諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

氏神様である岩切の八坂神社(境内社・冠川神社)へ参拝して来た。

2022年02月11日 17時51分24秒 | 神道
2月になっちゃいましたが、氏神様である仙台市岩切の八坂神社へ参拝に行ってまいりました。

八坂神社ですからね、当然、祀られている神は素戔嗚尊です。不思議な因縁ですが、私の母親の実家がある福島県いわき市北好間田代の氏神様も八坂神社に祀られている素戔嗚尊となります。私の生まれた地の氏神なのかも知れません。

でも地主神は存在する筈です。

怨霊には武神、仏教、乱暴者。乱暴者は素戔嗚尊を指しています。素戔嗚尊によって怨霊に落とされてしまっている地主神が調伏されている。私はそう考えています。

だとしたら母の実家の八坂神社の地主神は誰なのか。

八坂神社の側には好間川が流れている。織姫伝説が伝わる蛇岸淵がある。川の織姫伝説となれば考えられる神は瀬織津姫。私は素戔嗚尊によって瀬織津姫が調伏されていると考えております。

私の家の地主神である岩切の八坂神社の場合はどうか。誰が地主神なのか。

それはもう決まっています。八坂神社の真ん前には七北田川が流れている。かつては志波彦神が白馬に乗って川を渡っている時、川石に白馬が足を滑らし志波彦神が被っていた冠を川に流してしまった事から冠川と呼ばれていた。

故に境内社とし冠川神社が鎮座している。祀られている地主神は当然、志波彦神となります。

元々は鹽竈神社が鎮座する一森山に志波彦神が祀られていたが、蝦夷達が信仰していたの神なので岩切の地、現在の八坂神社の場所に打ち捨てられていた。

それが明治時代、古文書で詳細が判明。現在の地である鹽竈神社の隣に移され、豪華な社が建てられたのです。

当時の鹽竈神社の宮司が「天下の一大事」と明治天皇に直訴。明治天皇も「それは本当に一大事」と言う事で、志波彦神の社が建立された模様です。

しかも鹽竈神社よりも神社の格式は上です。正式名称は志波彦神社・鹽竈神社ですから。

志波彦神は猿田彦尊とも考えられますが、私的には鬼渡神である阿須波神であると確信しています。何れ機会があればとの理由を述べたいと思います。

まっ、そう言う事で岩切の八坂神社で缶コーヒーを飲み飲みボッーとしてきました。浄化してまいりました。良い気持ちでした。

実は先日、保険書、免許書、カード類が入っている財布を無くして鬱が深まっていたのですが、クルマの中で見つかって回復しました。そのお礼も兼ねて参拝しました。

そしてお神籤を引いた。末吉でした。「かげくらき 月のひかりをたよりにて しずかにたどれ のべの細道」と書かれていました。私の心情を言い当ててました。

「出来るだけ身をへり下って何事にも我から進んでしない方がよい 強いてしようとすると思わぬ災にあいます つつしんで事を行え」との教えでした。

暫くはその教えを守り、慎重に謹んで生きて行きたいと思っています。


ではでは。


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鬱病は自分で治す。【サプリメント編】

2022年02月09日 13時33分13秒 | 鬱病
はぁー、鬱病です。鬱病って生と死の境界線に居ると言えますが、母は要介護の認知症、父は認知症+鬱病+パーキンソン病+肺炎+癌の疑いで入院中。生死を彷徨っている。私の家族、皆境界線上に居る感じです。

それでも私の鬱病に対しては回復基調にあると言えます。本格的な薬も飲み始めましたし、鬱病を防止する為の食生活をしています。

御飯やパンなどの炭水化物は出来るだけ避け主食はバナナ。糖分も避けています。案外、鬱病と糖尿病はセットかも知れませんね。どちらも縄文人の食生活をしていれば病む事もないかも知れませんし。

まっ、それは良いのですが、鬱病って危機管理能力の過剰と言うか、危険を察知して防御態勢を採っている体制らしいです。

実は1月に大変な目に遭っていました。何れ落ち着いたら話すつもりですが、どうしても私の親は禍を引き寄せてしまう。

私も新聞販売店の息子だったものですから、悪人ばっかり見て来た。誰も信じられなくなった。何時も警戒している。こんな感じだから鬱病になったんだと思います。悲しいかな、哀しいかな。

そんな私が鬱病と対峙する為にしている事。それは栄養を採る事です。心も体の一部。身体が健康になれば心も健康になる。それは間違いないです。

っとは言っても食事面で採取するのは難しい。そんなの至難の業です。栄養はバナナ。野菜は野菜ジュースと青汁。カルシュウムとタンパク質は牛乳とドリンクヨーグルト。それが精一杯です。足りないのは分かっていますが。

