諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

いわき市を旅して来た。【道の駅(よつくら港・安達下がり)車中泊編】その2

2017年08月21日 08時31分18秒 | 旅行

続きです。

「道の駅 よつくら港」ですが、2011年の正月にも車中泊しています。その3ヵ月後に震災で津波が来て施設は流された。現在の施設は新築です。ここはコンビにも近く食事も出来て便利なのですが、国道に面しているので交通騒音が凄いです。

情報館という施設がありまして、そこでエアコンが効いていて私は本を読んでいました。そこに合羽を着てヘルメットを持った若い男性入ってきた。地図とスマートフォンを取り出して何か調べています。

私、幼い頃から人の顔色を伺って生きて来たので良い人と直感。何か困っている。それで声をかけました。「何のバイクに乗っているのですか」と。

その男性はスズキST250に乗って筑波から来たそうです。研究職で出身は九州。東北を一周する。6号線で海岸線を北上するそうです。

私は言いました。「6号線は通行止めになっている区間があるよ」と。

彼は驚いて言いました。「それは終了したのではないですか」と。

私は「確かに全面的に通行解禁になったけど、それはクルマでの話。バイク、自転車、歩行はまだ駄目。止められるよ」。

彼は「しょうがないからこれから民宿を探す」と言ってたので、数百メートル先の「蟹洗温泉」勧めました。そこは雑魚寝ですが宿泊も出来る。料金は一泊3000円。アンモニア臭くてあんまりいい温泉じゃない。蟹を茹でた臭いに似ている。だから蟹洗い温泉なのか。私はこりごりだけどもう9時も過ぎているし、民宿はお盆だから満室の筈。しかも津波で流されて少なくなっている。今からでは無理。

そう言うと彼は大変感謝してました。そのまま行ったら大変な事になったと思いますからね。

彼は九州から筑波に出てきて筑波の地震の多さには驚いていました。「故郷の九州は地震が少ない。こんなに地震が頻発しているなんて」と。

私は「筑波なんて仙台の比じゃないよ。震度6強の凄さはとんでもない。未だに揺れているのだから」と。

そして迂回するなら裏磐梯へは行くべき。そして震災の震源に一番近い牡鹿半島にも行くべきだと勧めました。

彼も震災と津波の爪あとを見てみたい。ギリギリまで海岸線を走り、通行止めの箇所で中通りを進みまた海岸線に戻るルートを取ると言ってました。

私は「それは良い事だ。人生が変わるよ。是非、見ておいた方が良い」と勧め彼と別れました。

彼はやりたい仕事をするため九州から出て来て筑波で働く。大変な部分はあると思うけど幸せな人生だと思います。私もやりたい仕事を求めて東京に出たのですが、夢破れて戻って来てしまった。若さって羨ましい。私も20代だったらなぁー。心は今でも26歳から歳を取っていないのだけど、この歳では戻れない。あっーまた気が重くなって来た(涙)。

「道の駅 よつくら港」へは2泊しました。次に目指したのは「夏井川渓谷キャンプ場」。入場料無料で設備もしっかりしている。ちゃんとしたトイレも駐車場もある。風光明媚。大変評判の良いキャンプ場です。ここに辿り着くのも大変でした。道に迷って。

そして到着。でも判ってはいましたが大雨が降っているのでキャンプ場は水浸し。小学生のボーイスカウトみたいな集団が炊事場で雨を防ぎながら料理を作っていましたが、こんな状態ではキャンプはしないだろう。そうなると私がキャンプ場を1人独占か。

否、こんなところで1人って怖すぎだろ。しかも盆地みたいな地形で海辺よりも暑い。どうしようか。

 

続く。

 

 

 

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いわき市を旅して来た。【道の駅(よつくら港・安達下り)車中泊編】 その1

2017年08月20日 13時14分49秒 | 旅行

車中泊。最近人気ですねぇー。

本格的なキャンピングカーから軽トラを改造したミニキャンピングカー、ミニバン、1ボックス車、ツーリングワゴン、軽ワゴン等々で車中泊している人が多い様です。

車中泊で一番人気の場所は「道の駅」だと思います。本格的なキャンプ場は結構お金取りますからね。ペンションの素泊まりの方が安いケースが多い。ファミリーだと特に。入場料の他に駐車料金、テント設営費も取る。高いよ。そんなキャンプ場に泊まるなんてバカバカしい。

