ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

「くっすん大黒」 町田康

2008-05-20 06:45:38 | 
人間は、心から腐っていく。

なにもする気がない。仕事も家事もする気がない。TVも見たくないし、本も読みたくない。人と会いたくない。なにもしたくない。ただ、本能が必要とするので食事と睡眠だけはとる。

気がついたら風呂に最後に入ったのが何時か忘れた。金はいくら残っている?・・・忘れた、いや分らない。さっきドアを叩いていたのは大家かな。そりゃ家賃払わなきゃ、怒鳴り込んでもくるわな。でも無いものは、ない。

あれ?電気が付かない。そうか、電気代払ってないな。こりゃ、ガスも駄目だろうな。払った記憶ないし。

・・・まっ、いいか。

こうして、人は堕落していく。堕落して何が悪い。本当に悪いのか?誰が決めたんだ。俺は決めてない。身体から腐臭が漂ってくるが、そのうち鼻が馴れるもんだ。気にしない、気にしない。

ここで道は二つに分かれる。このまま一人で自滅する人と、誰かにすがっても生きていける図々しい人に。こんな自堕落な生き方が許されるのは人間だけだ。野生動物の社会なら、群れから放逐されるか、敵に殺されるかして消されてしまう。人間と動物とを分ける境界が、堕落した生き方を許容できることだとは、なんとも情けない話だ。

おそらく、放牧生活をおくる遊牧民や、狩猟民の社会では許されない生き方だと思う。流通を確立して、余剰生産物資を抱える都市文明でしか許されない生き方だろう。だから、ある程度の規模をもつ町があるなら、どの時代、どの文明でもあり得る生き方だと思う。

こんな自堕落な生き方が普遍性を持つとは不思議であり、不可解でもあり、不愉快ですらある。多分、ほとんどの人には無縁の生き方だと思うが、私は誰にでもあり得る生き方だとも考えている。

私もこのような自堕落な生き方にはまりかけたことがある。病気で病み衰えた自分が嫌で、外に出ることを厭い、積極的に生きることに嫌悪を抱いた。堕落していく自分を愛おしく思い、感性を鈍化させ、無気力に自らを染め上げた。

傍から見れば、愚かしく無様で醜悪な生き方だと思うが、当人にはぬるま湯的暖かささえ感じる生き方であった。このまま世間から忘れ去られて、自滅するのもいい。けっこう本気でそう願っていた。腐臭の漂うドブ川だって、そこに浸かってしまえば、案外心地よいと思えるものです。

でも、そんな私のことを忘れずにいた奴がいた。ときおり絵葉書などを送ってきた。気軽に書いているように見えたが、そうではあるまい。当時私は世間を拒絶しており、そのことを知っていたからだ。それなのに、私は忘れてないよ、いつか戻ってきてねとの想いが伝わってきた。

しぶしぶと、けれど断固たる決意を固めて私は起き上がった。外に出ても恥ずかしくないよう、外見を整え、それから病んだ身体で出来ることを探した。それが税理士試験だった。

人は一人では生きてはいけない。一人だと立ち腐れてしまうのだろう。私が弱いだけかもしれませんがね。
コメント (4)
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