続きです。
えー、会津人の人の善さについて書いてきましたが、福島県生まれの私がいくら「会津マンセー」しても、読んでいる奇特な方は、今一、信憑性を感じないでしょうね。
そんでは、ある有名人と会津人との関わりをドキュメンタリータッチで語ります。
この有名人ですが、仮にOさんとしときます。Oさんは当時、大学生で東京大学に通っていた訳です。
このOさん、何の病気が知りませんが、病気療養で福島県耶麻郡北塩原村早稲沢温泉の山城屋と言う民宿に、約二ヶ月お世話になっていたそうなんです。
この早稲沢温泉ですが、簡単に言うと裏磐梯・桧原湖の上部に位置します。宮城県寄りです。
泉質は強炭酸泉と言うのでしょうか。無色透明ですが、入ると体中に気泡がくっ付いてきます。掃っても掃っても体中気泡だらけになる不思議な温泉です。この気泡が良いのか、毛穴の汚れもビックリするほど取れますし、体の温まり具合も半端ないですね。
福島県は温泉大国で、硫黄たっぷりの白濁したお湯もあれば、強アルカリ性で緑色のヌルヌルした温泉もありますが、私はこの強炭酸泉の早稲沢温泉が一番好きです。
さて、この早稲沢温泉ですが、住んでいる方の殆どは小椋姓です。山城屋のご主人も小椋さんです。
この小椋さん達がOさんに対し、お客さんと言うよりも身内の如く親身に接してくれたんですね。そして恋人も東京から尋ねて来て、山城屋で将来を約束したんだそうです。Oさんの転機とになったと言う事です。
その後、Oさんは現在の「みずほ銀行」に就職。浜松支店長を経て、本社の部長職まで勤めたのですが、合わせてシンガーソングライターとして活躍し独立しました。
そのシンガーソングライターとしての名は、姓を山城屋のご主人から取って「小椋」、名は山城屋で将来を誓い合った現・奥さんの名「桂」を取りました。つまりOさんは「小椋桂」と言う事です。会津人の人柄に感激したのは私だけでは無いのです。
何故、会津人はこれだけ他人に親身になれるのか。多分、磐梯町恵日寺から発信する徳一大師の仏教観が会津に根強く残っているからだと思います。
徳一大師は唐帰りの最澄、空海と激論を戦わせたと聞きます。唐の流れを汲む仏教観とは異質と言えます。つまり、山岳信仰を汲んだ仏教。更には縄文から続く蝦夷の思想と言えます。
だからこそ、仲間・主君を裏切らず、敵であっても死者を丁重に弔う思想が続いていたのだと思います。
故に、会津人が死者をを弔わず野ざらしにした長州、主君を裏切った薩摩を嫌うのも頷けます。
まあ、その考えが幕末の会津の悲劇に繋がったのは皮肉であり、無念の一言に尽きますが・・・・・・。
ではでは。