まだ福島原発の事故が起きるはるか前、20年以上前から私は原子力発電所の建設にいささか懐疑的であった。
現代の原子力技術は、未だ発展途上のものだ。最大の欠点は、放射能廃棄物の処理が出来ないことだ。核分裂により多大なエネルギーを得ることが出来るが、その核分裂の副作用として多量の放射線が発生し、その放射線を受けた物質が放射能を帯びて更に放射線を生じるようになる。
この放射線は人体に多大な影響を及ぼす強烈なエネルギーを有する。そのエネルギーを使って癌の治療に役立てる場合もあるし、食料品の消毒などに用いられる場合もある。またラドン鉱泉などで知られているように、微量の放射線は健康に良いとされてきたのも事実だ。
しかし、それは弱い放射線、もしくは使用用途を限定した場合に限られる。強烈なエネルギー放射でもある放射線は、DNAを傷つけたりして人体に有害な症状を引き起こすことで知られている。
実のところ、40億年を超す地球の歴史上、宇宙線として知られる放射線が常に降り注ぎ、それゆえに大半の期間、生物は地上に出ることは適わず、海中で進化を繰り返すに止まった。
放射能を遮る防壁の役目を果たした海から、生物が抜け出したのはオゾン層が作られて、有害な放射線を遮るようになって以降だ。特に地上にも植物が繁茂して、酸素が大気中に排出され、さらにオゾン層が厚みを増すと、地上に爆発的に生物が増えることとなった。
地球の大地に生ける生物にとって、放射能は未だ警戒すべき、目に見えぬ外敵なのだ。もちろん分厚い大気とオゾン層は、すべての放射線を遮ることは出来ないから、地上には常時微量の放射線が計測される。
厄介なことに、この放射線は宇宙からだけでなく、鉱物などからも放射される。特に火山が活性化している地域などは、この自然放射能が恒常的に存在している。ただし、微量なので有害とは言えず、むしろ鉱泉から引いた温泉を自然の治癒場として活用してきたほどだ。
なにが言いたいかといえば、放射能は人類が産まれる前から存在していたということだ。そして微量の放射能は、むしろ有効、有益に使うことも可能だということだ。
しかし、微量とは言えない強い放射能は明らかに生物には有害なものであるのも確かだ。そして、その放射能を完全に除去する技術を、我々人類は未だ持ち得ていない。だからこそ、私は原子力発電に対して、強い疑問を感じざる得なかった。
処理できないと分かっている放射性廃棄物を、いったいどうするつもりなのだ。それは再処理工程を得た使用済み核燃料も同様だ。更に付け加えるならば、恒常的に放射能を受けた鉄麹゙やコンクリートは、予想よりも疲弊が強く、耐用年数は通常の使用よりも短いらしい。
ということは、耐用年数を過ぎた原子力発電所を取り壊した場合に出る廃材、瓦礫にも残留放射能は強く残る。これをいったいどうやって処理するつもりなのだ。この疑問があったがゆえに、私は原子力発電に否定的であったのだ。
この疑問は、東日本大震災後も変わってはいない。ただし、石油の枯渇問題と、電力需要の世界的増大を考えると、当面は原子力発電を許容せざる得ないとも思っている。コストの問題もあろうが、代替エネルギーによる発電は、国家的課題だと認識している。
だが、一部の反原発論者が主張するような、原発の即時廃止は如何なものかと思っている。
現在、福島原発被害の影響を受けて、東北三県の被災地で生じた瓦礫の処理が問題になっている。あれだけ膨大な量の瓦礫は、被災地だけで処理することは不可能な以上、他の都道府県でも協力するべきだと思う。だが、放射能に対する恐浮艪ヲに、瓦礫の処理は遅々として進まない。
既に微量だと分かっている瓦礫でさえ受け入れるのを拒否する地方自治体は少なくない。もし、原発廃止を強行すれば、原発施設そのものから出る大量の廃材、瓦礫の処理は、いったいどうするつもりなのだ。
代替電源の確保の問題もそうだが、感情的な反対論は「とにかく、嫌なものは嫌」という妥協のない喚きに近い。放射能の処理も出来ないのに、これ以上放射能を発生させる瓦礫を増やしてどうする。枯渇する石油に代わる代替エネルギーの確保はどうなる。
原発の即時停止にせよ、撤廃にせよ、放射能を出す廃棄物の処理を考えぬ愚論に過ぎない。未だ研究途上といっていい原子力の利用は、今後も継続するべきだし、これまで以上に放射性廃棄物の安全な処理方法を模索しなくてはならない。
原子力利用の最終点は、核融合なのだが、率直に言って私はその実現に疑問を持っている。核融合は一言で云えば、地上に太陽を創ることだ。一兆度に達する超エネルギーを運用し管理することなんて、我々人類の科学に可能なのだろうか。
だが、研究は続けねばならないだろう。そのためには膨大な費用が必要だ。日本の理工系大学卒業生のうち、少なからぬ人材がこの原子力の分野で採用されて、いわゆる原子力村を構成する。それは単なる研究、開発部門のみならず、資材調達、保管など多方面にわたる。
福島原発の事故以降、この原子力分野で働く人たちに急速に不安が広まっている。感情的な反原発運動の高まりが、その原因となっている。なにせ、彼ら反原発論者は論理を受け入れない。ただ、ただ、感情的に嫌なのだ。こんな人たち相手の話し合いは、時間の無駄でしかないとの無力感が、殊更原子力研究に携わる人たちを不安に追いやる。
はっきりと認識すべきです。いますぐ、原発を止めても放射性廃棄物はなくならない。代替電源が出来るまでは、原発の稼働はやむを得ない、と。
そして、嫌でもなんでも、今後も原子力発電に関する研究は続けるべきでしょう。地下深くに埋めようと、それが安全だとの保証なんてない。マスコミはいい加減、不安を増長させ、反原発論者に媚び売ることを止めて、冷静に現実を報じるべきです。
現代の原子力技術は、未だ発展途上のものだ。最大の欠点は、放射能廃棄物の処理が出来ないことだ。核分裂により多大なエネルギーを得ることが出来るが、その核分裂の副作用として多量の放射線が発生し、その放射線を受けた物質が放射能を帯びて更に放射線を生じるようになる。
この放射線は人体に多大な影響を及ぼす強烈なエネルギーを有する。そのエネルギーを使って癌の治療に役立てる場合もあるし、食料品の消毒などに用いられる場合もある。またラドン鉱泉などで知られているように、微量の放射線は健康に良いとされてきたのも事実だ。
しかし、それは弱い放射線、もしくは使用用途を限定した場合に限られる。強烈なエネルギー放射でもある放射線は、DNAを傷つけたりして人体に有害な症状を引き起こすことで知られている。
実のところ、40億年を超す地球の歴史上、宇宙線として知られる放射線が常に降り注ぎ、それゆえに大半の期間、生物は地上に出ることは適わず、海中で進化を繰り返すに止まった。
放射能を遮る防壁の役目を果たした海から、生物が抜け出したのはオゾン層が作られて、有害な放射線を遮るようになって以降だ。特に地上にも植物が繁茂して、酸素が大気中に排出され、さらにオゾン層が厚みを増すと、地上に爆発的に生物が増えることとなった。
地球の大地に生ける生物にとって、放射能は未だ警戒すべき、目に見えぬ外敵なのだ。もちろん分厚い大気とオゾン層は、すべての放射線を遮ることは出来ないから、地上には常時微量の放射線が計測される。
厄介なことに、この放射線は宇宙からだけでなく、鉱物などからも放射される。特に火山が活性化している地域などは、この自然放射能が恒常的に存在している。ただし、微量なので有害とは言えず、むしろ鉱泉から引いた温泉を自然の治癒場として活用してきたほどだ。
