続きます。
話を亡くなった従兄弟に戻します。
従兄弟は細かい田んぼを1つにまとめる作業をしていました。3つ、4つの田んぼを1つに大きくする作業です。
そして亡くなった現場の脇の道には、馬頭観音の石碑が建っていました。
私の父方の祖父は、昔、故郷の福島県いわき市平で馬喰をしてました。馬を使ったタクシー屋の様な仕事です。かなりの資産家でもありました。
しかし、踏切で列車に撥ねられ、片足を切断。それでも生きていたのですが、担ぎ込まれた病院で違う血液型の血を輸血されて死亡してます。
祖父に続いて本家の長男である従兄弟の死です。馬喰をしていた血筋に取って、馬頭観音は守り本尊なのに、馬頭観音のすぐそばで亡くなった訳です。私、恨みましたよ、馬頭観音を。何故、従兄弟を守ってくれなかったのかと・・・・・・。
それから数日後、奇妙な噂を聞きました。従兄弟の死因は悪霊に引っ張られたのだと言うのです。
従兄弟は農道のコブにクレーン車を乗り上げ、転倒してなくなりましたが、そのコブの傍で焼身自殺した者、更にはコブから数メートル離れた木で、首吊り自殺した者がいたのです。
それだけではありません。従兄弟が亡くなった古内、更に隣の上谷刈はかつて古戦場だったと言うのです。
この話を聞いて、私、怒りに震えました。ふざけるなと。
無念を残して死んだ者が、無念さから生きている者を黄泉の国に引っ張る不条理さ、理不尽さに怒り心頭になりました。只ては済ませないと。
それ以来、何ども従兄弟の亡くなった場所に足を運び、従兄弟を引っ張った奴を挑発しています。祟れるものなら私を祟って見ろ。逆に祟り返してやる。地獄の底の底に沈めてくれるわと思いながら、気合を発し続けてきました。
最近知った事ですが、気合に任せて声を発するのは、悪霊調伏の作法と殆ど同じみたいです。私は知らず知らず、悪霊を調伏していたことにしていた様です。それは素人には大変危険な行為だと思いますが、私は怒り、悲しみ、憎しみ、恨みを悪霊にぶつけました。それによって祟られて死んでも、悪霊どもに復讐したいと言う気持ちが強かった訳です。
以上が私の神に対して思い、、悪霊に対する恨みを持った切っ掛けであります。
現在、スピリチュアルブームで、「神様、萌え~」って人が多いですが、私は神に対しての疑問からスタートしています。神の存在を知りたいと言う気持ちからです。
今回の3.11でもそうですが、神は理不尽であり、不条理だという気持ちを、今も少なからず持っています。
でもね、日本の神道って、本来、そんな感情からスタートしていると思うんです、そして、その考えが改まったのが現在の神道なのではと、今の所、考えている次第です。
つづく。