アメリカン・ドリームの体現者、それがハルク・ホーガンだ。
プロレスラーには大男が多い。なかにはホルモン異常ともいえる巨人症を抱えた者が少なくない。大雑把にいって、身長が2メートルを優に超すような大男は、巨人症ゆえか、どこか身体のバランスが悪い。
日本人ならば故・ジャイアント馬場がその典型だと思う。若いときはそれほど不自然ではないが、年をとり身体の老化が始まると、やはり巨人症の症状が顕著に出てくる。
ところが、ハルク・ホーガンは2メートルを超す長身であるにもかかわらず、きわめてバランスのいい体格であった。運動神経も人並み以上であり、その筋骨逞しさは理想的なバランスの良さであった。
しかし、恵まれた体格ゆえに、いささか不器用なプロレスラーであった。幼少時から人並み以上に巨体であったホーガンは、まず喧嘩を売られることはない。そのせいか、喧嘩上手とはいいかねた。むしろ、相手を怪我させることを恐れての手加減しているのが透けて見える。これでは人気は出ない。
それゆえ、せっかくプロレスラーとしてデビューしても、期待の大型新人でしかなく、いつしか壁にぶつかっていた。そのホーガンの転機となったのが、日本遠征であった。
ショーマンシップが強く求められるアメリカとは異なり、格闘技的技量が求められる日本のプロレス界で、自分よりも二廻り、いや三廻りは小柄な日本人レスラーたちに翻弄させられたホーガンは、ここで初めて持ち前の優れた運動神経を活かしたプロレスを覚えた。
そして、この太平洋の反対側で、本国アメリカでは過激すぎて干された不遇のレスラーが大活躍している姿を見た。それが当時、日本で人気絶頂であったスタン・ハンセンであった。
本来、日本人レスラーの敵役であるはずのハンセンは、その激しく一途な戦いぶりで、日本のプロレス・ファンのハートをつかんでいた。善玉とか悪役とかの枠を超えた、その人気ぶりにホーガンは圧倒された。そして、自分もやってみようと志し、ハンセンとタッグを組むことにした。
その後、アントニオ猪木ともタッグを組み、猪木の巧みなインサイドワークを学び、プロレスラーとしての可能性を拡大させた。ホーガンの最大の武器は、この向上心にこそある。
多くのアメリカ人プロレスラーにとって、日本は出稼ぎ場所に過ぎない。しかし、ホーガンは日本に腰をすえてプロレスを学びなおし、プロレスラーとしての実力を飛躍的に向上させた。
ただ単にデカイだけのレスラーから、激しく明るくファイトする人気レスラーに成長した。やがてアメリカに戻り、アメリカの市場に合わせて、新しいタイプのプロレスラーとして大人気を博した。
映画にも出演し、全米のみならず世界中に名を広めた。美しい妻を得て、愛する子供たちとフロリダの豪邸で暮らすホーガンは、まさにアメリカン・ドリームを実現した成功者であった。
だが、成功の陽射しが強ければ、その影も濃くなる。子供の交通事故、家を空けがちな夫への不満からの妻の不倫。そして人気者ホーガンには、常に女性がつきまとう。家庭は破綻してしまい、ついには泥沼の離婚訴訟。
つい昨年末、再婚を果たし、新しい人生に向けて一歩を踏み出したホーガンは、次に何を目指すのだろう。なかなかに目を離せない人物であるのは間違いないと思う。