そんな訳でサプリにも頼っています。中でも心の苦しさを取るビタミンCは絶大な効果があります。その酸味で鬱が消えます。

その他のビタミンはマルチビタミン・ミネラル、亜鉛を飲んでいます。それとビール酵母のエビオス錠。血管の内側にこびり付いているコレステロールを取るレシチン。

更には幸せ成分と呼ばれるセロトニンを生み出すトリプトファンも飲んでいます。トリプトファンはバナナに入っているそうですが、バナナも毎日食べていたら飽きます。だからバナナを食べない時はトリプトファンを飲みます。今の所、そんな感じです。

まぁーね、鬱病は医者任せ、薬任せだけでは治らないのです。自分から立ち向かって行かなければならんのです。

鬱病は心の空きを突きます。油断できないのですよ。健全な体でなければ対抗出来ないのですよ。

禍を撒き散らす者と関りを持たない事も重要ですが、やはり丈夫な身体を創る事も重要。運動、睡眠、休息、そして読書も健康に良い。

私、最近は本も読んでいませんでした。やっぱり楽しみが無ければ生きて行く気力も湧かない。中々難しいですよね。生きて行くくのは。

今の所、こんな感じでサプリの力も借りています。そして回復も感じています。

もっとも回復を感じている時期が一番自殺の危機に有るらしいですが・・・。


ではでは。







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バリーマニロウの新曲??「Dancin In The Aisles」を聞いて。

2022年02月08日 02時01分56秒 | アイテム
バリーマニロウって現在78歳です。今年の6月で79歳。後期高齢者です。アメリカ人としては平均寿命を超えています。

それなのにですよ、それなのに新曲を出したみたいです。曲名は「Dancin In The Aisles」です。

ユーチューブでプロモーションビデオを観たのですが、バリーの歌に合わせて多くの若者がダンスを踊る。そしてチラリ、チラリとバリーがコンサートで歌を歌っている画像が出て来る感じです。

バリーの出番は少ないのですが、それは仕方が無い。バリーは股関節の手術もしている。ダンスなんか出来る状態ではない。

しかも今のバリーの肉声では、この歌は歌いこなせていないでしょう。AIで加工しているのだと思います。でも、それで良いのですよ。聞いている私はそれで心地よいのですから。

今のバリーの歌唱力では過去の名曲は歌いこなせません。それは仕方が無い。高齢者なのだから。肺活量も落ちているし、声もしわがれている。その歌唱力で歌っても仕方が無い。

だから声を加工して若々しい昔の歌声で出した。それで良いのです。私は以前の若々しい歌声でバリーの新曲が聞きたいのだから。

それにしても78歳ですよ、バリーマニロウは。78歳で新曲を出すって凄いでしょ。それだけバリーは音楽が好きなのです。好きだから続けている。この人の人生は本当に素晴らしいわ。

バリーの新曲のプロモーションビデオでは、20~30代の男女らが様々なダンスを披露していますが、バリーの歌声に違和感はない。20~代に合わせた歌声。本当に素晴らしい。

バリーは20~30代の若者に向けて歌っている。78歳のバリーがですよ。これって凄いよなぁー。こんな事できるのは世界でバリーただ一人ではないでしょうか。

今のバリーの音楽にはAIが使われていると思うのですが、故人の歌手たちとデュエットしているCDが存在します。マリリン・モンローともデュエットしているのです。それが素晴らしいのです。本当にデュエットしているみたい。ホント、凄いわぁー。

もうね、AIで良いです。新曲でもカバーでも良いので、バリーには音楽を続けて欲しい。

私の鬱病に効果がある数少ないシンガーなのです。例え亡くなったとしても新曲を出し続けて欲しい。バリーの歌は何時までも生き続けるので。

それで私は鬱病と戦える。生きる気力が湧く。本当にAIでも良いので。


ではでは。










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一番行きたくなかった心療内科・精神科病院に行って来た。

2022年02月05日 16時21分10秒 | 鬱病
何だか私のブログ、鬱病専門になりつつありますね。それだけ鬱病は怖いのです。糖尿病も怖いのですが、糖尿病はサイレントキラー。苦しみは感じずらい。

しかし鬱病はしっかりと辛い。辛くて死にそうになる。鬱病にならないとこの辛さは分からないでしょうけど、兎に角つらい。

心細くて震えが来る。極限になると過呼吸が始まりとんでもない寒気がやって来る。ふらつきが来る。この状態が続くのなら死んだ方がまし。それほど辛いのです。

さて昨日、評判の良い心療内科のクリニックに朝の9時に予約の電話を入れました。全然通話中で繋がらない。

それで15分ほど用足しに行って戻り再度電話。繋がったのですが、「新患は9時30分に電話してくれ」と言われる。5分後に電話しろとはどう言う事だろう。

そして9時30分に電話したらやっぱりつながらない。10分ほど電話したらやっとつながったのだが、本日の新患の予約は終了しましたと言われた。こんな予約の方法を毎日やっているみたいだ。