キャンピングカーを大決断して大金をつぎ込み買ったわものの、ガソリン代も高いしキャンプするにも大金がかかる。こんな筈じゃなかった。そう思っている人、多いのではないでしょうか。

そんな人の救いの神は「道の駅」です。トイレもあるし、売店もある。くつろげるスペースもあるし、中には温泉付きもある。そして勿論無料。これは魅力です。

でも欠点があります。トラックが特にそうですけど、ずっーとエンジンを掛けっぱなしのクルマが多いのです。特に夏場は。

エアコン付けて寝ているのですよね、暑いから。これは本人は快適かも知れないけど、回りの車中泊客には本当に迷惑です。

1500ccのクルマで1時間アイドリングしてガソリン1リットルを消費すると聞いてますが、エアコン付けるとその倍以上消費するのではないでしょうか。

トラックは大抵エンジンをつけたまま寝ていますが、燃料代は会社持ちだからそうなるのでしょう。トラックはディーゼルエンジンだから特に煩くてたまりません。

それと軽自動車。3気筒エンジンも煩いですねぇー。特に古いクルマだとサーモスタットと言うのですか、エンジンを冷やす為のプロペラが回転する。ウワァァァァァーーーン、ウワァァァァァーーーーンと断続的に回転するので煩い、煩い。眠れない。煩くてしょっちゅうクルマを移動していました。

それとこれは「道の駅 よつくら港」での出来事ですが、午前0時頃にミニバンに乗ったファミリーが私のクルマの隣に駐車。親子5人が降りて来てテーブルと椅子を置いて談笑し始めたのです。夜中ですよ、寝なさいよ。

特に一番下の幼稚園児と思われる男の子がはしゃいで、はしゃいで、「♪マルマル、モリモリ、みんな食べるよ~~」と何百回も繰り返して歌うのです。それしか歌は無いのか。もう狂いそうでした。何で親は注意しないのでしょう。周りは寝ているのを知っているのに。しかもランプの電源の為にエンジンをつけっ放しにしているし。

車中泊で頼れるお父さんを演出しているのでしょうけど、周りの迷惑が考えられない欠陥人間としか思えませんでした。しょうがないからまたクルマを移動しましたよ。

夏でも窓を開ければ夜は涼しくて本来は快適に寝られるのですが、窓を閉め切っていれば流石に暑いです。でも窓を開けっぱなしにすると湿気っぽくなるからなぁー。

道の駅での車中泊は、夏はしない方が良いかもですね。真夜中に爆竹しているバカもいたし。私が神経質なのかも知れないけど・・・・・。

 

続く。

 

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いわき市を旅して来た。【暮らし編】

2017年08月19日 10時14分28秒 | 旅行

すいません、チョット番外編です。いわき市を久々に旅しての街の印象・実感を書きたいと思います。

先ず感じた事は「さすが日本一の大都市だった事はあるな」です。勿論、面積が元日本一ですけど。

兎に角、広い。移動に時間が掛かる。それと集落が点在している。人口密集地が少ない。一軒、一軒が離れているし、どの家も敷地が広い。100坪以上の家が当たり前にある。

今は静岡県の高山市が日本一で、いわき市は11位に後退した様です。どこもかしこも合併と言う裏技を使って大きくなったみたいですね。所謂、平成の大合併ってヤツです。

私が現在住んでいる場所も以前は宮城県泉市でした。仙台市に吸収合併して仙台市泉区になってしまった。これって良い事もあるし、悪い事もある。しょうがないのかな。国の負担を抑える為には。

福島県の矢祭町は「合併しない宣言」してますが、どんなものなのでしょ。羨ましいような、チョットずるい様な。まっ、いいですけど。

それはそうと以前は平駅だった、いわき市駅前をプラブラと車で流して思ったのですが、いわき市の中心部は狭いですねぇー。元々は「いわき市平」と言う町だったのですが、こんなに小さい町だと退屈。娯楽も少ないですし。これは暮すの大変だ。

