ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

ブルートレインの思い出

2009-05-20 06:50:00 | 旅行
生まれて初めて乗ったブルートレインは、多分小学1年の夏だったと思う。

九州は宮崎への旅行であった。私にとっては夏休みのお楽しみであったが、おそらく母には人生の迷い道での道程だったと思う。

まだ父母の離婚は決まっていなかったが、当時既に夫婦の関係はおかしくなっていた。実際、この夏休みの旅行に父の姿はなかった。幼い3人の子供を抱えた母は、これからの人生について、かなり迷っていたはずだ。

九州へ行くことを決めたのは、かつて隣に住んでいた女性に相談に行くためではなかったのかと思う。我が家の隣に住んでいた女性が、東京から遠く九州へ引っ越して以降、遊びに来るように誘われていたことも、いいきっかけになったはずだ。

その女性には私ら兄妹は、けっこう世話になっていた。特に下の妹は、血の通った親族に接するが如く慕っていたと思う。だが、それ以上に母は話し相手、相談相手として、その女性を頼りにしていた。

だからこそ、わざわざ寝台列車に乗ってまでして、逢いに行ったのだと思う。その道中でのことだ。初めての寝台列車に興奮した私たち兄妹が騒ぐので、近くの席の初老の女性にたしなめられた。

凛とした気品のある人で、それをきっかけに母はその女性と、夜遅くまで話しこんでいた。

深夜にその女性は途中下車されたようで、翌朝にはいなかった。母は何も言わなかったが、このとき再会の約束を交わしていたらしい。

九州に1週間ほど滞在し、まっすぐ帰京すると思いきや、母は私たちを連れて途中下車した。訪れた先は、あのブルートレインで出会った初老の女性宅であった。

林のなかの、こざっぱりしたお宅であったと記憶している。一人で暮らしているようで、私たちの訪問を歓迎してくれた。やはり躾の厳しい方で、私はけっこう叱られた。お水のことを「お冷」と呼ぶことは、この人から教わったと思う。出されたものは、嫌いなものでも口を付けることが礼儀だとも言われた。

その家で一泊して帰京したが、このブルートレインでの旅は、母の人生の大きな岐路であったと思う。きっと沢山の人がブルートレインに乗って、新たな人生の道行きを進めたことだろう。

そのブルートレインも時代の波に押されて、先月でなくなってしまったと新聞で読んだ。新幹線や飛行機での旅が当たり前となり、寝台列車なんて時代に合わないと言われれば、たしかにそうだが、そんなゆったりした旅の仕方も残して欲しかったと思います。
コメント
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