諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

俳優・田中実の自殺に想う。

2017年08月11日 11時08分01秒 | 人生

先日、深夜映画を見ていたら、10年位前の「受験のシンデレラ」が流れていました。

予備校経営で大成した主人公が、田中実さん演じる友人の医師に余命1年半の末期がんを宣告される。絶望した主人公に田中実さん演じる医師は、最後まで生き甲斐を持つようにと話す。主人公は家庭にも金銭的にも恵まれない少女に一人で生きられるように、家庭教師をして東大合格を目指すと言うストーリーでした。

死に向かう患者にアドバイスする医師を演じた田中実さん。良い演技していました。印象に残りました。

その彼が2011年4月に自宅で首吊り自殺した。享年44歳。私、かなりショックでした。ショック過ぎて未だに引きずっています。だから今回書く事にします。

私、何故か田中実さんが気になっていました。誠実そうで背が185センチと高い。フルサイズのオフロードバイクに乗るのが夢だった私としては、本当に羨ましい。ちゃんと家庭も持っている。名声もある。慕われてもいる。私が持っていないものを持っている。無い物ねだりしても仕方ないけど、私はせめて背か欲しい。あと10センチ足が長ければ・・・

「良い人っぽいな」とは思っていましたが、今思うと私と何となくだが性格が似ていそう。私みたいに舐められたり、騙されそうな感じがするし。勿論、会った事は無いですけど。

でも何で自殺したのだろ。彼は俳優としてもマズマズ順調だった筈。何があったのか。何で死のうと思ったのか。鬱だったのは間違いないだろうけど、生きる辛さ以上に愛する家庭とやりがいが有る仕事を持っていたのに。私よりずっと恵まれているのに。何故なのかずっと気になっていた。

彼は結婚して子供も二人いる。何故、子供の為にも生きて行こうと思わなかったのだろう。判らない。結婚した事も無い私には全然理解出来ない。

不倫していたとの噂もある。相手の女優の小説に彼らしい人物をもっともらしく書かれていたそうだが、それは自殺から8年も前の話。違うだろうな。

やっぱり仕事が原因だと思う。何を悩んでいたのか。

彼は90年のNHKの連続テレビ小説「凛凛と」で主役を演じています。田村正和や萬屋錦之助の様な大物俳優とは言えませんが、一定の認知度はあった。それなのにどうして。

彼は仲代達也の無名塾出身。根っからの役者。俳優以外の何者でもない。それが一因なのかも。

彼が亡くなる前、私が最後に見た彼の作品は「仮面ライダーW」のスピンオフドラマ「仮面ライダーアクセル」です。

役どころは頼れる仲間の刑事を演じていたが、その正体は敵の大ボスの怪人だった。実は私、直ぐにストーリーが見えました。彼のそんな役どころを何度も見ていますので。

2時間推理ドラマでも味方で協力者だったと思っていたら犯人だった。彼はその役どころにピッタリなんです。爽やかで誠実でとても良い人に見えますから。そんな人物が悪意を持つ犯人だった。見る方はショックを受けますからね。

彼以外でも宮川一朗太なんかそのタイプです。

見るからに良い人。実は犯人だった。ベタな推理ドラマでは何時もそうなります。宮川一朗太が出てきたらもう犯人決定。ストーリーが読めてしまう。

田中実さんにもそんなイメージが付いて来た。そうなると流石に出番も少なくなる。推理ドラマは読まれたらお終いですから。

宮川一朗太の場合、俳優をやりながらも旅番組やバラティーにも新天地を求めた。ギャンブル好きで離婚していた事なんかが話題となって、良い人キャラから駄目キャラに変身した。今までのイメージ払拭に成功した。

実は田中実さんは宮川一朗太と同じ大手芸能事務所・オスカープロモーションに、亡くなる5ヶ月程前に移っています。オスカープロモーションでも宮川一朗太の様に、彼に新たな転換を求めたのではないか。

