逢いたいけど、逢わずに立ち去ろう。
銀座三越の食品売り場を散策していた時のことだ。美味しそうな食材に目移りしながら、人ごみのなかを縫うように歩いていると、どこかで聞いたことのある声が耳に飛び込んできた。
忘れもしない、あの穏やかで深みのある温和な声だった。思い出が、どっと脳裏を駆け抜けた。
あの頃、私は彼女が読み上げるガイドブックの内容なんて、まるで頭に入らなかった。聞いているのといぶかる彼女に、全身全霊をもって聞いているよと答えたものだ。私はあの声が好きだった。
耳元で囁かれようものなら、それがどんなわがままでも叶えてやりたくなった。黒目がちの瞳も、こぶりな鼻も好きだったが、その小さな口から出る言葉の響きにほれこんだものだった。
短気な私をたしなめるのが、誰よりも上手な女性だった。私は喜んで彼女の手の平で踊ったものだ。わかっていも、私は騙されてやったものだ。それでも幸せだった。
ただ、学生と社会人の違いは如何ともしがたく、私が卒業するまえに結論は出てしまった。
あれから20数年、あの声は聞き間違えようがない。そっと振り向くと、二人の子供をつれた女性の後姿が覗けた。角を曲がっていくの注視していると、その横顔は間違いなく彼女のものだった。
視線に気付かれた気がして、思わず顔をそむけた。
ぐっと身体に力をこめて、強く息を吐いて、それからその場を反対方向に立ち去った。
間違いないけど、あれは見間違いだった。そうしよう、そういうことにしよう。私には不似合いなことって、たしかにあるのさ。表題の作品なんて、まさのその典型だと思う。無いものねだりとは言わないが、遠くから見るだけに留めたほうがいいことって、たしかにあるんだよね。
いけね、夕食の食材買うの忘れた。まっ、いいか。今夜は外食で済まそう。ちょっとぐらい飲んでもいいよね、こんな夜はさ。
銀座三越の食品売り場を散策していた時のことだ。美味しそうな食材に目移りしながら、人ごみのなかを縫うように歩いていると、どこかで聞いたことのある声が耳に飛び込んできた。
忘れもしない、あの穏やかで深みのある温和な声だった。思い出が、どっと脳裏を駆け抜けた。
あの頃、私は彼女が読み上げるガイドブックの内容なんて、まるで頭に入らなかった。聞いているのといぶかる彼女に、全身全霊をもって聞いているよと答えたものだ。私はあの声が好きだった。
耳元で囁かれようものなら、それがどんなわがままでも叶えてやりたくなった。黒目がちの瞳も、こぶりな鼻も好きだったが、その小さな口から出る言葉の響きにほれこんだものだった。
短気な私をたしなめるのが、誰よりも上手な女性だった。私は喜んで彼女の手の平で踊ったものだ。わかっていも、私は騙されてやったものだ。それでも幸せだった。
ただ、学生と社会人の違いは如何ともしがたく、私が卒業するまえに結論は出てしまった。
あれから20数年、あの声は聞き間違えようがない。そっと振り向くと、二人の子供をつれた女性の後姿が覗けた。角を曲がっていくの注視していると、その横顔は間違いなく彼女のものだった。
視線に気付かれた気がして、思わず顔をそむけた。
ぐっと身体に力をこめて、強く息を吐いて、それからその場を反対方向に立ち去った。
間違いないけど、あれは見間違いだった。そうしよう、そういうことにしよう。私には不似合いなことって、たしかにあるのさ。表題の作品なんて、まさのその典型だと思う。無いものねだりとは言わないが、遠くから見るだけに留めたほうがいいことって、たしかにあるんだよね。
いけね、夕食の食材買うの忘れた。まっ、いいか。今夜は外食で済まそう。ちょっとぐらい飲んでもいいよね、こんな夜はさ。