諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

鬼渡神との因縁。 【八坂神社境内社・冠川神社(仙台市・岩切)編】 その2

2013年07月10日 10時57分55秒 | 神道

続きます。

さて、志波彦神を祀る冠川神社の「冠川」の由来ですが、八坂神社の前を流れる七北田川が昔は「冠川」と呼ばれていたからであります。

何で「冠川」なのかと申しますと、「神が降ってきた川→神降り川→かんむり川→冠川(カムリカワ)」となった説があります。

実際、七北田川の支流の砂押川のそのまた支流に「勿来川(なこそがわ)」が流れています。利府町から多賀城市までの8キロ足らずの小川です。

「勿来」と言うと、吾が故郷、福島県いわき市に「勿来の関」がありますが、これ、案外、地元の人も知らないのですが、「勿来の関」は宮城県の利府町にもあるんです。まあ、歴史が下って蝦夷の領地が狭まったと言う事なんでしょうね。

「勿来」の意味は、「こっちに来るな」です。つまり「勿来=境界線」です。っとなると阿須波神は「庭中の・・・・」から庭神ですので(だからオニワタリです)、外界からの魔を防ぐ境界線の神と言えます。

つまり、冠川神社の社名で志波彦神、つまり阿須波神を祀っていると言う事は、七北田川は大昔、蝦夷と大和朝廷との境界線であったことの一つの証明だと思います。

実は「冠川」の名の由来はもう一つあります。「志波彦神が白馬に乗って川を渡っていたら、白馬が川石に足を取られてすっ転び、志波彦神は頭の冠を流されたから冠川になった」と言う説です。

更に実はですが、多賀城市内にも冠川神社があります。祭神は志波彦神ではなく稲荷大明神となってます。

理由は「多賀城市史」によると、「昔、ある貴人が橋を渡ろうとした時、突然、風が吹いて被っていた冠が飛ばされ川に落下。その冠がこの里まで流されて来たとき、狐が川に飛び込み、冠を咥えて岸に上がった。その上がった場所が多賀城市の冠川神社である」との事です。それで狐から稲荷大明神が祀られたと言う事ですね。

まあ、言わなくても分かると思いますが、その川は現在の七北田川です。「貴人=鬼神」とは言いませんが、貴人は志波彦神、つまり阿須波神で間違いないと思います。つまり、七北田川は阿須波神が鎮座する川であると言えます。

この話、何を意味しているのか、幾つか考えられますが、これは又の機会にお話したいと思います。


ではでは。


コメント (6)
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