頼むから、風呂は無理でもシャワーぐらい浴びてほしい。
夏場のロンドンの地下鉄は最悪だった。なにがって、体臭である。ただでさえ密閉された空間に閉じ込められるのに、あの体臭と香水のミックスされた匂いが充満した地下鉄の車内は悪夢に近い。
朝のラッシュ時(けっこう混むぞ)は我慢できたが、夜の帰宅時のラッシュの悪臭には我慢できなかった。気持ち悪くなって、途中で降りて慌てて地上に出ると、歩いてホテルまで戻ったものだ。
子供の頃は、白人は体臭がきついと思い込んでいたが、実際は日本人でも風呂に入らなければ、かなり強烈な体臭を放つと分った。多分に食生活の影響もあるようだ。肉料理はもちろん、スパイスを多用した料理を常食している西アジア系の人たちの体臭もかなりきつい。こちらでは香水よりも、お香で匂いを誤魔化すようだ。
ありがたいことに、日本は水資源に恵まれている。だから朝風呂はもちろん、夕暮れ前から銭湯が開店して、汗まみれの身体を清潔にする習慣が根付いている。でも、これは綺麗な水が豊富な日本ならではの特権だ。
ロンドンのテームズ川でも、パリのセーヌ川でも、その水は汚水に近い。水道の水はカルキ臭がきつすぎて、なまじシャワーを多用すると髪の色が変るぐらいだ。水は貴重品なのだとよく分る。
そのせいか、フランスでは風呂に入ることは健康に悪いとの風聞があり、それを風呂に入らない理由にしている。シャワーでさえ控えめにしか使わないらしい。当地に在住の日本人は、あまりに水を使うので日本人用の特別料金を大家から請求された友人もいるぐらいだ。
だからといって、体臭がきつく臭うことを、必ずしもイイことだとは思っていないらしい。田舎から事情があってパリに出てきた小娘ザジは、パリっ子の叔父さんに出会ってすぐに臭いとブーたれる。
この年代の小娘は生意気で、癪に障るが、それでも無視できない魅力があるのは古今東西変ることはないらしい。正直言って私も苦手だ。苦手だけれど、ちょっと近づいてみたい気もする。
早く大人になりたくて、ついつい攻撃的で刺激的なことを口にだしてしまう小娘たちは、大人にとって天敵に近い存在でもある。苦手と知りつつ無視しえないのは、まだ熟成はしてないが新鮮な酸味を感じるボージョレー・ヌーボーの如き味わいを感じるからだと思う。
あと数年我慢すれば、もっと味がまろやかで、芳醇なワインになると知りつつ、栓を開けて飲んでしまう。我ながら度し難い心情でもある。
表題の作品は、そんな小娘と大人たちとのやりとりをいかに表現するかを求めた実験小説のひとつです。文体にいささかの乱れがあるのは、そのせいだと思った。多分、戯曲形式で書くべき内容だと思うが、それを小説のかたちにしたかったのだろう。
いささか消化不良気味だが、憎たらしくも愛くるしい小娘の魅力がふりまかれているのは確かです。まぁ強いてお薦めはしませんがね。
夏場のロンドンの地下鉄は最悪だった。なにがって、体臭である。ただでさえ密閉された空間に閉じ込められるのに、あの体臭と香水のミックスされた匂いが充満した地下鉄の車内は悪夢に近い。
朝のラッシュ時(けっこう混むぞ)は我慢できたが、夜の帰宅時のラッシュの悪臭には我慢できなかった。気持ち悪くなって、途中で降りて慌てて地上に出ると、歩いてホテルまで戻ったものだ。
子供の頃は、白人は体臭がきついと思い込んでいたが、実際は日本人でも風呂に入らなければ、かなり強烈な体臭を放つと分った。多分に食生活の影響もあるようだ。肉料理はもちろん、スパイスを多用した料理を常食している西アジア系の人たちの体臭もかなりきつい。こちらでは香水よりも、お香で匂いを誤魔化すようだ。
ありがたいことに、日本は水資源に恵まれている。だから朝風呂はもちろん、夕暮れ前から銭湯が開店して、汗まみれの身体を清潔にする習慣が根付いている。でも、これは綺麗な水が豊富な日本ならではの特権だ。
ロンドンのテームズ川でも、パリのセーヌ川でも、その水は汚水に近い。水道の水はカルキ臭がきつすぎて、なまじシャワーを多用すると髪の色が変るぐらいだ。水は貴重品なのだとよく分る。
そのせいか、フランスでは風呂に入ることは健康に悪いとの風聞があり、それを風呂に入らない理由にしている。シャワーでさえ控えめにしか使わないらしい。当地に在住の日本人は、あまりに水を使うので日本人用の特別料金を大家から請求された友人もいるぐらいだ。
だからといって、体臭がきつく臭うことを、必ずしもイイことだとは思っていないらしい。田舎から事情があってパリに出てきた小娘ザジは、パリっ子の叔父さんに出会ってすぐに臭いとブーたれる。
この年代の小娘は生意気で、癪に障るが、それでも無視できない魅力があるのは古今東西変ることはないらしい。正直言って私も苦手だ。苦手だけれど、ちょっと近づいてみたい気もする。
早く大人になりたくて、ついつい攻撃的で刺激的なことを口にだしてしまう小娘たちは、大人にとって天敵に近い存在でもある。苦手と知りつつ無視しえないのは、まだ熟成はしてないが新鮮な酸味を感じるボージョレー・ヌーボーの如き味わいを感じるからだと思う。
あと数年我慢すれば、もっと味がまろやかで、芳醇なワインになると知りつつ、栓を開けて飲んでしまう。我ながら度し難い心情でもある。
表題の作品は、そんな小娘と大人たちとのやりとりをいかに表現するかを求めた実験小説のひとつです。文体にいささかの乱れがあるのは、そのせいだと思った。多分、戯曲形式で書くべき内容だと思うが、それを小説のかたちにしたかったのだろう。
いささか消化不良気味だが、憎たらしくも愛くるしい小娘の魅力がふりまかれているのは確かです。まぁ強いてお薦めはしませんがね。