諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

新幹線殺傷事件の真の目的は、両親と世間への復讐だと思う。

2018年06月23日 00時10分22秒 | ニュース
先日の新幹線で二人の女性を錆びた包丁で切りつけ、止めに入った38歳の男性に馬乗りになって何度も包丁をたたきつけた事件ですが、こう言う事件は今までにも何度もありました。

以前、「精神障害者に声をかけられた。」と題してブログを書きました。精神障害者に「前科何犯だ」と言われた。狂っていると思った。そう書いたらクレームのコメントが来ました。

その人は慈悲と正義感がある人だと思いますが、全然現実が分かっていない。彼らは何をするか見当が付かない。私も木刀で襲われそうになった事がありますが、これは運が悪いじゃすまない。行政が何とかしなければならない。もっと日本は彼らに対する対応を強化し、施設で管理する必要があると思います。被害者だけでなく、彼らの為にもです。

さて事件ですが、「ただ、むしゃくしゃしてたからやった」と22歳の犯人は語ったそうです。確かにその感情も有ったでしょう。

でも私、一番の目的は両親への復讐に有ったと思います。実の父親の発言を聞いていたら他人事の様な発言をしていた。あんな親だったら子供は腐る筈。そして復讐したいと思う。

一番効果的な復讐は何か。22歳の犯人は何度も自殺を仄めかしていた様ですが、実の母親の発言は「自殺も止む無し」的でした。

この母親も被害に遭った人達にお詫びの言葉を残していましたが、自分達では息子を育てられなかった。どうしようもなかった的なニュアンスで発言している。親としての力量は低いと感じざるおえない。

この母親も駄目だ。これは自分が生きられないのは両親と、自分を認めてくれない日本の行政のせいだ。どうにか復讐したいと思う筈。

復讐で最初に浮かんだのは自殺。しかし親は自分の自殺をやむなしと思っている。それでは十分な復讐にならない。もっと親を苦しめたい。それだったら罪も無い人間を無差別に殺す。狂気的な殺人犯の親に仕立て上げる。世間の非難を浴びさせる。それが一番効果的ではないのか。そう思ったのではないか。

スピリチュアルの江原啓之は(私より年下とはビックリ)犯人の顔を見て、「自殺をする意思はこれっぽっちも無い」とか言ってましたが、もっと犯人の心の闇は深いと私は思います。

自殺した程度では親への恨みは晴れない。親を殺したい。自殺させたい程親が憎い。私は親に苦しみを与える為の犯行だと思います。

実は私、精神障害者の自殺に関わった事があります。

彼は一人アパートで生活保護で暮らしていた。毎日、酒ばかり飲んでいた。酒を飲むしか生きる目的がなかった。そして計画的にお金を使えない。お金が無くなる。そして物乞いをして家を回り歩いた。タクシーを止めての物乞いもした。彼は一人では生きられない。そして自殺した。

彼も肉親や日本の行政に対して、自分を一人にした事を恨んでいたと思います。今回の事件の犯人はそれ以上に恨みが深かった。だから自殺せず殺人を決行した。

最初に襲ったのは二人の女性。私の想像では二人とも優しげな方だったと思う。だからこそ狙った。自分の不条理さを訴えたかったから。

その女性達を一人の男性が庇った。その正義感を見て今度はその者に自分がこれまでに味わった理不尽さをぶつけた。

女性達を庇って殺された男性は東大大学院卒のエリートだそうです。

22歳の犯人はそのエリートに対して直感したと思います。この男は恵まれていると。

犯人は発達障害です。でも学校の成績はオール5。発達障害故の秀才。自分もそれを自覚していた。世間が認めないだけだと考えていた。

そこに現れた38歳のエリート。優れた正義感を見せ付けられた。この人物は自分とは違う、正反対の正当な秀才である事を犯人は見抜いた。頭の良い人物は頭の良い顔をしている。それを一瞬で悟った。

だから許せなかった。どうしてもこの者を殺したい。どうしようも無いジェラシーを感じる。自分の不幸はコイツのせいだ。

そう逆恨みして理不尽に何度も何度も怨念を込めて包丁を叩き付けた。私はそんな風に思えてならないです。

実は私、もしかしたら少なからず自分も発達障害なのではないかと思う事があります。子供の頃から私は目立っていた。変わった人物だと想われていた。それが自分に悪影響を及ぼした。発達障害が原因ではないかと。

22歳の犯人に対し、どのように対応すべきなのか。

私は彼が罪を犯す前に行政で管理すべきであったと考えますが、既に大変な罪を犯した。

数十年の懲役刑では、出所してまた人を殺すかも知れない。

無期懲役では一生恨み続けて生きて行く事になる。

彼の為に何が一番良いのか。それは死を与えてやる事だと思います。

彼は死でしか心が休まらない。生き続けるのが辛い。穢れた心を清め浄化したい。それには死しか無い。死こそが最高の祓い清め。

また非難を浴びるでしょうが、彼に精神的に近いと思われる私は、そんな風に想います。


ではでは。





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裂雷神と木俣神。或いはサクは何を意味しているのか。その6

