諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

余命3ヵ月と言われたら、即身仏になろうと思ってた。

2018年11月27日 08時40分15秒 | 霊体・恐怖
余命三ヶ月。そう言われたらその三ヶ月をどう過ごそうか。

この件で長年考えました。答えは未だに出ていませんけど。

折角この世に生まれたのだから、何か生きていた印を残したい。それにはどうすべきか。あと三ヶ月しかない。出来る事は限られている。

家族がいるのであれば残りの時間を家族と共に過ごすのだろうけど私は独り身。死ぬ時は一人。一人の方が私は良い。

でも何かを残したい。人々に自分の事を覚えて貰いたい。出来れば人の為になる事をして死にたい。だったら、どの様に死んだら良いのだろう。

若い頃の私が考えに考えて出した答えが即身仏です。私が即身仏になって日本の平和を永遠に祈り続ける。それで日本が平和になるのであれば、素晴らしい死に方だと思いました。

そう思ったら居ても立っても居られない。即身仏になるにはどうしたら良いのか。

調べましたよ、若い頃の私は。本当に死ぬつもりで。

即身仏は簡単に言うと、土の中に穴を掘って竹の節を切り抜いた竹筒を刺して空気穴だけを残して入り、念仏を唱えながら餓死します。

その数年後に掘り起こし、どっかのお寺に安置してもらい、信者たちや参拝客に拝んで貰う寸法です。

全国に十数体の即身仏があるそうです。その内、六体の即身仏が山形の庄内地方のお寺にあります。湯殿山麓呪い村あたりだと思います。

即身仏はただ単に土の中に入れば良いってもんじゃありません。その前に即身仏になる為の準備が必要。その準備が私に出来るのか・・・・・。

即身仏はミイラです。綺麗にミイラになる。腐らない様にミイラになる。それにはどうしたら良いのか。

先ず、ギリギリまで身体を絞る必要が有ります。ガリガリに痩せねばなりません。脂肪たっぷりの身体では腐ってしまうので。

一般的には殆ど食事をせず、野山を念仏を唱えながら歩きまくって痩せるそうです。

うーん、それってキツイぞ。

それでなくても通常の人より太っている私です。それに身体が硬い。そんな私が野山を歩き回る。山歩きは使っていない筋肉を酷使します。本当にキツイぞ、そりゃ。

更には防腐剤として漆の樹液を飲むらしいです。漆を飲みまくって腐らない身体を造るそうです。

私、漆を飲んだ事なんて有りませんから分かりませんけど、漆に触れるとかぶれる訳です。それを飲むのって健康に悪そう。どうなるのだろう。

調べてみたら、漆には蛆や細菌を撃退する成分があるそうです。そして漆を飲むと大汗をかき嘔吐を繰り返す。それで痩せるみたいです。ライザップより効果が有りそうです。でも本当に辛そうだ。

そうやって体重を落とし土の中に入ります。そして念仏を唱える。

そこでボンヤリと生きて来た私でも流石に気が付く筈。念仏ってどう唱えたらいいのか。般若心経で良かったのか・・・・。

うーん、私は仏教徒なのだろうけど、そんなに仏教を信じている訳ではない。修験者でもない。

それなのに何で即身仏にならなければならないのか。この死に方に意義は有るのか。「即身仏になるんじゃなかった。失敗したぁー」と後悔するのではないか。

土の中で「即身仏は中止。出してくれぇ~~」とか叫んだら、出してくれるのだろうか。

「何を言っているんだ今更。男が決意したなら最後までやり通せ。念仏を唱え続けて早く餓死して、立派な即身仏になれ!!」とか介添え人に言われたりして。

私の事だから土の中で悩みに悩む。餓死は相当に辛い死に方。ダイエットも成功しない私に出来る訳が無い。

もう「助けてくれぇ~、ここから出してくれぇ~、すみませんでしたぁ~」と絶叫し続けるでしょうね。

そして絶望し諦めて餓死する。即身仏となり掘り起こされる。その姿はどうなっているのだろうか。

私の事だから絶叫した表情で死んでいると思います。もの凄い形相の筈です。それって即身仏として大丈夫なのか。

更に考えてみたら、私は足が太くて内股なので座禅・胡坐が出来ない。恥ずかしながら女の子座りとか、M字座り??しか出来ないのです。

そんな座り方して凄い形相しているデカ頭の私のミイラを、即身仏として迎えてくれるお寺が有るのだろうか。

調べてみたら、やはり綺麗な形で即身仏に成れないケースも有るそうです。それでなくても即身仏は恐ろしいのに、苦悶の表情のミイラって凄く恐ろしい。

私の場合は更に女の子座りしている。色々な意味でもっと恐ろしい。この即身仏はオカマだったのかと思われてしまう。それは違う。それは断じて違うぞ。

即身仏になる前に「オカマじゃないよ」と張り紙を頼んでおく訳にも行くまい。これは困ったぞ。

その点も調べてみたら、凄まじい形相だったり、綺麗に座禅・胡坐していない即身仏は人様に見せられず、お寺にも安置されず、人が立ち寄らない蔵みたいなところに置かれたりするそうです。

それだったら即身仏になる意味ないじゃん。

うーん私の場合、絶対にそうなる筈。それって本当に私らしい落ちだ。私の人生、何時もそんな感じだったもん。

絶対に嫌だ。三ヶ月の命だとしても即身仏になるのは中止だ。ヤメ、ヤメ。

そう思って即身仏になるのは諦めました。

凡人は凡人らしく死ぬ。黙って消える。そして自然に帰る。それが私らしい死に様のように思います。

それで十分だと思います。


ではでは。




コメント (4)
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