今日、父が亡くなった。
私は父の遺体を見れば殴らずにはいられないと思っていたが、そんな気持ちは全然起こらなかった。
父が亡くなる3か月前、父は私に寄って来た。私も父に寄った。お互いに助け合った。多少だが分かり合った。それは幸いだった。
父は誤嚥性肺炎で30キロ以上痩せた。3か月以上点滴で生きていた。一時は70キロ代だった体重は30キロ代になって別人の姿になった。そして亡くなった。
亡くなった姿を長く見つめていた。未練、恨み、悪意が立ち込めるのではないか。そんな気が遺体から発するのではないかと思い見つめていた。
何も起こらなかった。浄化していた。その姿に私も浄化した。父に対する恨みが大幅に消えた。
それにしても生前の父はどうして私を嫌っていたのだろう。
父の口癖は「生き馬の目を抜け」、「泥棒の上前をはねろ」だった。それは生きる上で当たっている部分がある。
だが私はそんな残酷な事なんて出来ないし、狡賢く振る舞えない。それでは世の中、上手く乗り切れない。
父とは正反対の性格になった。それでは世の中生きて行けないのだろう。自然界で善なんて余裕を持っていられない。生きて行けない。悪じゃなければ生きて行けない。だから「ダメな奴」として父に嫌われたのだろう。
でも、そんな事をしたら祟りになって返ってくる。私が悪を発動した時、何度もそうなった。私は祟りで悪を規制されている。それでは成功しない。私は生きるのには向いていないのだろう。
死はやはり浄化だと思う。浄化すれば悩みも苦しみも消える。死と言うゴールがあるから、苦しくても生きて行けるのではないか。
父も生きるのを苦しんだ。その苦しみを私にぶつけないと平常を保てなかった。
そんな父は天国に行くのか、地獄に行くのか。
多分、どちらでもない。浄化は無になる事だと思える。
浄化は善でも悪でもない。もう善悪で悩む事は無い。それは幸せと言えるのではないだろうか。
上手くは説明できないが、何となくだか、そんなふうに思える。
ではでは。