田中実さんの声はナレーションにも向いていますし、あの真面目で爽やかなキャラクターが面白い事をすると受けます。その期待が有ったのでは。

でも彼は役者一本でやりたかった。もしくは不器用で真面目故にその事で悩んでいたのではないか。

彼には家庭がある。子供もいる。悩んでいる時間は無い。収入が必要。直ぐに変わらなければならない。でも壁は突き抜けられない。どうしようもない状態になっていたのでは。

否、変わりたくなかった。役者としての今までの自分を変えたくなかった。捨てたくなかったのかも知れない。

そして東日本大震災が発生。多くの人が亡くなった。死について考えるようになった。死が身近に思えた。死が羨ましくも思えた。

自分はこのまま変わらずに今までの自分でいたかった。それには死しかないと考えたのではないか。

彼は死の1ヶ月前からブログを書き始めた。それは自問自答の意味合いがあった。人にも聞いて貰いたかった。そして信念を曲げずに人生を終わらせる決断をしたのではないかと想えます。

 

空を見上げて考える時は 何か良い事ありそうな気分

下を向いて考える時は どこか気持ちが沈んでいるような・・・・・・

考えるから人間だって 言ってたのは誰だっけ

考えるのは大好き 空を見上げて考えたい 空を見上げて考え続けたい

 

これ、彼の最後のブログでの書き込みです。この気持ち判るんですよねぇー、私もとことん考えなければ気がすまない性質なので。

その前のブログでは普通に日常の事を書いています。この書き込みをした日、或いはその前日、何か有ったのだと思います。

彼は趣味が無かったみたいです。役者一筋。仕事が全て。だから仕事に対する信念は曲げられない。その信念を揺るがせる出来事が有った。或いは意見、忠告された。それで悩み自身の沸点を迎えた。そんな気持ちがしています。

真面目で頑張り屋だったが、それだけでは突破出来なかった。どうしようもなかったのかなぁー。どうしようもない事ってあるんですよねぇー、人生には。私の人生もどうしようもない事ばかり。辛いです。

諦める。それを悪い言葉と考える人が多いと思いますが、人生、諦める事が必要な事もある。諦めが肝心なのか。

諦めるなと容易く言って欲しくはない。諦めろとも容易く言われたくない。ではとうするか。決断が出来ない。人生を放棄するしかない。それしかない。

 

以上が田中実さんの想いを私なりに解釈してみましたが、全然違う別の理由があったとも考えられます。人の心は中々判るものでは有りませんからね。

何か残念と言うか、失望感があります。何とかならなかったのか。相談できる人はいなかったのかとか。

書くべきじゃなかったかも知れませんが、何か彼の事が頭から離れない。ボンヤリながらも彼の人生から何かを学びたい。彼が死ななければならない理由とは何なのか。そんな想いから書かずにはいられなかった。そんな感じです。

 

ではでは。

 

 

 

 

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新聞社を潰す方法。その2

2017年08月09日 11時04分58秒 | 政治・経済

続きです。それでは新聞社の潰し方をお教えします。

極論から言いますと、新聞販売店は新聞での利益のみでは大抵の店が赤字です。大抵と言いましたが私は100%だと思っています。では、どうやって利益を出しているのか。

それはチラシです。チラシが無いと新聞販売店はやっていけません。正直、新聞なんてどうでも良いのです。チラシこそが全て。新聞なんて物はチラシを運ぶ道具。そんなもんです。

新聞の魅力で売れている? 