2018年06月22日 10時53分57秒 | 神道
もう、そろそろ終わりたいです。続きです。

さて、またまた話は変わりますが、もしもの時のアイヌ語でサクの意味を調べました。夏の意味でした。

夏蜜柑みたいなのにハッサクがありますけど、それも関係ない。今回はアイヌ語は関係ではないみたいです。

サクと発音する女神は先にも紹介した木花咲耶姫もそうです。この女神は婚約者である天孫族のニニギ尊の結婚する事となったのですが、夫のニニギ尊は腹の子は国津神の子ではないのかと木花咲耶姫の不貞を疑います。

それに怒った木花咲耶姫はやけっぱちになり家に放火。「天津神の子であるならば、火の中でも産まれて来るはずだと」と絶叫し、火がつけられた屋敷に入り、無事に三人の男の子を生みます。

このストーリーも恐縮ですが、出産したんですから女性器がキーワードとなります。

木花咲耶姫のサクは「花が咲く」のサクですが、それ以上に「耶」の字が気になる。「耶」は「怪しい、疑問を呈す」と言う意味ですので。

木花咲耶姫は夫のニニギ尊から不貞を疑われた。だから「耶」の字が付くのだと思います。

これは何を意味するのか。

不倫して誰の子供か分からない子供を産む。これも受代苦だと言えます。

不倫の子供を宿した人間の女性に代わって不倫して、火の中で火傷になりそうになりながら神である木花咲耶姫が子供を三人も産む。木花咲耶姫は安産の神であり、不倫している女性の守り神でもある。

不倫は余計ですが、イザナミ命は出産で命を落とした。木花咲耶姫は無事出産した違いが有りますが、やはり性器がキーワードになっている。「サク=性器」と言えるのではないでしょうか。

そして「お多福」の「福」も女性器を表していると思えます。子宝こそがこの上も無い福。その福が現れるのが女性器。女性器は黄泉の国と現世との境界線でもある。そんなところからもサクは女性器を示しているし思います。

ところで話はまたまた変わりますが、「八雷神」、または「八の雷神」は何と呼ぶのかご存知ですか。

今まで再三書いて来て黙っていたのですが、「やくさのいかづちのかみ」と呼ぶのです。

最初から言えよと言われそうですが、何で「八雷神」と書いてそう読むのか。「八=やくさ」。この「くさ」って何だろ。「サク」と「クサ」。読み方を反対にしただけなのか。

「クサ」はアイヌ語ではヒットしませんでした。何の事だろ。普通、「八」を「やくさ」なんて読まないし。

これ、私もまさかとは思っていますが、「瘡」と書いて「くさ」と呼びます。

鬼渡神は水神であり境界線の神であり疱瘡神でもある。つまり「八雷神」は八神の疱瘡神。八神の鬼渡神ではないでしょうか。

「雷」は祟りを示している。そして古来、疱瘡こそが最強の祟り。疱瘡で日本の人口が半減した程の祟り。

疱瘡は身体が腐った様になる。イザナミ命の身体も蛆が集って腐っていた。その腐った身体に八雷神が纏わり付いていた。もしかしたら八雷神がイザナミ命の身体を腐らせていたのかも。

うーん、どんでん返しの事を書いちゃいましたが、どうなのでしょう。分かんないなぁー。

カグツチ神に話を戻します。火の神・カグツチ神は母であるイザナミ命を出産で殺した神。

その時、イザナミ命は苦しさま余り嘔吐した。その嘔吐物から生まれたのが金属の神である金山彦神・金山姫神。

脱糞もした。その糞から生まれたのが土の神であるハニヤヒコ神・ハニヤ姫神。

そして最後に失禁をした。そのその尿から生まれたのが水神・ミズハノメ神と穀物の神であり、豊受大神ともされる和産巣日神(ワクムスビ神)。

それぞれの神々はイザナミ命の苦しみの中から生まれて来た。悪神とも言える。蔑まされた神々でもある。

この一連の行為はイザナミ命とカグツチ神を入れて八神。

否、和産巣日神が豊受大神であるなら男女の神とも考えられる。イザナミ命を入れなくても八神となる。

この八神はイザナミ命の犠牲により生まれた神々。この神々が八雷神とも考えられる。

そして鬼渡神としても。

その理由はもっと考えを練ってから書きたいと思います。私も今一断言出来ないので。


ではでは。











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裂雷神と木俣神。或いはサクは何を意味しているのか。その5