いわき市は農家も多いし、小名浜中心に大企業の工場も多い。働く場は仙台より良いのかも。しかし、娯楽が無い。これはキツイなぁー。

だからだと思うが、いわき市の店はお酒ばっかり売っている。酒しか楽しみが無いのかなぁー。そえなるだろうなぁー。

それと、いわき市には高級車が多い。ベンツやBMWが当たり前の様に走っている。国産車も新車や高級車ばかり。私の様に古いアリオンなんかに乗っている者は少ない。

多分、「娯楽が無いから良いクルマにでも乗ってやろうか」と考えているのでしょう。しかも工場勤務だと仕事も詰まらない(失礼ながら)。尚更クルマに逃げるのではないかな。

私は運転が下手で高級車や新車なんて怖くて乗れない。運転すると緊張する。ノイローゼになる。ボロいのがいいや。気が楽で。

それと道の駅で食べる食料を買おうと、いわき市駅前のイトーヨーカドーに寄ったが、何時までも立ち話をしているオバちゃん集団ばかり目立った。

私は安物を探して右往左往していたが、何時までも話をしている。この御喋りが趣味であり娯楽みたい。だから宴会も好きで、お酒も売れるのではないかな。

そう言えば私の親父も或る事無い事は話す御喋り好きだが、こんな娯楽の無い町は御喋りするとが少ない楽しみなのだろう。それが仲間意識に繫がる。その感覚で仙台人と付き合い、馬鹿にされて騙されるのだな親父は。

それと結婚が早い。私の亡くなった従兄弟は男三人兄弟の長男だったが、二人の弟は共に10代で結婚している。次男は私より一つ年上なのに随分前に孫も産まれている。娯楽が無いから「やる事無いから結婚でもすっか」となるのだろうか。うーん、複雑。

私も仙台に引っ越さず、いわき市で暮していたらどっかの工場に勤務し結婚していた可能性があるなぁー。

否、私は飽きっぽいし、動きもスローモー。手先も不器用だから工事用勤務は無理か。そうなるとホテル勤務か。それも飽きそうだなぁー。

そうなるとやっぱり東京に出て書く仕事をしていたと思う。やっぱり私は東京から戻るべきではなかった。何度も倒産、廃刊を経験したが、野垂れ死んだとしても東京に残っているべきだった。未だに悔やむ。

東京は楽しい。そして地方出身者が多いから田舎から出て来た仲間同士で仲も良くなる。これは断言出来るが、仙台人よりも東京人の方が絶対に人が良い。やっぱり私は仙台では暮らしづらいな。

今の悩みは人の悪い仙台人が関係する。そして人を信じやすい「いわき人」の親が騙されてトラブルに遭う。それを解決しようとする心配性の私。最後は私がやらなくてはならない。辛い。親が敵側に付くし。

いわき市の現在を見ると、もう戻れないのは判る。戻るとしたら東京。でも50を越えている。東京に出ても野たれ死ぬ。

それでも良いのかも知れない。人は長生きすると迷惑がかかるもの。60歳で死ぬのが国にとっても理想ではないか。だったら野垂れ死ぬのも上等じゃないか。

何かそんな事を考えながらクルマを流していました。刻の涙を流しながら。

あっ、それともう一つ。いわき市は物価が高い。何だあの弁当の高さは。小さな幕の内弁当が680円。鱧弁当が750円。焼肉弁当が850円ってバカにしているのか。半額になるのを待ったが、それでも高いぞ。明らかに仙台や浦安よりも高い。ホテルも高い。大抵1万円オーバーばかり。そんな宿に泊まれるか。

震災前、原発の町である大熊町の平均年収は500万円オーバー。480万円の東京よりも高い。宮城県なんて今、250万円らしいぞ。多分いわき市は原発の影響で所得が増えているのではないのか。だからデフレに成功しているのか。アベノミクス以上だな、福島の原発事故の特需は。