だったらチラシ無しでやってみろと言いたいです。まず潰れますから。

少なくてもチラシが無いと宅配は無理です。人件費で飛んで行きます。宅配無しで駅売りやコンビニだけでやって行ける訳が無い。やったとしても100万部出ないと思います。今のネット時代では。

20年以上前の話ですが、駅・コンビニ売りのタブロイド紙だってオウムの事件で一時実売10万部超えた程度だと聞いています(未確認)。私のいたタブロイド紙なんかは1万部を越えたのは1日のみと聞いています(あくまでも未確認)。今なら大手新聞でも100万部は難しいと思いますね。

まっ、そう言う事で新聞はチラシが命なのですが、新聞にチラシを入れさせない為にはどうすれば良いのか。

答えはチラシだけを配れば良いのです。そう言う会社をつくれば良いのです。

っとは言っても簡単にはいきません。チョット難関が有ります。チラシだけではポストの前で捨てられてしまう。ドアの中に入っていけるのは新聞に包まっているから。だからチラシのみでは不十分。チラシを包む媒体が必要。だからこそ新聞宅配制度が続いて来たと言えます。

そこで私のアイディアですが、新聞の変わりにクーポンや懸賞でチラシを包んではどうでしょうか。

チラシに出ている商品がクーポンで更に安くなる。商品の記事広告を載せて懸賞でプレゼントする。それなら家のドアの中に入れて貰える可能性はかなり高まると思います。

これは昔のデーターで現在の正式な金額は不明ですが、東京の新聞販売店での一部辺りの月のチラシ料金は3000円前後です(またも未確認)。つまり1000部配っていたら月300万円が新聞販売店も儲けとなります。チラシは儲かるのです(今は判らず)。

だからチラシのみを配る商売をすれば絶対儲かります・・・・・・・っと言いたいところですが、今の時代、人件費がネックかも知れませんね。これだけ高齢化社会になったとしたら。

若い人は少ないし、宅配は大変。誰もやりたがらないでしょうね。

それよりもチラシもネット配信した方が手っ取り早い。スーパーとかが自社で「今日のお買い得商品」と題してサイトを作った方がチラシよりも安く済みそうです。レイアウトを型で決めていれば、商品や価格の変更も容易。簡単にできる筈です。もう既にやってはいますが。

現在の日本は9000万台のスマホが有ると聞いています。スマホとパソコンでチラシを見る人口が増えれば、チラシを新聞に入れようとする業者も年々少なくなる筈。やっぱり新聞社が潰れるのは時間の問題かも。

それではどうすれば新聞社は生き残れるのか。もう既に始まっていますが、先ずは合売です。一つの販売店で全部の新聞を配る。そうすれば人件費が下がる。それでも時間稼ぎかな。

次は情報の共有化。新聞名は違うけど載っている記事は全部同じにする。これで記者を大幅にリストラできる。競合しなくて済むからコストが下げられる。うーん、これも時間稼ぎか。

だったら新聞をネット配信する。これで制作と印刷の手間を省ける。大幅にコストを削減できる。

これって既にやっているけど、ネットの情報をお金に変えるのは難しいですね。無料で流している媒体も有るし。どうするんだろ。うーん。

何か、何にもしなくても潰れちゃうのかなぁー。

若い人は少なくなっているし新聞なんて読んでいないし、ネットがあれば新聞なんて必要ないでしょ。小さな文字も見づらいし。

大体、発行部数の約3割??が読まれず捨てられている。新聞なんて自然破壊の何物でもない。木が勿体無い。

新聞配達をしようなんて奇特な人も少ない。チラシうんぬんと言うより宅配制度が限界に来ている。もう打つ手無しなのではないの。

東大出ている人たちが知恵を絞っても部数が減っているのだから、どう考えても新聞の寿命は尽きそうな気がします。

これも時代の流れ。諸行無常。もう時間の問題。あと10年続くだろうか。10年後は300万部は切っているだろう。それでやっていけるのだろうか。

ゆっぱりもう考えられない。新聞社で高給貰っている人、もう時間が無いですよ。特にA新聞は。

 

ではでは。

 

 

 

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新聞社を潰す方法。その1

2017年08月08日 07時23分41秒 | 政治・経済

先日、反日志向のA新聞を潰す方法をテレビ番組で語っていました。A新聞を取っている家に行って、「洗剤やビール券、野球のチケットを上げるからA新聞を解約して」と言えばA新聞を潰せるとか言って。流石に笑いました。

