腰が抜けて、その場にへたりこんだ。
あれは高校生の頃だ。ゴールデンウィークの連休を利用して、東京近郊の丹沢へ登った。麓は既に新緑が生茂り、鳥のさえずりが喧しいほどだ。
沢筋をつめ、やがて傾斜を増すと谷あいを九十九折にのぼり、峠を目指した。稜線が木の合間から覗け、もうすぐ峠に着く手前だった。
先頭を歩く私は、いつのまにやら鳥の囀りが消えて、山が沈黙に包まれていることに気がついた。なんとなく嫌な感じがした。おまけにすぐ頭上に稜線の道があるのに、ゆるやかに斜行して登ることに飽きてきたので、少しイラついていた。
緩やかに山腹をトラバースしている整備された登山道の脇に、稜線へ直登すると思える獣道を見つけると、迷うことなく私は獣道を突き進んだ。後ろを歩く仲間から、抗議の声が上がったが、私は無視して急登を四つん這いで登り続けた。
すぐに稜線に登り詰め、後ろのメンバーがたどり着くのを待った。なにか言いたげな彼らに「近道しただけだよ」と告げて、すぐに峠に向けて稜線を歩きだした矢先だった。
突如、足元から地響きが轟いた。私の足先3メートルぐらいで稜線が崩れ、はらわたに響く低周波とともに山が崩れた。
山津波である。
この季節、山は暖かさから地盤がぬかるみ、時折崩壊することがある。遠方から眺めたことはあったが、目と鼻の先での山津波は初めての経験だった。
ゴロゴロと雷が鳴るような轟音に、飛び跳ねる巨石の砕ける音が混じる。あまりの衝撃に身体が動かない。無理に首を曲げ、崩れた先を見ると、そこには私たちが登っていた登山道があったはずの場所だ。
赤黒い土が盛り上がり、根っ子を持ち上げた当リが散乱している。数十メートルにわたり谷は崩壊して、見る影もない。登山道は文字通り寸断されていた。山津波としては規模は小さいが、その迫力は尋常ではなかった。
気がついたら、私はへたりこんで座っていた。膝に力が入らず、立ち上がることも出来ない。仲間の肩を借りて、安全な樹林帯まで下がり、そこで小休止した。全員、顔面蒼白であった。
リーダーの指示で、急遽お茶を沸かし、甘いものを食べて気持ちを落ち着かせた。皆から「なんで分ったんだ?」と訊かれたが、分ってなんかいやしない。ただ、このまま進むのが嫌だっただけだと答えた。
山はなにが起こるか分らない。事前の知識なんて、気まぐれな自然の前には、あっというまに吹き飛んでしまう。だからこそ、感覚を磨き、何事にも対応できるように心を研ぎ澄ます。
しかしながらあの時、予感も予測もなにもなかった。ただ不自然な静寂に違和感は感じたが、私はすぐ頭上に見える稜線に近道したかっただけだ。わかっていたら、へたり込むような無様な醜態はみせない。
ただ、助かっただけだ。命拾いしただけだ。
その場で今後のルートを再考し、谷筋は避けて稜線伝いに行くことが決定された。途中の山小屋に寄り、山津波を伝えておく。さすがに山小屋の主人は、あの轟音に気がつき心配していたようだ。
その後は何事もなく、無事に西丹沢を抜けて道志村へ下山した。
今はもう山へ登ることのできない身体と成り果てたが、山間を車でドライブしていると、たまにあの春雷の如く轟音を鳴り響かせた山津波を思い出す。自然の前では、人間なんてちっぽけな存在だと、つくづく思うのです。
あれは高校生の頃だ。ゴールデンウィークの連休を利用して、東京近郊の丹沢へ登った。麓は既に新緑が生茂り、鳥のさえずりが喧しいほどだ。
沢筋をつめ、やがて傾斜を増すと谷あいを九十九折にのぼり、峠を目指した。稜線が木の合間から覗け、もうすぐ峠に着く手前だった。
先頭を歩く私は、いつのまにやら鳥の囀りが消えて、山が沈黙に包まれていることに気がついた。なんとなく嫌な感じがした。おまけにすぐ頭上に稜線の道があるのに、ゆるやかに斜行して登ることに飽きてきたので、少しイラついていた。
緩やかに山腹をトラバースしている整備された登山道の脇に、稜線へ直登すると思える獣道を見つけると、迷うことなく私は獣道を突き進んだ。後ろを歩く仲間から、抗議の声が上がったが、私は無視して急登を四つん這いで登り続けた。
すぐに稜線に登り詰め、後ろのメンバーがたどり着くのを待った。なにか言いたげな彼らに「近道しただけだよ」と告げて、すぐに峠に向けて稜線を歩きだした矢先だった。
突如、足元から地響きが轟いた。私の足先3メートルぐらいで稜線が崩れ、はらわたに響く低周波とともに山が崩れた。
山津波である。
この季節、山は暖かさから地盤がぬかるみ、時折崩壊することがある。遠方から眺めたことはあったが、目と鼻の先での山津波は初めての経験だった。
ゴロゴロと雷が鳴るような轟音に、飛び跳ねる巨石の砕ける音が混じる。あまりの衝撃に身体が動かない。無理に首を曲げ、崩れた先を見ると、そこには私たちが登っていた登山道があったはずの場所だ。
赤黒い土が盛り上がり、根っ子を持ち上げた当リが散乱している。数十メートルにわたり谷は崩壊して、見る影もない。登山道は文字通り寸断されていた。山津波としては規模は小さいが、その迫力は尋常ではなかった。
気がついたら、私はへたりこんで座っていた。膝に力が入らず、立ち上がることも出来ない。仲間の肩を借りて、安全な樹林帯まで下がり、そこで小休止した。全員、顔面蒼白であった。
リーダーの指示で、急遽お茶を沸かし、甘いものを食べて気持ちを落ち着かせた。皆から「なんで分ったんだ?」と訊かれたが、分ってなんかいやしない。ただ、このまま進むのが嫌だっただけだと答えた。
山はなにが起こるか分らない。事前の知識なんて、気まぐれな自然の前には、あっというまに吹き飛んでしまう。だからこそ、感覚を磨き、何事にも対応できるように心を研ぎ澄ます。
しかしながらあの時、予感も予測もなにもなかった。ただ不自然な静寂に違和感は感じたが、私はすぐ頭上に見える稜線に近道したかっただけだ。わかっていたら、へたり込むような無様な醜態はみせない。
ただ、助かっただけだ。命拾いしただけだ。
その場で今後のルートを再考し、谷筋は避けて稜線伝いに行くことが決定された。途中の山小屋に寄り、山津波を伝えておく。さすがに山小屋の主人は、あの轟音に気がつき心配していたようだ。
その後は何事もなく、無事に西丹沢を抜けて道志村へ下山した。
今はもう山へ登ることのできない身体と成り果てたが、山間を車でドライブしていると、たまにあの春雷の如く轟音を鳴り響かせた山津波を思い出す。自然の前では、人間なんてちっぽけな存在だと、つくづく思うのです。