実は月の最終日にのみ来月の予約を受け付けるクリニックにも全然繋がらなかった。漢方もやっているクリニックだ。

その日、父親が入院したので電話を止めて父の病院に向かい、帰って来てからまた電話したのだが、来月の予約は全部埋まりましたと言われた。

次の予約の受付は2月の末日。そこまで待てない。どうしたもんか。それで漢方でなくても良い。評判の良いクリニックならどこでも良いと思い電話をかけて見たのだ。

ダメだった。もう諦めた。予約制の人気のあるクリニックは無理だ。

もう薬だけで良い。評判が悪くても良い。あの心療内科・精神科病院に行ってみるか。

この病院、昭和48年創業。老舗だ。内科等も診ている。120床の精神病棟もある。刑務所の様だとコメントもあった。薬づけにされるとのコメントもある。評価は5段階で2。ワーストクラスの病院だった。

しかし別のサイトを見つけたのだが、こちらでは良いコメントが目立つ。どうなっているのだ。どちらが正しいのか。

鬱病患者は被害妄想を持ちやすい。それでヒステリックにコメントを書く者が多い。それは理解している。

私の通っていた漢方専門のクリニックは良い評価が目立つが、医師は狂人だった。何時も喧嘩口調。何時もイライラしている。精神病じゃないかと疑うほどだ。鬱病患者を憎んでいる感じもする。そして鬱病の知識も全然古い。私の方が知識では上だと思っている。80歳前後だから年相応にボケている。もう評価は気にするまい。

でも精神病棟があると言う事は、私も入院を勧められるかも知れない。それが怖い。

そして私が一番避けていた理由は40年前、従兄が事故死した時、検死をしたのがこの病院の医師だったのだ。だからこの病院の前を通るのも辛かった。近くても行きたくなかったのだ。

でもここは心療内科・精神科としては大病院。医師は4人程度いるみたいだ。だから予約無しでも新患であっても直ぐに受診できる。もう諦めた。ここ行ってみよう。

受付には私が注射恐怖症である事を告げた。実はクリニックの中には何度も血液検査をしてボッタくるクリニックがあると聞いている。

私は注射恐怖症。それは嫌だ。初診で血液検査をすると言うのであれば帰ろうと思っていたのだ。

受付の女性は「心療内科であるなら、血液検査をする事はないですよ」と告げた。この方には好印象を受けた。心療内科の受付は意地悪ばかりと聞いていたが、その点は安心した。問題は医師だ。

20分程度で呼ばれた。担当したのは総白髪の70代後半の医師。多分、医院長だ。

コメントで聞いていた。この医院長は直ぐに怒ると。だから患者から敬遠されていると。あっー最悪だ。何時もこうだ私は。こういう運命だ。

しかし、驚いた。大変親切なのだ。言葉遣いも丁寧。そして知識も素晴らしい。言動もしっかりしている。あの漢方医とは大違いだ。

私の現状とこれまでの経緯を聞いてきた。

糖尿病であるが注射の恐怖で血糖値や血圧が急上昇するタイプだと伝えた。あの漢方医はその話を否定していたが、この老医師はそれを理解していた。

そして処方された薬は精神薬としてはリーゼ錠5mg。睡眠薬はフルニトラゼパム錠1mgだった。

糖尿病のクリニックでは血糖値を調べる度に、デパスの0.5mgを飲まされている事を伝えた。

「デパスはキツイでしょう」と老医師。私は「デパス0.5を続けて2錠を飲んだらひっくり返った」と伝えた。

老医師は「このリーゼはデパスの3分の1、2分の1程度の強さだ」だと語った。「それが良いです」と私。

今飲んでいる睡眠薬はサワイのジェネリックだが、もう効かなくなっていた。その旨も伝えだ。

そして帰宅し夜に双方の薬を飲んだ。効いている。どちらも効いている。心の辛さも取れるし深く眠れた。効いているよ。

多分、40年前、従兄の検死をした医師はこの老医師なのだと思う。従兄が引き合わせてくれたのかなぁー。

まだ通院して初日だがこの病院は良い病院だと確信した。

料金はしっかりと私の話を聞いてくれて30日分の薬を処方されて1280円だった。院内に薬局があるからこの価格なのだと思う。こんなに安いとは思わなかった。漢方医では診察料込みで4000円以上だったし。

もうこれであの漢方医に通わなくても良いと思う。灯台下暗しと言うが、こんなに近くにこんなに良い病院があったのだ。

何か従兄の顔が想い出されて涙した。


ではでは。


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神田沙也加さんの心情を想う。

2022年02月04日 14時43分41秒 | 人生
私はお得ジャンキーです。お得に飢えています。私の人生、損する事ばかり多かったので。

最近、とんでもない事が判明しました。引っ越していった男が一度も家賃を払っていなかった。その金額2360000円です。私の親が管理していなかったのです。他にも怪しい人間が二人います。