「インテリが書いてヤクザが配る」。つまり新聞販売店はヤクザだと言う例えです。まっ、ヤクザっぽい人も新聞販売店にはいます。犯罪犯す人も犯した人もいます。新聞拡張員なんか昔はガラが悪かった。酷いもんでした。

でも新聞社にもヤクザ的な部分はあります。新聞に広告を載せないと非難記事で攻撃してきますから。

例えばどこかの自動車メーカーの新車が走行中に火を噴いた。どの自動車も火を噴く事はままにある事なのですが、広告を載せていないその自動車メーカーに対しては、キャンペーンの様に火を噴く自動車特集した。そしてその自動車は見事に売れなかった。

その行為は「真実を報道しよう」とする使命感ではなくて、広告を入れない自動車メーカーに対する報復の気持ちが強いと私は思います。みかじめ料を払わない店に対するヤクザの嫌がらせと殆ど変わらない。そう言う部分が新聞社にはあります。

私の親が新聞販売店を辞めた理由は「労務倒産しそうだったから。新聞社に財産を売って新聞を増やせと言われたから。新聞を増やせば増やすほど損をするから。新聞を増やしたのに店が大きすぎるからと販売地域を削られたから。一月に休みが1日しかない労働環境。そして新聞の将来性」です。

私、証券会社に入社してクイックと言う株価が出て来て株の売買をするパソコン端末を見て恐怖しました。「これが家庭に導入され、情報を配信したら新聞なんて要らない。新聞の時代は終わる」と。

そうなるのは20年後くらいかと考えましたが、それから30年近く経ちました。そろそろ新聞終了のカウントダウンが聞こえて来ている気がします。事実、新聞は大幅に部数を減らしています。私が新聞配達をしていた時代は850万部読者とか言ってました。これは嘘だと思います。当時でさえうちの店でも一時期300部以上の残紙を廃棄していましたから。もしかしたら850万部と言うのは、夕刊を入れての計算かと思っておりました。

現在はどの販売店も3割前後の残紙が出ていると聞いています。そして発行部数は4000万部台とか。実売はどれだけなのか分かりません。

一つ言えるのは公称部数は間違いなく嘘。実売とかなり乖離がある。つまり新聞広告も騙して取っている部分がある。チラシだって捨てている。これだって詐欺に当たるのではないでしょうか。

まず今後、新聞がV字回復なんてありえない。これだけパソコンや携帯端末が普及すれば、情報はその場、その時にクイックに見れます。次の日に配られて来る新聞では遅過ぎる。全然勝負にならない。潰れるしか道は無いです。

現にA新聞の記者は東大卒ばかりだったのですが、東大卒の新入社員はゼロになった。これは将来性が無いのがハッキリした事の証明です。

事実、社員の給料は20パーセントカットとなった。それでも年収1000万円を越えている社員が殆んどでしょうけど、系列会社に移される社員が多数出ている。

当然、新聞社の社員ではなくなるから収入は大幅に減る。良い大学を出て新聞社に入社するメリットが無い。

今の時代、マスコミの仕事なんて誰でも出来ます。今、私が書いているブログも収入は得られませんけどマスコミの仕事と同じ。誰だって記者になれる。インターネットを見れば新聞なんて要らない。

新聞で最初にダメになった分野は私が働いていた株の業界紙です。株はその時の値動きが儲けを左右する。次の日に情報が届いても間に合わない。インターネットの前に一番にその存在価値が否定された。だから今の私が存在する。

悲しいかな、悲しいかな。

 

続く。

 

 

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大山積神と大綿津見神の祓い。そして、その罪の意味。

2017年08月06日 12時16分29秒 | 神道

山神・大山積神。海神・大綿津見神。亦の名を大山罪神と大綿罪神。どちらも罪の字がある。何故なのか。

悪神だからか。最近頻発している土砂崩れ、山津波。そして震災で経験した津波。多くの人が犠牲になる。人の命を取る。それが山の罪、海の罪なのか。

神は善でもあり悪でもある。その悪の部分が強いからそれぞれに罪の字がつくのか。色々考えておりました。

そう言えば私、辛い事があると海を見に行っていた。何か気が晴れる。これって心の穢れを海が祓ってくれるからではないのか。

私は太っているのであんまり登山はしないが、山に登るのも達成感を感じるから。否、山が心の穢れを祓ってくれるからなのでは。

昔の人も海を見たり、山に登ったりする事により心の穢れを祓っていた。山や海が祓い清めの場所である事を知っていたのではないだろうか。

この世は穢れに塗れている。俗とは穢れる事。生きると言う事は穢れ汚れる事。人生は穢れを避ける事は出来ない。穢れを避けるには自分の身をこの世から消す以外方法は無い。

生きていれば体が汚れる。服も汚れる。そして心も汚れる。洗う必要がある。

身体や服は水で洗えば綺麗になるが、心は物理的に井戸の水では十分には洗えない。十分に祓う事は出来ない。

だから人は山や海に向かう。心の疲れ、つまり穢れを祓う為に。穢れる度に向かう必要があった。

穢れを祓う。それは神が人の心の穢れを引き受ける事。人の心の穢れをその身に積む事。だからこそ大山積神・大綿津見神との名前なのではないか。

穢れを積む。積みと罪。穢れは罪。人の罪をその身に引き受ける故に大山罪神・大綿罪神とも表記されるのではないか。

神職は海に身を浸して身を清める。山では滝行で身を清める。海も山も共に霊場。その場を身近にしたのが神社。神社に参拝することで山や海での祓い清めを成す。人の穢れを身近で祓って頂ける場所。それが神社なのだと思う。

そう考えると山神も海神も悪神と言う訳ではない。善も悪も超越している存在なのではないか。

否、祓い清めは時に人の命も祓い清める。海や山で命を落とす事は、悲劇ではないのかも知れない。多くの人に命の大切さを教え、慢心と言う心の穢れを祓うが為の最大級の祓い清めなのではないか。

それが人々に恐怖を与え、畏怖の念から罪の字がその名に付いたのではないか。

以上、山神・海神の名の「罪」の字に付いて考えて見ました。それが正しいかどうかは私には判りません。断言出来ません。

勿論、人それぞれ回答は違う筈。人それぞれ、現時点の考えこそが正解なのかも。その時々、そして過去と未来で正解は変化する。正解と思っていたことが失敗であった事が度々ある。100パーセント正解はありえない。それが人生なのかも知れない。

私の考えは現時点の私に対しての正解。それが何れ変更になる時が来る。そう言うものなのかも知れない。そう言うものだろうと思う。

 

ではでは。

 

 

 

 

 

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エアコンの配管断熱カバーを交換した。

2017年08月04日 08時17分50秒 | 不動産賃貸業

8月2日。いろいろ問題が出ています。はぁー、何で判りきった失敗するのだろう。あれ程言ったのに。運が悪い時に、最悪の人間が対応してしまった。そしてお手上げになってまた逃げる。後始末は私にさせる。問題が解決しそうになるとまたブチ壊す。これの繰り返し。仇ばかり。こんな苦しみ、何時まで続くのだろうか。

はぁー、しょっぱなから愚痴を書いちゃいました。失礼しました。

さて、先日、今年の春に入居した男性が「エアコンが冷えない」と言って来ました。

この人は誠実。だからこそ公務員になれるのだろうなぁー。こう言う人なら悩みも無く助かるなぁー。

それは兎も角として、私の部屋も去年からエアコンが効かない。ガスが無くなっているのかも。そう思ってカセットタイプのエアコンガスを購入していたのです。そしたら夏が終ってしまった。「来年入れればいいか」と思って、そのままにしていた。

