なに、この美味しさは・・・
ビックリしてしまうほど美味しいウドンであった。食いしん坊ではあるが、美食家には程遠い私が、今でも忘れがたく覚えているのが、高松駅の構内の立ち食いウドンだた。
あれは大学3年の時、現役部員として最後の合宿である長期の春合宿を三パーティーに分かれて四国を縦断するつもりだった。私のパーティーは、宇和島から宿毛を抜けて足摺岬まで170キロ余りを踏破する計画であった。
東京駅を夜行列車で発ち、明け方に当時2年生のYの実家のある姫路駅で豪華なお弁当の差し入れを戴き、腹いっぱい食べて、数時間後には連絡船で高松に着いた。ここで三コースに分かれ、我々は宇和島行の列車を待つ時間を持て余していた。
空腹ならば、ちょっと駅を抜け出して散策に行くのだが、なにせ満腹状態で動く気になれなかった。ところが一年生のNは、もう既に胃袋に隙間が出来たらしく、立ち食いのソバでも食べてきますと待合室を出て行った。
しばらくして、興奮した様子でNが戻ってきた。「ウドン、もの凄く美味いです。信じられません~!!!」と騒ぐ。そいえば、高松は讃岐うどんの本場だったと思いだした。まぁ、ウドン一杯ぐらいならいけるかと思い、Kと一緒に食べに行くことにした。
高松駅構内にある、なんでもない只のウドン屋である。ただ、香りが上品に思えた。
よく西はウドン、東はソバというが、私はあまり意識したことはない。近所にソバ屋もうどん屋もあったし、小腹が空いた時には食べに行くこともあった。正直言えば、ソバもウドンもそれほど好きではない。
不味いとは思わなかったが、あの出汁の匂いが鼻について嫌だった。味の素だか、ホンだしだか知らないが、化学調味料で香りだけを強調した出汁は、匂いがあまり好きになれなかった。ちなみに食べてる時には、それほど気にならない。
気になるのは、エレベーターの中とか、電車の中で漂ってくる出汁の匂いだ。あまりにきつすぎて、私は不快に思っていた。これは今でも変わらない。朝の通勤ラッシュの電車に、今さっき立ち食いソバを食べてきたばかりのサラリーマンがいると、10メートル離れていてもすぐ分かる。そのくらい、きつい匂いだと思う。
食べるものに好き嫌いが、ほとんどない私だが、あの出汁の匂いだけは好きになれなかった。だからこそ、高松駅の立ち食いウドン屋から漂ってくる、薄くてあっさりした感じのする出汁の匂いに驚いた。
そして、いざ目の前に出されたウドンに驚いた。なんだ、この薄味で透明感さえ感じる汁は。これが、いわゆる関西風という奴なのか。ウドンの麺も、さらっとして、つるりと呑み込めるくせに、しっかりとコシがあって好感が持てた。
これが私が食べた初めての関西版、いや、本場のうどんの味であった。空腹状態ならまだしも、ほぼ胃袋8割がた埋まっている状態で、美味しいと感じさせるのだからたいしたものだ。
四国には三週間あまり滞在した。さすがに合宿中はダメだったが、その後は可能な限り食べ歩きをして楽しんだ。一日一回はかならずウドンを食べていた。東京というか関東風のウドンだったら毎日は無理だろう。
その後、神戸、大阪と食べ歩いたが、美味であると同時に安価なのに感心した。ただ、さすがに最後のほうになると東京の味が懐かしくなったのは確かだ。でも、帰京してから、ウドンを食べたいとは思わなくなった。
ソバなら関東風の濃い味付けで構わないが、ウドンは関西風のほうが美味いと思う。例外はカレーウドンぐらいなものだ。残念なことに、当時の東京には身近なところに関西風のウドンを出す店はなかった。
その後、しばらく病に伏せたため、外食自体を手控えるようになったため、更に関西風ウドンから遠ざかった。やがて病が癒えて社会復帰する頃には、関西系のウドン店が東京にも進出してきて、あの薄口の出汁のウドンを食べることが出来るようになった。今じゃセルフ式のうどん屋も珍しくないほどだ。
まぁ、美味いことは美味い。でも、初めて食べた時ほどの感動はない。やっぱり本場、高松へ行くしかないかな。その際、表題の本がどれだけガイドブックの役割を果たすのか、地図がしょぼいのでいささか不安。
それでも一点同意できたのは、本当の讃岐ウドンはゆで上げた後、冷水でしめたもの、ってところでしょうかね。私もそのほうがウドンは美味いと思うのでね。