まだ明けきらぬ早朝のF駅は、がらんとしていて蛍光灯がうすら寒く感じた。
本当は昨夜のうちに着いているはずだった。いろいろあってその晩には間に合わず、結局大阪から東京行きの夜行列車で早朝に途中下車することになり、寝ぼけ眼で駅の改札を抜けた。
同期のT嬢の実家に立ち寄るつもりだが、如何せん着くのが早すぎた。駅前の喫茶店で時間を潰すかと思い、いざ外へ出ると薄暗い駅前ロータリーは人影まばらで、開いている店はどこもなかった。目の前に広がるはずの富士山でさえ、暗闇が濃くて、よく見えやしない。
致し方なく、駅に戻り改札前に設けられたベンチに座り込み、文庫本でも読み出す。天井の高い改札口は、蛍光灯の光が白々しく、時折線路を走り抜ける貨物列車の振動だけが響き渡る。
ふと気がつくと、10個ちかくあるベンチの片隅に人影がみえる。ちらりと見やると、どうも若い女性らしい。静まりかえった改札口の沈黙が、なんとなく気まずく私は文庫本を読むことに集中していた。
「お菓子、食べませんか?」
背後からいきなり声をかけられた。振り返ると、件の若い女性が飴の袋をもって立っていた。礼を言って、飴をいただくと、それをきっかけに話し出した。
「さっき、東京行きの夜行から降りてきた方ですよね。どうして戻ってきたのですか?」と尋ねられた。私は帰京する途中で友人宅に立ち寄るつもりだが、早く着きすぎて、店も開いてなくて仕方なく戻ってきたことを告げた。
答ながら、妙に思った。私が改札を抜けてきたとき、どうやら既にこのベンチにいたらしい。若い女性が一人で駅にいる時間ではない。さりとて待ち合わせの様子もない。なにより服装がちぐはぐだ。十代後半のようだが、外出する格好にしては、あまりにラフだ。
おずおずと尋ねてきた。「東京の方ですよね。アパート借りる時って、保証人は必ず必要ですか?」
どうやら上京を考えているらしい。しかも、突発的に出てきたようだ。私は日本国内なら、どこでも部屋を借りる時は保証人が必要だろうねと、一応答えておく。(昭和の頃で、保証会社はまだない)
お節介な上に、意地悪な私は淡々と続けた。ただし、彼女の顔がみえない方向にそっぽを向いて話だした。「でも、まあ、若い女性なら手はないでもない。いささか気持ち悪い時間を我慢する必要があるが、なに、心を凍らせて我慢していればいい。いきなり吉原はきついから、渋谷か五反田あたりの風俗店に相談すればアパートぐらいなんとかしてくれるよ」
感情をこめずに、平坦に話続けた。「なに、あのあたりの風俗店なら本番はないから妊娠の心配はない。たしかに気分の悪い仕事だけど、金にはなる。金さえ十分あれば自由に暮らせるのが東京のいいところだよ」
鼻をすする音が聞こえた気がした。「もっと、詳しく説明しようか?」と聞くが、答はかえってこない。
もう話を続ける必要はなさそうだ。私はジュースの自働販売機に行き、ホットの缶コーヒーを買って、彼女に手渡した。うつむいたまま小さな声で「どうも」といったまま、ベンチの上で固まっていた。
しばらくして彼女、すくっと立ち上がると「帰ります!」と声を発した。私は黙って手をぶらぶらさせて、彼女が走り去る後ろ姿を見送った。
別に家出しようと、風俗店に身を落とそうと私の知ったことではないが、私がきっかけになるのは御免だ。東京に限らないが、都会は余所者には冷たいところだ。その冷たさに耐え、他人の欲望を食い散らかして一稼ぎするには覚悟が足らない。
気がつくと駅の外は既に明るい。Tの大好きな富士山が朝日に輝いている。あとこ一時間したら、電話で迎えにこさせるか。それまでに文庫本一冊読みきれそうだ。Tに会って渡すものを渡したら、今日のうちに東京へ帰ろう。あそこが、私の故郷なのだから。どんなに冷たくて、汚い街でも、あそこしか私の帰るところはないしね。