そこに「エアコンが効かない」と。しょうがない、そのガスを彼の部屋のエアコン室外機にチャージしよう。

そしてチンプンカンプンながらもガスチャージ。それから何にも言ってこないところを見ると、ちゃんと入って冷えている見たいです。あっー良かった。

それにしてもこのエアコンのガス、既に生産を規制され生産中止になっている。あと数年で全面生産中止となる。それでヤフオクで探したのですが500ccで4000円+送料。以前は定価が2000円だったらしいのですが、高騰しているみたいです。業者らめ、足元見やがって・・・・・・・・。

エアコンガスのチャージを業者に頼むとかなり高額らしい。はぁーあ、何でも高騰しているなぁー。困ったもんだ。

まぁー、それも兎も角、室外機へのガスチャージで屋上に上がって異常な光景を見ました。何とエアコンの配管の断熱カバーの殆どがボロボロ。銅製の配管が剝き出しになっている。これはガスが無くなったから冷えなくなったのでは無いかも。何でこんな朽ち果てているのだ。これは自然劣化ではない。何物かがボロボロにしたのだ。

その何物かですが、見当が付いています。カラスです。カラスが屋上に屯していたのは知っていましたから。カラスの羽も配管のボロボロになったカバーに付いていましたし。

このカラスの野郎が巣作りの為に、ポリエチレン??ぽっい配管の断熱材を自分の巣の防寒の為に千切って持っていったのです。頭が良いにも程があるぞ、カラス。チクショー。

カラスは飼い犬の毛を抜いて巣作りをすると聞いていたけど、今はこの断熱カバーを利用するのがカラスの世界で全国的に流行っているみたいです。あいつら「エアコンの断熱材がお勧めだよ」とか話合っているのか。信じられん。

 こんな断熱カバーでも業者に修理を頼むと高くつきそう。カラスが突いて配管からガスが漏れている可能性も十分あるから配管を総取替えした方が良いだろうけど、使用不可になったガスの為、それ用の配管も生産されていない模様。困ったぞ、これは。

カラスの野郎、よくもやってくれたな。踏んだり蹴ったりだ。貧乏なのに。

屋上には超大型の室外機が1台(3台のエアコンを繋いでいる私の家用)、中型が4台、小型が1台ある。全部の配管断熱カバーがボロボロ。大変だそこれは。壁の部分の配管カバーもやられている。下手したら交換中に屋上から落ちる。いやいやいやいや。

でも、しょうがない、自分でやるか。

そして業者向けのホームセンターへ。数種の2メートルの配管断熱カバー7本と、大量の断熱テープ等々を買って来ました。何だかんだで6000円位かかった。くわぁー。

それでやっとこさボロボロのカバーを剥がして交換したのですが、古い配管用の断熱カバーが売っていない為に取り付けるのに苦労しました。大きさがピッタリじゃないんだもん。

素人仕事で見た目も悪い。でも何とかやった。頑張ったなぁー。それにしても配管断熱カバーを交換して分かったが、前に取り付けた業者はいい加減な仕事していたもんだ。最初から配管むき出しの部分もあったし、断熱テープを巻いていない部分もあった。やっぱり仙台の業者はダメだなぁー。

仙台の老舗がバンバン駆逐されて東京や地方業者が仙台を乗っ取って久しいが、仙台人のこんな気質では本当に仕事を任せ切れない。仙台では家とか建てるべきではないよ。本当に評判の良い業者じゃないと。

残念ながらそんな業者は仕事が忙しくて、中々頼んでも時間がかかるけど。

それにしてもカラスの野郎、冬になったらまた「寒い、寒い」と言いながら、断熱カバーを千切りに来るのだろうなぁー。どうしたもんか。案山子か何かネットみたいな物を被せるしかないな。

そんなカラス用のネットなんて売っているのだろうか。何か対策考えないといかんな。

しかし、私の人生、対策してばかりだな。自分1人にだったら裏切られる事もないから何とかなるだろうけど。

こんな事も楽しめる心の余裕が欲しい。持って産まれた器の小ささが恨めしい。

 

ではでは。

 

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