諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

鬼渡神との因縁。 【二柱神社(仙台市・七北田)編】

2013年07月07日 22時27分42秒 | 神道

えー、初めにですが、私が鬼渡神社を知る切っ掛けについては、以前、「永井平九郎シリーズ」にて書き込みました。詳しくは、そちらを読んでください。

まあ、簡単に言うと永井平九郎を調べていて、私の故郷・福島県いわき市三和町永井の永井神社に辿り着き、その永井神社が昔、神渡神社、三輪渡神社、そして鬼渡神社と呼ばれていた事に由来します。

それ以来、私、何か鬼渡系の神社、神様に魅入られてしまいました。何故かは説明出来ないのですが、鬼渡神を調べれば調べるほど、日本神道の素直な本質が見えてくる様な気がしてます。それはまるで裏山から登るが如しです。

表の登山口から登る人は沢山いますので、「人の行く 裏に道あり 花の山」じゃないですが、私一人くらい、裏山登る奴が居ても良いのではないかと思っている次第です。

まぁー、そんな感じで調べてきたのですが、愕然としたと言うか、余りにも出来過ぎていると言うか、偶然では考えられない因縁がありました。

今回はその鬼渡神との因縁に付いて、かなり心情的には辛い部分もありますが、お話したいと思います。

さて、因縁その1です。

私は仙台市青葉区の某所で、震災以前まで、怪しい秘密の商売をしていました。まあ、店を出していた訳です。

その店のある町の氏神ですが、仙台市泉区七北田の「二柱神社」となります。祭神はイザナギ尊、イザナミ尊です、だから二柱なんでしょうね。

ご利益は縁結びで、まぁー、何と言いましょうか、恋人に巡り逢いたい人、結婚を考えているカップルなら、一度は参拝に行く様な、人気の神社です。私はご利益を賜っていませんけど・・・・・(泣)。

この二柱神社ですが、タイトルからご想像が付くと思いますが、神仏分離以前は「仁和多利大権現」と呼ばれていました。つまりニワタリ、すなわち鬼渡系の神社だったんです。

前回、「修林壇跡地にて」で少し書きましたが、以前は鳥井原にあり、修林壇と呼ばた寺に鎮座してたんですが、現在地に遷って来た様です。理由は分かりませんが・・・・・・。

鬼渡系の神社は福島県中心に点在していると思っていたのですが、こんな身近に存在していたとは知りませんでした。いゃーショックでしたわ。

所で、何故、仁和多利大権現から二柱神社へ名前が変わったのか。共通点は「仁」と「二」。「二」繋がりで「二柱」となり、「二柱ならイザナギ尊・イザナミ尊がよかんべなぁー」となったと、普通なら考えると思います。

でもね、牡鹿半島付近にも鬼渡系の「二渡神社」が点在してます。祭神は「二柱神社」同様、イザナギ尊・イザナミ尊です。

牡鹿半島は蝦夷の前線基地があった桃生郡の目と鼻の先。そして大和朝廷側は蝦夷征伐を第二の国産みの儀式と言い訳している訳です。

それて地主神が消され、国産みの神、イザナギ尊・イザナミ尊を祀ったとの話があります。その例に習いイザナギ尊・イザナミ尊に変えた可能性も十分考えられると思います。

現に二柱神社の境内に、「仁和多利大権現」に付いての但し書きの看板があり、仁和多利大権現は「おぼこの守り神」と書かれています。

「おぼこ」とは子供の事です。だったら子供を沢山産んだイザナギ尊・イザナミ尊とも繋がります。

しかし、鬼渡神は疱瘡神の一面があります。疱瘡を撒き散らす神です。昔はワクチンや抗生゛分質なんてありませんから、麻疹や水疱瘡で命を落とす子供も多かった訳です。

だからこそ、「疱瘡を撒き散らさいでくれ」との願いから、子供を守る神へと移りの変わった考えられます。

ギリシャ神話のアポロンもペストを撒き散らすペスト神ですが、「ペストを広げないでくれ」との願いから、ペストから人々を守る神へと変化しました。これは鬼渡神が疱瘡神である事と同じ意味合いだと思います。

そう考えると「イザナギ・イザナミ両尊」と「仁和多利大権現」は、同神ではないと思うんでしよねぇー。

同神だったら、同神である旨の言い伝えや古文書が二柱神社に残っていても可笑しくない筈です。

まあ、鬼渡神の存在が都合悪いとする考えから、仁和多利大権現が消され、イザナギ・イザナミ両尊に変えられたと考えます。

以上、長々と寄り道しましたが、てっきり福島県の神と思われた鬼渡系の神が、私の店の氏神だったと言う因縁でした。

 

ではでは。

 

 

 

 

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