本当は昨夜のうちに着いているはずだった。いろいろあってその晩には間に合わず、結局大阪から東京行きの夜行列車で早朝に途中下車することになり、寝ぼけ眼で駅の改札を抜けた。
同期のT嬢の実家に立ち寄るつもりだが、如何せん着くのが早すぎた。駅前の喫茶店で時間を潰すかと思い、いざ外へ出ると薄暗い駅前ロータリーは人影まばらで、開いている店はどこもなかった。目の前に広がるはずの富士山でさえ、暗闇が濃くて、よく見えやしない。
致し方なく、駅に戻り改札前に設けられたベンチに座り込み、文庫本でも読み出す。天井の高い改札口は、蛍光灯の光が白々しく、時折線路を走り抜ける貨物列車の振動だけが響き渡る。
ふと気がつくと、10個ちかくあるベンチの片隅に人影がみえる。ちらりと見やると、どうも若い女性らしい。静まりかえった改札口の沈黙が、なんとなく気まずく私は文庫本を読むことに集中していた。
「お菓子、食べませんか?」
背後からいきなり声をかけられた。振り返ると、件の若い女性が飴の袋をもって立っていた。礼を言って、飴をいただくと、それをきっかけに話し出した。
「さっき、東京行きの夜行から降りてきた方ですよね。どうして戻ってきたのですか?」と尋ねられた。私は帰京する途中で友人宅に立ち寄るつもりだが、早く着きすぎて、店も開いてなくて仕方なく戻ってきたことを告げた。
答ながら、妙に思った。私が改札を抜けてきたとき、どうやら既にこのベンチにいたらしい。若い女性が一人で駅にいる時間ではない。さりとて待ち合わせの様子もない。なにより服装がちぐはぐだ。十代後半のようだが、外出する格好にしては、あまりにラフだ。
おずおずと尋ねてきた。「東京の方ですよね。アパート借りる時って、保証人は必ず必要ですか?」
どうやら上京を考えているらしい。しかも、突発的に出てきたようだ。私は日本国内なら、どこでも部屋を借りる時は保証人が必要だろうねと、一応答えておく。(昭和の頃で、保証会社はまだない)
お節介な上に、意地悪な私は淡々と続けた。ただし、彼女の顔がみえない方向にそっぽを向いて話だした。「でも、まあ、若い女性なら手はないでもない。いささか気持ち悪い時間を我慢する必要があるが、なに、心を凍らせて我慢していればいい。いきなり吉原はきついから、渋谷か五反田あたりの風俗店に相談すればアパートぐらいなんとかしてくれるよ」
感情をこめずに、平坦に話続けた。「なに、あのあたりの風俗店なら本番はないから妊娠の心配はない。たしかに気分の悪い仕事だけど、金にはなる。金さえ十分あれば自由に暮らせるのが東京のいいところだよ」
鼻をすする音が聞こえた気がした。「もっと、詳しく説明しようか?」と聞くが、答はかえってこない。
もう話を続ける必要はなさそうだ。私はジュースの自働販売機に行き、ホットの缶コーヒーを買って、彼女に手渡した。うつむいたまま小さな声で「どうも」といったまま、ベンチの上で固まっていた。
しばらくして彼女、すくっと立ち上がると「帰ります!」と声を発した。私は黙って手をぶらぶらさせて、彼女が走り去る後ろ姿を見送った。
別に家出しようと、風俗店に身を落とそうと私の知ったことではないが、私がきっかけになるのは御免だ。東京に限らないが、都会は余所者には冷たいところだ。その冷たさに耐え、他人の欲望を食い散らかして一稼ぎするには覚悟が足らない。
気がつくと駅の外は既に明るい。Tの大好きな富士山が朝日に輝いている。あとこ一時間したら、電話で迎えにこさせるか。それまでに文庫本一冊読みきれそうだ。Tに会って渡すものを渡したら、今日のうちに東京へ帰ろう。あそこが、私の故郷なのだから。どんなに冷たくて、汚い街でも、あそこしか私の帰るところはないしね。