2018年06月21日 12時52分20秒 | 神道
者行き当たりばったりで、どうタイトルに絡めたらいいのか迷いながら続きます。

もう下ネタになっちゃいますけど、上手くは説明できませんけど、泉守道者がイザナギ命の陰部にしがみ付いていた裂雷神だと考えます。泉守道者と言う名前からです。

泉が湧き立つ場所を守る。そしたら分かるでしょ、私の言いたい事が。すみませんね、下ネタで。

それに「道」の字が入る。そうなると、ほれ、あの神がイメージされるじゃないですか。もう分かっているでしょ。道祖神ですよ。道祖神の御神体も男女の性器なのですから。

そして豊受大神の御神体も男女の性器だったりします。私は道祖神と豊受大神は同神だと思います。

話を泉守道者に戻します。

御井神(木股神)とも関連が指摘できます。だって本来の井戸は天然の泉を桂の木の股で囲っているのですから。私は土の力を宿す桂ので水神を調伏させていると考えていますが、木の股で囲っているのですから、守っている事にもなる。そうなると泉守道者と御井神が重なる。

でも御井神の親は大国主と八上姫。時代はずっと後。そう考えると泉守道者は御井神ではない。

そうなると泉守道者やっぱり道祖神。しいては久那戸大神とアラハバキ神を示している。それしか考えなれないです。

以前、「ひょっとこ」と「お多福」について書きました。

口を尖らして息を吹いている「ひょっとこ」。「お多福」はだらしなく口から茹れを流している。つまり「ひょっとこ」が風神(太陽神)。「お多福」は水神となる。

そして「ひょっとこ」と「お多福」の性的な踊りが宮崎県に伝わっている。二神は和合の神。

更に産鉄には風と水が必要。「ひょっとこ」と「お多福」、つまり久那戸大神とアラハバキ神はは産鉄の神でもある。

話を八雷神に戻します。

私はイザナミ命の頭にしがみ付いていた大雷神を菊理姫としました。言葉を話す。言葉を聞く。口と耳を使う。だから「大雷神=菊理姫」。

大雷神はその名と頭にしがみ付いていた事から八雷神のリーダー的存在と考えられていますが、同じ雷神つながりて賀茂別雷命が大雷神とする伝承が残っています。某賀茂神社では同神として祀っているケースもあります。

しかし、時代が違うはず。でも記紀の著者、もしくは某賀茂神社の伝承者は、そこの所をゴッチャにした可能性も有る。

私的には雷神は祟りを起こす悪神です。同じ流れにある神々だとは思いますが、同神ではないと考えます。

八雷神は黄泉の国の住人。近づけるのは黄泉の国と現世の境界線。つまり境界線の神でもある。道祖神の方がしっくり来ると思います。

あっー、頭がこんがらかってきた。

それではイザナミ命の陰部に纏わり付いていた裂雷神は誰か。泉守道者とは一体何者なのか。道祖神でよいのか。

裂くと言えば「木を裂く」。そうなると恐縮ですが、「裂く」はやっぱり女性の陰部を指していると考えられます。

その証明になるかは自信が無いですが、サクと名の付く神がもう一人います。木花咲耶姫です。


続く。





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裂雷神と木俣神。或いはサクは何を意味しているのか。その4

2018年06月19日 11時56分35秒 | 神道
続きです。

イザナミ命・イザナミ命以外の登場人物がまた現れた。泉守道者と菊理姫。この二人?は何者なのか。

泉守道者はその名の通り、黄泉の国の道を守っている者なのでしょう。イザナミ命が現れる前からの住人なのか。

菊理姫の場合はどうか。イザナギ命とイザナミ命の意見を聞いたから聞く理姫なのか。イザナギ命とイザナミ命の喧嘩を仲裁して、仲を取り持ったから括り姫なのか。何故、それぞれの表記をせずに菊理姫としたのか。

イザナミ命は最初の死人。続いての死人はカグツチ神。

黄泉の国の住人がイザナミ命の前に誰もいないのであれば、やはりカグツチ神が泉守道者と菊理姫となる。

「カグツチ神=八雷神」。雷神で考えると、それぞれ二神は誰に当たるのか。

熊野本宮大社の伝承では菊理姫をイザナミ命として祀っているそうです。一霊四魂での解釈なのでしょう。

黄泉の国に来て荒魂と化したイザナミ命。しかし、イザナギ命を愛する気持ちも残っていた。その気持ちが和魂、幸魂、奇魂のどれかに覚醒して菊理姫が現れたのか。

もしそうであるなら、私は幸魂だと考える。あの世とこ世に限らず、境界線こそが幸神の鎮座する場所と言えるので。

しかし、カグツチ神から変身したと考えられる八雷神の可能性も有る。勿論、断言出来ない。

八雷神、黄泉醜女、そして菊理姫、泉守道者らがイザナミ命の分霊。一霊四魂の考えで現れたとしたらどうだろう。

それなら菊理姫はイザナギ命にこう囁いたのではないだろうか。「我らはイザナミ命の分霊であり魂。我らだけではイザナミ命は再生は出来ない。イザナミ命を含み、我らを祀りあげていただければ、地上に災いも起こしませんよ」と。そう言われたらイザナギ命も納得し満足すると思います。

