諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

裂雷神と木俣神。或いはサクは何を意味しているのか。その4

2018年06月19日 11時56分35秒 | 神道
続きです。

イザナミ命・イザナミ命以外の登場人物がまた現れた。泉守道者と菊理姫。この二人?は何者なのか。

泉守道者はその名の通り、黄泉の国の道を守っている者なのでしょう。イザナミ命が現れる前からの住人なのか。

菊理姫の場合はどうか。イザナギ命とイザナミ命の意見を聞いたから聞く理姫なのか。イザナギ命とイザナミ命の喧嘩を仲裁して、仲を取り持ったから括り姫なのか。何故、それぞれの表記をせずに菊理姫としたのか。

イザナミ命は最初の死人。続いての死人はカグツチ神。

黄泉の国の住人がイザナミ命の前に誰もいないのであれば、やはりカグツチ神が泉守道者と菊理姫となる。

「カグツチ神=八雷神」。雷神で考えると、それぞれ二神は誰に当たるのか。

熊野本宮大社の伝承では菊理姫をイザナミ命として祀っているそうです。一霊四魂での解釈なのでしょう。

黄泉の国に来て荒魂と化したイザナミ命。しかし、イザナギ命を愛する気持ちも残っていた。その気持ちが和魂、幸魂、奇魂のどれかに覚醒して菊理姫が現れたのか。

もしそうであるなら、私は幸魂だと考える。あの世とこ世に限らず、境界線こそが幸神の鎮座する場所と言えるので。

しかし、カグツチ神から変身したと考えられる八雷神の可能性も有る。勿論、断言出来ない。

八雷神、黄泉醜女、そして菊理姫、泉守道者らがイザナミ命の分霊。一霊四魂の考えで現れたとしたらどうだろう。

それなら菊理姫はイザナギ命にこう囁いたのではないだろうか。「我らはイザナミ命の分霊であり魂。我らだけではイザナミ命は再生は出来ない。イザナミ命を含み、我らを祀りあげていただければ、地上に災いも起こしませんよ」と。そう言われたらイザナギ命も納得し満足すると思います。

しかし、カグツチ神の分霊と考えるとしたら・・・・・。

日本書紀での八雷神はイザナミ命の頭に大雷神、胸に火雷神、腹に土雷神、背に稚雷神、尻に黒雷神、手に山雷神、足に野雷神、そして性器には裂雷神が纏わり付いていた。イザナミ命が再生するにはその行為が必要だった。

国津神は聖婚。近親婚。それが国津神の証明。己の分霊だけでの性行為では再生は不可能。その旨を菊理姫はイザナギ命に伝えたとしたら、恐ろしいイザナミ命が前世に自分を追ってくる事は出来ない。それで安心し満足した可能性もある。

まぁーこれは、先人達が考えに考えても答えが出なかった訳だから、私がいくら屁理屈を絞っても分からないですね。残念ながら。

仮に八雷神が菊理姫、泉守道者であるなら、それぞれの神は誰に当たるのか。

菊理姫は聞く。そして話す。そうなるとイザナミ命の頭にしがみついた大雷神か。

そして泉守道者は「尿=水」。水が湧くから泉。そうなるとイザナミ命の性器にしがみ付いていた裂雷神となるのか。

黄泉の国だからただ単に泉守道者なのかも知れないけど。


続く。






コメント (8)
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