ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

プロレスってさ ラッシャー木村

2008-05-21 14:28:22 | スポーツ
大学生の頃に、酔っ払って高田馬場の西口をふらふらしていた時のことだ。

薄暗い路地を歩いていると、突然人影が目の前を遮った。「あんだ、この野郎!」と言い掛けた口を思わず閉じた。

デカイ!いや、それ以上にごつい。赤と黒が基調の派手な服は、堅気の人が着るには派手すぎだ。しかし、それ以上に、その薄い生地の下の筋肉の分厚さが、私を本能的に怯えさせた。

少し距離を置いて、前にまわって見直すと、なんとプロレスラーのラッシャー木村だった。

80年代プロレスの黄金期において、その流れについていけずに廃業した国際プロレスのエースが、ラッシャー木村だった。力道山以来、伝統の黒タイツを身に着けたラッシャー木村は、風貌はさえないが、朴訥な人柄で悪い評判は聞いたことがなかった。

しかし、派手な興行で知られる新日本プロレスへ移った際に、殺気立つ会場でマイクをとって一言「今晩は、ラッシャー木村です」と、ごくごく常識的な挨拶をしてしまったが故に、ダサイとの評を得てしまった気の毒な御仁でもある。

過剰な演出が目立つ新日本では、彼の朴訥さはマイナス評価となってしまった。あげくに、猪木と一対三のハンデキャップ・マッチを組まされ、完全に引き立て役扱いであった。正直、当時は背中に悲哀が漂っていた。

倒産した中小企業の社長が、大企業に移ったものの、遥か年下の若手社員たちにあごでこき使われるかのような姿であったことは、否定しがたいと思う。そのせいか、リストラが身にしみて分る中高年が応援していたようだ。

若かった私はTVでプロレスを観ていた時は、ラッシャー木村をバカにしていた。しかし、目の前に立つ当人を前にしたら、何も言えなくなった。デカイだけではない。ただ、歩くだけで、思わずよけてしまうほどの迫力があった。身体の分厚さが、普通の人とはまるで違う。

気になって、しばらくついて歩いた。やはりラッシャー木村だと気がついた周囲の酔漢が、絡んでこようとして、すぐに怯えて避けていくのが面白かった。私もそうだが、身近に見る、あの迫力はすごいものがあった。

たしか大相撲上がりだと思う。打たれ強そうな体躯、桁外れに太い二の腕。下手な虚勢を張る酔漢さえ怯えさす顔面の傷跡。新日本プロレスでは、やられ役、引き立て役だったが、この人喧嘩は強いと思う。

その後、ジャイアント馬場の下へ移り、あの朴訥な語りがマイク・パフォーマンスとして人気が出るようになった。馬場ともウマが合ったようだ。馬場と木村がリングに立つと、なぜか観客が優しいまなざしをリングにむけていたように感じて、妙におかしかった。

際立った必殺技もなく、風貌もさえないラッシャー木村だったが、プロレスラーとしての矜持は捨てなかった。その朴訥さが、観客からも評価される、稀有な人だった。こんな人がリングに立つ時代のプロレスを楽しめた私は、幸せだったと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする