諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

かかりつけの床屋マスターとの会話。その1

2024年07月22日 01時20分07秒 | 人生
数日前、かかりつけの床屋にバイクを走らせていて、ふと思ったのです。「水筒を忘れた。床屋で喉が渇いたらどうしよう」と。

実は二日前から抗うつ剤を絶っていたのです。少し調子良かったので。

それが「喉が渇いたら・・・」と不安に思っただけで鬱が降って来た。過呼吸もしている。バイク運転中に過呼吸はやばい。

落ち着こうとベンダー(自動販売機)で100円の550ml栄養ドリンクを購入。がぶ飲み。喉の渇きは落ち着いたが鬱は消えない。逆に「床屋でトイレに行きたくなったらどうしよう」と新たな不安が。

「こりゃダメだ、帰って抗鬱剤を飲んで寝るしかない」。そう思って帰宅。

次の日も完全には鬱は消えない。そして二日後、床屋に行ったら店は閉まっていた。貼り紙があり、「次の土曜日まで休みます」と書いてあった。

そう、私は重度のHSP。「床屋さんが1週間以上店を休むのは不幸があったからではないのか」と脳裏を駆け巡る。人柄が大変良いマスターだから気の毒に思う。

「仕方ない。10日後にまた来よう」と家に引き返す。

そして10日後。店に行くと予約がいっぱいで今日は無理とのこと。

「明日は大丈夫ですか」と聞いたら、「明日も分からないです」と返答。仕方なく帰った。

そして次の日。天気は雨。「雨だったら客も少ないのではないか」と考え、アウトドア用のレインコートを着て店に。15分待ちでやっと髪を切ることが出来た。

私は失礼とは思いながらマスターに聞いた。「一週間以上店を閉めていたのは、何かご不幸があったのではないですか」と。

マスターは「母親が亡くなりました」と。

やはりそうか。このマスターは50歳前後だろうか。私よりも年下。しかし、床屋ゆえの雑学に長けている。人となりも良い。人生を知っている。人格者だ。そんな彼でも流石に落ち込んでいる。

前の客とは釣りの話をしていたが、気丈に踏ん張って仕事をしている様だった。

何時もは私の悩み事を聞いてもらっていたが、今度は私が聞いてやろうか。

でも、宗教の話はタブーだ。店には聖教新聞が置いてある。間違いなく創価学会員だ。その点は考慮して私から話を切り出した。


続く。











コメント (23)
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