ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

アジア杯報道に思うこと

2011-01-25 12:24:00 | スポーツ

寒いと眠くなる。

私は子供の頃から寒いのが苦手で、寒くなると布団にもぐりこむ癖がある。ただし、電気毛布や湯たんぽなどは使わない。冷たい布団が、次第に温まり、ヌクヌクしていく感じが好きなのだ。もう、こうなると布団から出たくない。

だから、冬の読書は布団にもぐりこんでしていることが多い。これはこれで幸せな時間なのだが、おかげでTVをほとんど観ていない。

一月はアジア杯が中東のカタールで行われており、ザック新監督の下で新生日本代表の活躍を観たかったのだが、眠気と寒さには勝てず、ほとんど試合を観ていない。

その代わり、新聞のスポーツ紙面やサッカー専門誌、ネットのサッカー情報には十分目を通したつもりだ。そこで気がついたのが、「中東の笛」といった表現だ。

予選リーグ第二試合のシリア戦での審判のPK判断と川島GKの退場を指しているようだ。

はて、どうかな?日本に与えられたPKだって怪しいぞ。でも、試合としては、そう悪いものではなかったと思う。

アウェイで試合をする場合、どこても地元のチームに有利な笛が吹かれるのは、サッカーの世界では常識だ。さすがにW杯やヨーロッパ選手権あたりになると、審判もなるべく公平であらんと努力するようだが、基本的に地元有利な審判がされることが通例だ。

審判は中立公正で、不偏不党であるべきとは正論ではあるが、ある意味現実離れした青臭い理想論である。人間が裁く以上、そこにある程度の偏りが生じるのが当たり前。神ならざる人が裁くということは、そういうものだと大人の割り切りがあってもいいのではないか。

もちろん、程度の問題はある。あまりに酷い偏った笛を吹く審判だと、試合そのものが壊れてしまう場合がある。しかし、上手な審判だと、ある程度偏りがあったとしても選手も観客も納得せざる得ない。実際、名試合と呼ばれた試合では、審判の判断は公正さよりも、試合を上手に進めることに重点が置かれていることが多い。

過去の名試合や、名ゴールシーンを集めたDVDなんかを観ると、これオフサイドでは?あれ、なんでカードが出ないの?と疑問に思うことがある。でも、結果的に試合は盛り上がり、名場面が生まれ、観客の熱狂と興奮が最高潮に達する。

審判もまた、試合を作り上げる重要な役割を負っている。極論だが、審判は試合を上手にコントロールすることが大事であり、公正中立な笛を吹くことは二の次なのかもしれない。多分、公言されることはないが、公正であるという建前よりも、良い試合をつくらんとする方が本音なのだろうと思う。

そう思うと、頭が痛いのが日本サッカー協会の対応だ。日本で試合をする場合、不思議なくらい審判が中立的な笛を吹く試合が多い。おそらくは、審判に日本有利な笛を吹かせるような殊遇を積極的にしていないのだろう。

それは日本的美点なのかもしれないが、世界と戦う場合はハンデキャップでしかない。また、青臭いアマチュアイズムに毒されているマスコミも悪い。

アジア、アフリカで行われている試合で、審判の笛が中立公正であることなんて滅多にないぞ。いや、南米や欧州だって程度の差はあれども、地元有利な笛が吹かれることが当たり前だ。その現実をマスコミは分っているのか?

いい試合とは、審判が目立たない試合だ。上手な審判は、試合が円滑に進むように目立たぬ配慮をしていることが多い。ラフプレーが目立つ選手に、軽く声をかけて落ち着かせたり、あるいはきわどいプレーを熟視して、選手に軽いプレッシャーを与えて試合を荒れさせない。

クソ真面目に中立公正を演じたがる日本の審判には、この配慮が足らない。だから世界的に見ればラフプレーの少ないJリーグの試合でさえ、選手や観客が荒れるような試合を作ってしまう。

そして、日本のサッカー報道は、審判の質にまで論じられるような良質な記事を書けるものは極めて少ない。日本サッカーは強くなったと思うが、それは選手だけで、サッカー協会幹部やマスコミのサッカー報道は、相変わらずアマチュア・レベルであると断じざる得ません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする