危険な奴だと思われていた。ボクシングで喧嘩をしていたので具志堅〇〇と呼ばれていた。合気道を習っているとの噂もあった。

実際は私、その時から人生なんてどうでも良いと思っていたのです。何時死んでも良いと思っていたのです。それだけ新聞販売店は精神を崩壊させる商売だった。私の親は毒親だった。私は生きる屍だったのです。

死んでいる男だから、もうどうなっても良い。だから相手の顔面を平気で殴れる。合気道を習っているとの噂ですが、何の事はない。相手の指の骨を折ってやろうと思っていただけです。それが勘違いされて合気道の達人みたいに見られたのです。

そんな訳だから不良グループも私を避けていた。既にメンバーの二人を倒している。だから寄って来ない。

逆に虐められる雰囲気の奴は私の所に寄ってくる。それで虐められるのを防いでいた。つまり私はイエスキリストよりも学校の平和に寄与していた。それが
先生側も知っていて平常点を上げてくれていた。

本来は教師がすべき事を私がしていたので、その位は当然かもしれませんが・・・・。


続く。
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高校時代、大喧嘩した相手が亡くなっていた。その4

2022年03月26日 21時33分57秒 | 人生
続きです。

千〇と言う男は誰からも嫌われていました。胃が悪いとかでゲップばかりしていた。頭もフケが目立つ。学生服も汚れていた。

それ以上に性格が悪い。人を蔑んだり馬鹿にする言葉ばかり吐く。そして話が下手。何を言っているか分からない。回りくどい。話するのもめんどくさい。誰もが避けていました。何時も独りでした。

そして或る時、不良グループの一人と千〇が喧嘩。一回り以上大きい不良を千〇が倒した。それから更に威張る感じになった。

私の中学・高校時代は学級崩壊が当たり前でした。そこらへんで殴り合いの喧嘩が発生していた。

先生も見て見ぬふり。私立の教師ですから一企業のサラリーマンなんですよ。教育者だなんてお世辞にも言えませんよ。

第一、私、教師が見守る中で喧嘩をしています。相手が腕時計をメリケンサックみたいに拳に付けようとしたところを殴り倒したのですが、教師は全然注意なんてしません。

どっかの甲子園に頻繁に出場している地元の私立高校なんて、根性焼をされ虐められていた生徒の方を退学にしています。学校の評判を守る為です。

私も以前、店舗で商売していた時、これまた違う甲子園常連私立高校の学生に何度も万引きをされました。

それでその高校に電話したのですが、その高校の副学長に「万引きするような学生は何れ退学するから注意しても仕方が無い」的な事を言いました。注意出来ないと言うのです。何度も万引きを捕まえて警察に引き渡しているのにです。

「それなら私の店は万引きされても仕方が無いと言うのですか。どう言う教育しているのですか」と言ったら、副学長は逆切れ。

「そう言う事なら私、今から貴方を殴りに行きます。地元の新聞社やテレビ局に電話してから行きます。貴方を殴る所を報道して貰います。私が警察に捕まったとしても万引きされる苦しみよりはマシですから」と言ったら、この副学長も怯え切って私に謝りました。

これも総会屋系の経済誌に勤務していた時の知恵です。次の日から私の店の前にその高校の教師が暫く門番の様に立っていました。それで万引きが無くなりました。

これが仙台の私立高校の実態です。教育の現場ではない。単なる学校経営の社員。めんどくさいのは無かったことにする。それが仙台の教育現場です。だから生徒の自殺が全国トップになったりするのです。

話はチョット外れましたが、虐められる奴は退学していきます。実は私も不良のリーダー格の二人と喧嘩をしてどちらにも勝った。その一人は劣等生の私に負けた事で恥ずかしくなったのか不登校となり退学しています。

こう言った話は生徒だけに限らない。教師同士でも虐めが頻繁に起きていた。

自習時間に礼拝堂で寝ていたら、牧師でもある副校長が学級崩壊を起こしている黒セル眼鏡をかけた蝋人形な顔をしている公民の教師をヤクザ口調で恫喝していました。

警視庁に勤めた同級生の話では体操の若い教師の手の甲に柔道6段の柔道教師がタバコの火を押し付けた。熱いっと叫ぶ体操教師に向かって「お前でも熱いか」っと言って、他の体育教師たちと一緒に笑っていたそうです。

そう言うのを見ているから私、キリスト教が嫌いなのです。

イエスキリストは「右の頬を打たれたら、左の頬を出せ」とか言ったらしいですが、そんな戯言、腐ったキリスト教学校では通用しません。

目には目を、歯には歯を。暴力には暴力じゃないと学校には通えません。キリスト教なんて全然通用しない。牧師の副校長だってヤクザ同然だったのですから。


続く。

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高校時代、大喧嘩した相手が亡くなっていた。その3

2022年03月25日 13時19分17秒 | 人生
続きです。

次に話したのは私の墓に付いて。

以前「自分の墓をどうするか考えている。浄土宗のままで良いのか悩んでいる」と題して長々とブログを書きましたが、聞いてみたかったのです。「お前の所の神社では墓地を所有していないか」を。

世の中には神社が所有している墓地があります。神道の墓地です。分譲しているのであれば買いたい。管理費は前払いするから、無縁仏になってもそのまま墓として置いていて欲しいと頼みたかったのです。

無縁仏はいづれ墓を暴かれ墓石は建設資材にされ、骨は他の無縁仏の骨とまとめられて埋葬されてしまうので。それだけは嫌だったので。

結果、神社での墓苑は所有していない。〇〇家の墓として神道墓地に所有しているのみとの事でした。残念。

まぁー、そうだろうなと思っていました。神社で墓苑を所有しているケースは大変少ないので。

そこで提案しました。

「福島県いわき市北好間の閼伽井嶽の旧参道に面した山林を所有している。1500年前からある参道に面している場所だ。その土地をくれてやるから、お前の神社で墓苑を造らないか。そこに私の墓を造る。土地をくれる代わりに、私の墓の管理費は永久免除にして欲しい」と。

墓苑は宗教法人か公益法人でしか造れない。神社も宗教法人。私が墓苑を造ることは出来ないが、友人なら造る事が出来る。それで頼んだのです。やり方次第では友人の神社にも多くの利益を得られるかも知れないし。

結果、友人には速攻で断られました。「何でいわき市で墓苑を運営しなければならんのか。造営するのにどれだけ費用が掛かるのか」。

まぁー、そう言うだろうな。自分とこの神社運営で手一杯みたいだし。

まっ、その問題はある程度解決している。私有地にお墓は造れる。骨の埋葬は出来ない。法に触れる。だったら埋葬せずに墓の中に骨壺を入れれば良いのではないか。

場合によっては墓ではなく私を祀る神社を造り、その中に私の骨壺を取られない様に石かコンクリートのご神体を造れば良い。「我が眠り、犯すべからず」と但し書きを彫って。

っは言え、私が神として祀られるのは烏滸がましい。友人の神社から私と因縁のある鬼渡系の神々と、オリオン三ツ星の意味合いがある私の家紋から住吉三神を分霊して貰って、ついでに私の骨を入れて貰うのはどうかな。

否、やっぱりダメか。遺体は穢れ。お骨になっても穢れ。神々と一緒にしてはいけない。うーん、やっぱり難しいな。

私は長年、死に付いて考えて来ました。そしてふっと思った。同級生で死んだ奴はいるのかを。

友人に聞いた。友人は「いっぱいいるよ。あっ、千〇も20年前に死んでいるぞ」と。

今から10年前、私の鼻の軟骨切除手術をする医師の名前が千〇だった。同姓同名、漢字も全く同じ。顔も似ている感じがする。もしや同一人物では。大学を卒業してから、医学部に入り直して耳鼻咽喉科の医師になったのでは。

もしそうだったら、奴に手術なんかさせられない。あの時の敵を討たれてしまう。大変不味い。

それで宮司の友人に10年前に聞いていたのだ。「千〇は今、何をしているのか」と。

友人は「千〇は中堅ゼネコンの〇〇組で働いている。結婚もしている」と。

10年前はそう聞いていたのだが、まさか20年前に亡くなっていたとは。


続く。


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