ノイバラ山荘

花・猫・短歌・美術な日日

ふきのとう

2011-03-10 14:54:48 | 文学
母が裏庭で蕗の薹を五つとってきました。


もう春なんですねー。
先日食い倒れ隊で行った子規庵の庭にも
蕗の薹がありました。

俳人正岡子規はあまりに有名ですが、
脊椎カリエスで寝たきりになっても、
旺盛な食欲と制作欲で、34歳で亡くなるまで
意欲的な創作活動を行いました。

(ぼろっちい)長屋の彼の家で句会が開かれ、
死後も続けられたそうです。
病床の彼を支えた同居の彼の母と妹も
また聡明な人であったと思われます。

子規が亡くなったのは明治35年、
翌明治36年に佐佐木信綱は31歳で
処女歌集『思草』を出版しています。

ちょうど「明星」が創刊され、
与謝野晶子、鉄幹が華々しく活躍していたころです。

明治の熱い息吹を感じながら、
子規庵の庭を歩いたことでした。