諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

人はボケる前に死ぬべきではないか?

2020年12月03日 22時34分39秒 | 人生
今回のお題は中々の問題発言だと思います。お題だけで判断せず、全てお読みになってご判断いただければ幸いです。

さて、今から50年前、私はいわき市の好間町から仙台の肴町、今の大町へ引っ越して参りました。

隣は贈答用の「笹かまぼこ」を乗せる竹細工の器の工場だった。その家には18~20歳前後の知的障害者がいた。砂嵐のテレビ画面に顔を近づけて洟や茹れを垂らし、「ウッー、ウッー」と唸っていた。

気の毒だった。本人よりも家族が。家族の皆が泣いている感じがした。彼を恥じている感じがした。

その後、コスト削減でかまぼこメーカーは竹細工の器からプラスチック製に変更。その主人は失業し、一時期、私の家で働いていた事があります。その主人が大泣きしていたのを未だに覚えています。

私もそんな知的障害者を養っていたとしたら、自殺したくなります。神を恨みます。私がブログを書いているのも神に対し、理不尽・不条理を感じている面もあります。

私がそんな知的障害者であったなら生は望まない。意思は無いだろうが、家族に迷惑をかけたくない。家族の為に死にたいと思う。

それで長年想っていたのだが、自分の意思が発せられない者は死後、どの様になってしまうのだろうか。

自分の死が分からずに死ぬ。幽霊になる。「うらめしや~」とも言えない。ウッー、ウッーと唸るだけ。

恨みも未練も感じていない。生も死も分からない。それだったら幽霊にも成れないのではないか。

死んで霊魂となる。でも物事の判断能力が無い。そう言う者が死んで霊魂になって、どんな意味があるのだろうか。

霊になっても自分が分からない。苦しみ、恨み、悔やみさえ理解出来ない。そうなったら、どうなのだろう。

こんな事、長年考えてきたのであります。

そして私が38歳の時。某有名戦国武将を祀る神社で丑三つ時に幽霊と遭遇。その幽霊は正気を失った表情をしていた。それで何となく思った。何故、幽霊になるのかが。

それは自分の死を理解していないから。理解する能力が無いから。

アルツハイマー&パーキンソン病の男と対峙した時もそう感じだ。

彼は自分の幻想を現実として疑わなかった。全てにおいて自分は正しい。隣の部屋の者が包丁を持って壁を突き抜けて襲って来たと言い放った。現実が分かっていなかった。

現実が分からないままで死ぬ。当然、自分が死んだのも理解出来ない。だから成仏出来ず、幽霊のまま彷徨うのではないのか。

っと言う事は、死ぬのだったらボケる前に死ぬべきではないのか.。ボケてから死んでは遅いのではないか。

死んだら20歳前後のシャキーンとした感覚に戻る。そして霊として永遠と成る。それなら良いのだけれど、そうじゃなかったら。ボケた状態のままだったら。

悪い奴は悪い奴のまま。鈍くさい性格はどんくさいまま。意地悪な性格もそのまま。ボケてしまったら、ボケたまま霊として永遠に成ってしまうのではないか。

そう考えたら、若い内に死んだ方が良いのかも知れない。

私だって56歳。20歳の時よりはボケている。ボケた状態で霊となるのって、死んでから苦労するのではないか。損ではないのか。

はぁー、こんな事考えて生きて来たのだから、生きる意欲が湧かないのも当然か。気力が湧かないのも、欲が無いのも当然か。

案外、これが無我の境地だったりして。どうなのだろ。分かんないなぁー。

もしかして若くして自殺した者の中には、この想いに取り付かれて死を選んだ者もいるかも知れん。死んでから得をしようと思って。

うーん、馬鹿げた考えかな。馬鹿げた考えなのだろうな。

でも、少なくても私は自分の死を認識・納得して死にたい。そこに大きな意味がある。そんな感じがする。

其れは今のところ、間違っていない様な気がする。


ではでは。

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10数年ぶりに花粉症が再発。

2020年12月03日 01時35分39秒 | 出来事
目が痛い。涙が止まらない。開けていられない。

鼻がむず痒い。鼻水が止まらない。鼻をかみ過ぎてヒリヒリする。

くしゃみが止まらない。外に出ると特に。

私の肺活量は7000cc以上(高校時代)。7000ccの空気がくしゃみで大爆発する。天下を取れる大爆音ある。

外を歩いていてくしゃみをしたら、前を歩いていた30代と思える女性がギャーと大絶叫して後ろにひっくり返った。

私は「すみません」と小声で謝って、逃げる様にその場を離れた。私のくしゃみは凶器だ。

ダメだ。外にはいられない。くしゃみが止まらない。

家に居ても涙、鼻水、くしゃみ。酷い。辛い。こんなに酷いのは10数年ぶりだ。

理由は検討が付いている。漢方薬だ。漢方薬を飲み始めてから「あれれっ」となった。段々と酷くなった。そして限界の酷さに。

10数年前の私はとんでもない花粉症だった。しかし、段々と治って行った。

それが漢方薬を服用する様になって再発。どう言う事だ。

昨年、花粉症はネアンデルタール人の遺伝子の高い免疫力によるものと発表があった。

ネアンデルタール人。推定身長165cm、体重80キロ、脳の容量1600cc。

現代人の脳の容量は1400cc。つまり、ネアンデルタール人はデカ頭。

そして身長165cm、体重80キロ。これ、私の身体的スペックと一緒。つまり、私はネアンデルタール人の遺伝子を色濃く受け付いている男なのだ。

だから酷い花粉症だったのが、免疫が低下して花粉症が収まった。

これはコロナ禍でも証明されているが、糖尿病で免疫力が低下したと考えられる。

それがまた花粉症が再発した。漢方薬を飲んでから。

漢方薬が私の免疫力を高めた。だから花粉症が再発したのではないか。

兎に角、くしゃみ、鼻水で生活が大変。これは間違いなくデメリットだが、免疫が高まったと言う事は、コロナウイルスには強くなったと考えられる。

現在、コロナ第三波のピークにある。急に重症者や死亡者が増えている。ここに来て免疫力が高まったのであれば、これは喜ばしい事ではないか。

でも、本当にくしゃみ、鼻水が酷い。目も鼻も鼻の下もヒリヒリする。花粉症の薬が飲みたい。

花粉症の薬は免疫力を低下させて感覚を鈍化させる。それで花粉症の症状を緩和させる薬である。それを飲んだらコロナにかかり易くなるのではないか。

糖尿病の主治医に聞いた。先生は一瞬、ドキッとした表情。一呼吸置いて話し出した。

「その可能性に付いて研究されているが、関連性は報告されていない。問題は無い」。

その話を聞いて、弱い効能の花粉症薬を飲みだした。私から弱くても副作用の低い薬をお願いした。

結果、そんなに効いていない。でも、これ以上、強い薬は飲まない方が良い。それでなくても大量の薬を飲んでいるのだから。

はぁーっ、このコロナ、来年も続く筈だ。来年が山場になると思う。

オリンピックなんてどうでも良い。秋篠宮の眞子と小室圭の結婚なんてどうでも良い。そんなのクダラナイ。先ずはコロナだ。

はぁーっ、来年も大変だ。来年も大変だ。


ではでは。

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