しかし、カグツチ神の分霊と考えるとしたら・・・・・。

日本書紀での八雷神はイザナミ命の頭に大雷神、胸に火雷神、腹に土雷神、背に稚雷神、尻に黒雷神、手に山雷神、足に野雷神、そして性器には裂雷神が纏わり付いていた。イザナミ命が再生するにはその行為が必要だった。

国津神は聖婚。近親婚。それが国津神の証明。己の分霊だけでの性行為では再生は不可能。その旨を菊理姫はイザナギ命に伝えたとしたら、恐ろしいイザナミ命が前世に自分を追ってくる事は出来ない。それで安心し満足した可能性もある。

まぁーこれは、先人達が考えに考えても答えが出なかった訳だから、私がいくら屁理屈を絞っても分からないですね。残念ながら。

仮に八雷神が菊理姫、泉守道者であるなら、それぞれの神は誰に当たるのか。

菊理姫は聞く。そして話す。そうなるとイザナミ命の頭にしがみついた大雷神か。

そして泉守道者は「尿=水」。水が湧くから泉。そうなるとイザナミ命の性器にしがみ付いていた裂雷神となるのか。

黄泉の国だからただ単に泉守道者なのかも知れないけど。


続く。






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裂雷神と木俣神。或いはサクは何を意味しているのか。その3

2018年06月15日 09時54分18秒 | 神道
続きです。

逃げるイザナギ命。追うイザナミ命と黄泉醜女達。

黄泉醜女達はイザナギ命が投げたタケノコや桃を食べて遅れる。そして黄泉比良坂近辺でイザナギ命とイザナミの命が対峙する。

イザナミ命は「お前の世界の人間を一日1000人殺してやる」と発言。

イザナギ命は「何おう、そんでは俺は一日11500人の人間を産んでやる」と言い返す。

二神の仲は更に険悪になる。そこに泉守道者(よもつちもりびと)なる神、もしくは黄泉の国の住人が現れた。

イザナギ命はイザナミ命へ「私が貴方を失い悲しみに暮れたのは、私が弱かったからだ」と話す。

泉守道者はイザナギ命へイザナミ命からの伝言を伝える。「私と貴方は既に国産みをした。その上、更に産む事を望むのか。私は黄泉の国に留まる。一緒には帰れない」と。

更に現れたのはご存知、菊理姫。菊理姫はイザナギ命の耳元で何事かを告げた。それを聞いたイザナギ命はその話に満足し、現世に還って行った。

ここでチョット脱線。今気が付いたのだけど、仏壇やお墓に供える花は通常は菊の花です。本来は間引きした女の子の位牌であるコケシ(子消し)にも菊の花があしらっている。つまり黄泉の国の花は菊の花。これって菊理姫から来ているのだろうか。

うーん、分からない。記紀にはもう二神の花の名が付いた女神が存在する。国津神との不倫の疑いを夫・ニニギ尊にかけられた木花咲耶姫とその姉妹の木花知流姫です。

菊理姫と木花咲耶姫のどちらもも瀬織津姫ではないかと言われている。

私の本名に「る」の発音があるのだが、「る」は「流」から来ている。「る」は死を意味する。私の父方の従兄弟の殆どは「流れ」と言う意味である「りゅう、る」の発音が入る。私の従兄弟達はこの「りゅう、る」の言霊のせいで、全員不幸になっている。

親が子にこの様な死を暗示する名前を付ける。これは人殺しの家系の特徴。親に何者かが憑依し子を死に導く。既にその親は本当の親では無くなっている・・・・っとは言わないが、家系を閉ざそうとする者が入っていると私は考えています。

脱線終わり。話を木花知流姫に戻します。

木花知流姫と木花咲耶姫は同神。もしくは自殺した姉の磐長姫が木花知流姫だとの話も有りますが、「知流=散る」であるのならば木花知流姫は磐長姫と考えられます。

「木花」は多分「桜」。桜は散って(死んで)菊になるのか。磐長姫が菊理姫なのか。これは時代が違う。磐長姫はずっと後の筈。

「知流」と言えば大歳神の妻の「天知加流美豆姫」の名前にもにも「知と流」の字が入っている。しかも天知加流美豆姫も水神・瀬織津姫と考えられる。「美豆=水」であるなら尚更。

大歳神は本来の日本の祖神と考えられる。そうなるとイザナギ命・イザナミ命の時代にいた菊理姫は天知加流美豆姫なのかも知れない。

あらっ、何時の間にかまた脱線している。

本題に戻します。


続く。








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