私が親の財産を独り占めにすると考えていたのでしょうか、自分で管理し続けていた。こんなことだと思っていた。

その張本人は現在入院中です。死の危険もあります。私の予感通りでした。分かっていたのに私の考えを無視した。本当に私の家族は馬鹿揃いだと思います。私も馬鹿ですけど。

さて、神田沙也加さんです。彼女は昨年の10月に恋人と付き合いはじめ同棲を決めていたが、同棲を中止され12月に亡くなっています。飛び降り自殺だと思われています。

この感覚、私には分からない。たった2か月付き合っただけなのに同棲を決断するって、どんな心境なのだろう。たった2カ月間付き合っただけで破談されて自殺するなんて、どんな心境なのだろう。

私は同棲なんて考えない。交際を申し込んで断られても納得する。私と付き合うよりも良い男はいくらでもいる。断られてホッっとする気持ちもある。私は恋人に別れを告げられても自殺などしない。独りの方が楽だと思っているので。

彼女は恋愛ジャンキーだったのかなぁー。男無しでは生きて行けない。そんなタイプの人間なのかなぁー。親譲りなのかなぁー。

私、松田聖子も当然そうですが、神田正輝も好きになれません。否、石原軍団っと言って良いかな。

松田聖子と神田正輝が付き合い始めた。そして石原軍団はお祭り騒ぎしていた。そして結婚した。何か嫌だなそう言うの。

石原裕次郎が大病をして復帰した時、「長かろうと 短かろうと 我が人生に悔いはない」なんて歌を唄わせた。まるで死ぬのを前提に唄わせているみたい。偽善的で本当に嫌いだ。

それは兎も角、本当に神田正輝は松田聖子を好きになって結婚したのだろうか。自分や石原軍団の人気を盛り上げる為じゃないのか。なんかそんな感じがしていた。本当に好きなら離婚しないと思うし。まっ、松田聖子に原因があったのだろうけど。

やっぱり松田聖子と神田沙也加さんは似ている。

神田沙也加さんの最初の結婚相手は仮面ライダー・キバの敵役幹部の男。背の高い不気味系二枚目。

別れた原因は分からないが、収入面では神田沙也加さんの方が大分上だったと思える。

そして同棲を希望した相手は仮面ライダー・ウィザードに出ていたチャラい感じの敵役幹部だった。

この男の実家は大変裕福との話です。経済面では何も問題が無い。女性は相手の経済面を重視するから、本当に結婚したかったのだと思う。適齢期の後半である35歳だったし。

それが同棲を断られた。「死ねよ、死ねよ」と罵られた。

彼女は鬱病だったのは間違いないと思う。私も鬱病だが親や肉親に攻撃されて鬱が深まった。辛かった。彼女も辛かっただろうなぁー。

相手は30歳。自分よりも5歳年下。年下が好きになるのは養育欲の現れ。女性と言うより、祖母の感覚に近い。

女性はホルモンの関係上、或る程度の年齢になるとどうしても年下が好きになる。養育したいと思うようになる。それは本能だ。

30男としてはそれは受け入れられない。年上女性に魅力を感じるのは、一般的には若い時だけだ。だから大抵は破局する。

しかし、松田聖子は年下男と結婚している。自分もそれが出来ると思っていた。それが無理だった。自分は松田聖子になれなかった。松田聖子に負けた。

そんな風に考えたのかなぁー。

視野が狭かった。松田聖子を追い過ぎた。そんな感じなのかなぁー。

否、もしかして相手に対して復讐しようと考えたのかも知れない。

死ねと言われたから死んだ。これは相手のダメージは甚大。もう芸能界では活躍できない。もしかしたら結婚も出来ないかも。そこまで考えたのかも知れない。

それにしても彼女は諦めが悪かった。諦めきれなかった。100点満点の結婚がしたい。そんな風に考えていたのか。

私は人生を諦めている部分があるし、100点なんて取れる実力を有していない。10点、否、1点も取れないかも知れない。だからこそまだ生きているのかも知れない。

彼女は松田聖子を忘れるべきだった。もっと視野を広く持って休日を取り、他の人生を学ぶべきだった。恋愛ごときに頑張るべきではなかった。

お金が無くても生きて行ける。結婚相手がいなくても生きて行ける。その思いに辿り着いていたら、亡くなる事は無かったと思います。

ただ、自殺したのであれば生きるのが辛かったのは間違いない。生に未練は無い。だとしたら成仏した。私はそう考えます。

死で生の苦しみから解放された。幸せになれた。死を納得し死に満足した。そうであって欲しいなと思います。

不謹慎かも知れませんが。


ではでは。











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