なにが言いたいかといえば、放射能は人類が産まれる前から存在していたということだ。そして微量の放射能は、むしろ有効、有益に使うことも可能だということだ。
しかし、微量とは言えない強い放射能は明らかに生物には有害なものであるのも確かだ。そして、その放射能を完全に除去する技術を、我々人類は未だ持ち得ていない。だからこそ、私は原子力発電に対して、強い疑問を感じざる得なかった。
処理できないと分かっている放射性廃棄物を、いったいどうするつもりなのだ。それは再処理工程を得た使用済み核燃料も同様だ。更に付け加えるならば、恒常的に放射能を受けた鉄麹゙やコンクリートは、予想よりも疲弊が強く、耐用年数は通常の使用よりも短いらしい。
ということは、耐用年数を過ぎた原子力発電所を取り壊した場合に出る廃材、瓦礫にも残留放射能は強く残る。これをいったいどうやって処理するつもりなのだ。この疑問があったがゆえに、私は原子力発電に否定的であったのだ。
この疑問は、東日本大震災後も変わってはいない。ただし、石油の枯渇問題と、電力需要の世界的増大を考えると、当面は原子力発電を許容せざる得ないとも思っている。コストの問題もあろうが、代替エネルギーによる発電は、国家的課題だと認識している。
だが、一部の反原発論者が主張するような、原発の即時廃止は如何なものかと思っている。
現在、福島原発被害の影響を受けて、東北三県の被災地で生じた瓦礫の処理が問題になっている。あれだけ膨大な量の瓦礫は、被災地だけで処理することは不可能な以上、他の都道府県でも協力するべきだと思う。だが、放射能に対する恐浮艪ヲに、瓦礫の処理は遅々として進まない。
既に微量だと分かっている瓦礫でさえ受け入れるのを拒否する地方自治体は少なくない。もし、原発廃止を強行すれば、原発施設そのものから出る大量の廃材、瓦礫の処理は、いったいどうするつもりなのだ。
代替電源の確保の問題もそうだが、感情的な反対論は「とにかく、嫌なものは嫌」という妥協のない喚きに近い。放射能の処理も出来ないのに、これ以上放射能を発生させる瓦礫を増やしてどうする。枯渇する石油に代わる代替エネルギーの確保はどうなる。
原発の即時停止にせよ、撤廃にせよ、放射能を出す廃棄物の処理を考えぬ愚論に過ぎない。未だ研究途上といっていい原子力の利用は、今後も継続するべきだし、これまで以上に放射性廃棄物の安全な処理方法を模索しなくてはならない。
原子力利用の最終点は、核融合なのだが、率直に言って私はその実現に疑問を持っている。核融合は一言で云えば、地上に太陽を創ることだ。一兆度に達する超エネルギーを運用し管理することなんて、我々人類の科学に可能なのだろうか。
だが、研究は続けねばならないだろう。そのためには膨大な費用が必要だ。日本の理工系大学卒業生のうち、少なからぬ人材がこの原子力の分野で採用されて、いわゆる原子力村を構成する。それは単なる研究、開発部門のみならず、資材調達、保管など多方面にわたる。
福島原発の事故以降、この原子力分野で働く人たちに急速に不安が広まっている。感情的な反原発運動の高まりが、その原因となっている。なにせ、彼ら反原発論者は論理を受け入れない。ただ、ただ、感情的に嫌なのだ。こんな人たち相手の話し合いは、時間の無駄でしかないとの無力感が、殊更原子力研究に携わる人たちを不安に追いやる。
はっきりと認識すべきです。いますぐ、原発を止めても放射性廃棄物はなくならない。代替電源が出来るまでは、原発の稼働はやむを得ない、と。
そして、嫌でもなんでも、今後も原子力発電に関する研究は続けるべきでしょう。地下深くに埋めようと、それが安全だとの保証なんてない。マスコミはいい加減、不安を増長させ、反原発論者に媚び売ることを止めて、冷静に現実を報じるべきです。