現在、いわき市の土地の価格はとんでもない事になっている。何で田舎のこんな古い中古住宅が5000万円近いのかと驚く。こりゃ仙台よりも高い。こんな田舎なのに。

うーん、複雑。仙台は復興需要が終わったといえるが、福島県はまだまだこれから。放射能の除去なんてやっても無駄のような気がするが、やり続けなければならない。それが福島県人の懐を潤しているのも事実。

これは答えが出ない。本当に複雑だ。放射能で豊かになっている故郷を見ると。何も言えないわ。故郷を離れた私には辛さしかないけど。

 

ではでは。

 

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いわき市を旅して来た。【序章編】

2017年08月18日 09時33分43秒 | 旅行

平成29年8月13日から16日、三泊四日で故郷・いわき市を旅して来ました。旅の相棒はトヨタの初期型アリオン・1800。

「あれ、初期型ブルーバード・シルフィではないの?」とお思いでしょ。訳あってアリオンになってしまいました。その訳、そして想いに付いて何れ話します。

さて、このアリオンですが、後席が折り畳み出来てトランクまで平になる。つまり後席とトランク部分に寝られる。だったらケチって車中泊しよう。どうせお盆だから安い宿なんて取れないし。

それに車中泊は孤独な禊になる。私は楽をしては駄目なのだ。苦行をする。苦行を乗り越える。それが大事。

どうせ行き当たりばったりの旅。私の人生同様、計画通りには行かない。それが私の生き方。車中泊は私に合っている。そんな想いから決行する事としました。

いわき市の旅の目的は父方・母方の墓参り。そして私の思い出の地を周ってみたい。その思い出の地も行き当たりばったりで、行きながら考えよう。

そして見て周った場所は父方の墓がある平の浄土宗「九品寺」。

母方の北好間の曹洞宗「龍雲寺」。

従兄弟との釣りの思い出がある相馬の「松川浦」。

父方の氏神と思われる、いわき市好間町の「愛宕神社」。

母方の氏神であり、私の生まれた地の氏神とも思われる上好間の「八坂神社」。

幼い頃、大鰻と大鯉に驚いた「密蔵院賢沼寺(沼ノ内弁財天)」。

どうしても行かねばならないと思っていた水石山の妖怪・水石こと龍蔵権現。

子供の頃に不思議な写真が撮れた「閼伽井嶽常福寺」。

瀧夜叉姫の墓がある四ツ倉の「恵日寺」。

私が鬼渡神社を知る切欠となった三和町の鬼渡神社と呼ばれていた「永井神社」。

永井神社からの帰り偶然その前を通り、自然木の不思議な形の鳥居に導かれ参拝した三和町の「厳島神社」。

キャンプしてみたいと思っていた「夏井川渓谷キャンプ場」。

車中泊した場所は道の駅「よつくら港」と同じく道の駅「安達・下り線」。

 

それぞれの出来事は写真を載せて書きたいと思っていますが、写真の載せ方が今一判らない。県民共済の無料パソコン教室の先生にまた教えて貰ってから書こうかと思っていますが、どうなる事やら。

特にに水石山での警告と思える出来事。恵日寺での失望感は書こうか迷っています。怖い部分もありますし。大雨での参拝で大変で、それが禊になっていれば良いのですが。

それはそれ、月日を重ねてから書ける状態になったら書こうと思います。

それでは、その時までお待ちください。

 

ではでは。

 

 

 

 

 

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永井平九郎と永井伝八郎直勝。そして私。【御鍋神社参拝編】

2017年08月16日 13時31分05秒 | 永井平九郎

永井平九郎と永井伝八郎。名前、似ていますよね。それよりも前に永井平九郎と永井伝八郎直勝についてご存知じゃない人も多いと思いますけど。

永井平九郎については過去の永井平九郎シリーズを見てください。

永井伝八郎は池田恒興を討った長田伝八郎直勝が、主君・家康より「ワシは一応源氏だ(嘘の可能性あり)。源義朝を討った長田姓のままはマズイ。遠くは同祖である鎌倉の大江流に入って長井姓を名乗れ」と言われた。

長田氏は元来、永井の姓も持っている。多分、平将門公の時代には持っていたのだろう。それならと言う事で、長井姓ではなくて永井姓を名乗る様になった模様です。

実は数年前、永井平九郎、そしてその両親とされる平将門公・桔梗姫を祀る福島県天栄村の御鍋神社へ参拝に行きました。チョット大げさですが、正直、死を覚悟して。

何故、死を覚悟したのか。私は永井伝八郎直勝の一族に入ります。そして直勝の10代前は源義朝を討った長田忠敬。直勝は長田忠敬の実兄の家系となります。

そして長田氏の家系は平将門公の従兄弟でライバルでもある平貞盛に繋がります。

平将門公が朝廷に使えていた時、貞盛の母方の叔父である源護が将門公の領地を奪った。それに激怒した将門公は朝廷から戻る。そこを待ち伏せしていた源護は戻って来た平将門公を襲撃。源護にしたがっていた貞盛の父・平国香はこの時、将門公に討たれて死亡した。

平貞盛は非は父・国香達にあるとして、父の敵討ちは考えていなかった。しかし、叔父である平良兼、良正の説得で将門公を討つ事を決意した。

戦は終始平将門公側優位に進展した。平貞盛は何度も敗退して逃げ回る。

そして最終的には母方の叔父である藤原秀郷の協力を得て、4000の兵と共に平将門公に対峙。急であり、繁農期で兵を集められない平将門公は少ない兵で応戦。

将門軍は平貞盛連合軍を蹴散らし2900の兵を逃亡させるも急に風向きが変わり、平将門公の軍が窮地に陥る。そして流れ矢を額に受け将門公は絶命。平将門公の乱は平定。以上です。

つまり平将門公・永井平九郎親子と私は、同じ家系でありながら敵味方に別れた関係です。私は将門公と永井平九郎の仇筋となるのです。

どうですか、坂東平氏って複雑でしょ。土地をめぐって肉親同士で争う。出世と欲の塊。こんなだから野蛮人として朝廷から蔑視されるのです。

もっとも永井伝八郎直勝が大名になった頃、色んな方面の長田さんが永井姓に変えたみたいで、訳がわからなくなりましたが。。

永井伝八郎直勝も平将門公を十分意識していたと思います。直勝は知多半島・大浜出身ですが、何の因果か将門公と祖先の平貞盛が争った土地である古河藩の藩主となったので。

こんな事からも因果ってものが、何かしら関わっていると思わずにはいられないです。

将門公の乱は、将門公の領地を奪った源護・平国香に原因があります。子である平貞盛それを認め許しはしていた。将門公と貞盛は元々は仲が良かった事もあった。

しかし周りの意見に逆らえず将門公の討伐に参加。そして討った。将門公は坂東平氏の為にも朝廷からの脱却を考えていた。一族で争っている場合ではなかったのに。

その将門公の恨み、そして祟りにより貞盛の子孫である長田忠敬や平清盛の平家、源氏(源護と系統は違うけど)、そして藤原秀郷の血筋の奥州・藤原氏の滅亡につながったのではないか。私はどうしてもそう考えちゃいます。

その私が永井平九郎と平将門公が祀られている御鍋神社に参拝に行く。正直、恐ろしい。祟られるのか。どうなるのか。

結果、死にました。私の愛車・ダイハツアトレーのエアコンが。

仙台からアトレーで御鍋神社に向っていたのですが、福島市の辺りでエンジンがキュルキュル言い出して、恐る恐るエンジン低回転で向ったのです。そして天栄村入ったらキュルキュル音が止まった。直ったと思ったのですがエアコンのベルトか何かが切れたみたいで、エアコンが死んでしまいました。真夏だったのに。

拒まれている様な気がしました。でも、行かなくては。お参りしなければ。それも禊になるでしょうから。

何とか無事参拝してした私は、或る程度、少しは許して貰えたと思っています。私の代わりとなったアトレーには悪い事をしちゃいましたが。多少の禊にはなったと思っています。

こんな事考えている私をイカレた奴だと思っていただいて結構です。私もそうかもしれないと少なからず思っています。でも、そう思わずにはいられないのです。私の人生は色々ありますので。

また行って見る必要があると考えています。そして実感したい。許されているのかどうかを。それが切欠に何かが変わるかも知れないので。

 

ではでは。

 

 

 

 

 

 

 

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