諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

鬼渡神との因縁。 【仁渡神社(仙台市・古内)編】 その1

2013年07月13日 08時55分08秒 | 神道

今回の仁渡神社編は、私が神道、姓名判断、更には霊体、そして人の死、我が家系の因縁についてとりつかれるきっかけとなった事例です。

私には「龍」と言う従兄弟がおりました。父の兄の長男で、私より3歳年上です。

彼とはよく気が合いました。私同様、釣り、バイク、クルマ、スキー等が好きで、よく一緒に出かけたものです。正直、実の兄弟や私の親よりも大事な人でした。

彼の家の稼業は新聞販売業です。私と同じです。そして私と同じ長男。しかも、私の名前(本名)は、彼の名前に付随して付けられた所もありますんで、同じ人生のレールを歩んでいる様な感じがしてました。

そして高校卒業後、福島から出て仙台の測量の専門学校へ通学。

私の家の仕事を手伝いながら勉強したのが災いしたのか、はたまた私同様、頭が悪いのか1年では卒業出来ず、2年かけやっと卒業し、仙台の小さな建設会社に就職しました。

そして就職から10ヶ月後の正月に仕事中の事故でなくなりました。享年21歳でした。

死因は小さなクレーン車を操縦していて、農道のコブに乗り上げクレーン車が転倒。その下敷きになったのです。転倒時にクレーン車から飛び降りたのが災いしました。そのまま操縦席にいれば助かった筈ですし、反対側から逃げていれは死ぬ事も無かった。

それに彼は測量士として就職したのです。クレーン車の免許は持っていませんでした。何故、クレーン車に乗らなければならなかったのか。乗り物好きでしたから、自分から進んで乗ったのか。会社からの命令だったのか。今となったら真実は分かりません。

就職した会社は私の家から直ぐ近くにあります。住んでいたアパートは、会社所有の寮です。その会社を選んだ理由は、私から遠くに離れたくなかったからなのか。

専門学校の卒業が長引かなければ、その会社に就職しなかったかも知れない。

福島から仙台に出て来なかったら。そして、私が存在しなかったら死ぬ事はなかったのでは。

更に彼は亡くなる1、2ヶ月前から今まで世話になった人々、懇意にしていた友人、親戚、親、兄弟に挨拶周りをしてました。

そして私の家にも訪ねて来た。私は当日、部屋で寝ていたのですが、私の弟は「出かけている」と言ってしまった為、会えずじまいでした。

人生とはパチンコの玉の様な物だと思います。数々のピンに当たり運命が変わります。

もし、最後に私と会っていたら、私が最後のピンとなっていたら死ぬ事は無かったのでは・・・・・。

もう、従兄弟が亡くなって30年以上経つのですが、未だに後悔しています。苦しんでいます。

もし、彼が今も生きていたら、私の運命も変わっていたと思います。

第一、私は元来目立ちたがり屋で、リーダーシップがあって、積極的で、かなりの人気者でした。

今は全くもって正反対です。人との付き合いも苦手で、消極的。性格も暗い方です。

彼を失ってからの私の人生は、空虚そのものになりました。

惰性で生きている様なもんです。

 

つづく。

 

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