諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

故人を想い過ぎると、引っ張られてしまうのだろうか。

2021年03月26日 18時54分22秒 | 人生
私、人より人生に付いて深く考えたりしている訳ですけど、こんな人生ってあるのか。神は不条理で理不尽だと憎く思ったりもします。だからと言って、何んの解決策も浮かばないのですが。

さて、東日本大震災から10年が過ぎました。関連死、行方不明者を入れれは2万人が亡くなった。

親を亡くした。子供を亡くした。兄弟を亡くした。

2万人の犠牲者だけではない。その遺族は自身の心も亡くした。その辛さは10年過ぎようが、まだまだ癒えない筈です。

さて、「青い鯉のぼりプロジェクト」と言うものが、東松島市で発足しています。

発起人は20代の男性。祖父と祖母、両親、そして2人の弟の7人家族でしたが、3.11の東日本大震災の大津波で祖父・祖母、母親、末の弟を亡くしています。

末の弟は当時5歳。その弟が好きだった青い鯉幟を、毎年3月11日から5月5日まで皆で持ち寄って天空に泳がせようとするプロジェクトです。もう10年続いています。

彼は大変気の毒です。家族4人を失ったのですから。

1人の家族を亡くしただけでも心は削られる。4人ともなると現実が分からなくなる。植物状態で生きている。私ならそうなると思います。

でも、彼の悲劇はまだ続きます。昨年の4月11日に直ぐ下の弟が中型オートバイ事故で亡くなっています。23歳だったそうです。これってどう言う事なのでしょう。

私はすぐさま彼の家族の姓名判断をしてみましたが、彼を含めて全員悪い運が忍び寄る名前でした。でも、9年後に彼の長弟までバイクで命を落とすなんて運が悪過ぎです。

昨年、芸能人の自殺が相次ぎました。引っ張られる感じで亡くなった。でも、彼の弟は自殺ではない。事故死。

亡くなった日は4月11日。月命日。引っ張られたのではないのか。

愛する家族の元に旅立つ。それは幸せな事なのだろうか。

亡くなった祖父・祖母、母親、末弟を想いながら生きるのは大変辛い。その辛さがそうさせたのか。

残った父親と長男である彼の辛さは更に増した。やっぱり死んじゃいけない。

でも、自殺ではない。事故死だ。事故死は避けられないものなのか。何故、このタイミングで事故死なのか。

バイクって、辛い時があると私もスピードを出し過ぎると言うか、暴走したくなったりします。だから私、スピードの出ない90ccのバイクに乗っているのです。

自分の能力を超えるバイクでの暴走は死と隣り合わせ。鬱の私は乗べきではないと思っています。

でも、それでも「もう、どうでも良いや」と思っちゃう時ってあるんですよね。暴走しなければ心が破裂してしまいそうになる。警戒感も無くなり、心が無になり走ってしまう。その時、魔に狙われてしまう。

否、「死んでも良いや」と思っているから、自分から魔に近付くのかも知れん。それって避けられないものなのか。

酒を飲んでバイクを運転したら意識が朦朧とするだけではなく、気も大きくなり思考も飛んで「もう、どうにでもなれ」となってしまう。

だから飲酒運転はするべきではないが、酒を飲まなくても辛い出来事を体験した者は、そうなってしまう。それは避けられない。心の辛さが精神を狂わせてしまう。

死んだ者の事は忘れろ。

忘れられる訳がない。何時までも悲しい想いは続く。こんな辛い一生は無い。亡くなった者より、生き残った者の方が遥かに辛い。やっぱり、暴走してしまう。

辛い想いをした者は、バイクには乗らない方が良い。

どうせ、忘れる事なんて出来ない。心の辛さは死ぬまで取れない。

辛い想いをした者は鈍くて良い。一生、死者を想い続けるのだから、ゆっくりと考えて生きて行くべきなのだ。急いではダメだ。鈍い位で良いのだ。早急に答えを出してはダメだ。

悩みながら。悔やみながら。学びながら。

そして亡くなった者の人生を考えながら、ゆっくりと考えながら生きる。それで良いのだと思う。

故人を想う事は悪い事ではない。答えは直ぐ出さなくても良い。ゆっくりで良い。死の直前じゃないと分からない事や、死なないと分らない事もあるやだろうし。


ではでは。


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