ヌマンタの書斎

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サイレント・マジョリティ 声なき大衆

2012-09-19 16:27:00 | 社会・政治・一般
おかしな報道に、思わず手が止まった。

夜遅くに帰宅して、シャワーを浴びて、ビールを飲みながら着替えていた時だ。ニュース番組のアナウンサーが「原子力発電所の即時停止を求める人の割合が50%を超えました」などと淡々と喋っていた。

んなわきゃ、ないだろう。

ヘンに思って、よくよくニュースを注視していると、パブリック・コメントによる意見聴取の結果だと分かり安堵した。そりゃ、そうだろう。ちなみに広く意見を求め、それを政治に反映させることを目的としているのが、パブリック・コメントという制度だ。

もっとも、現状だとパブリック・コメントは狭く深く濃いものとなっている。つまり自分の意見を正しいと信じているのに、なぜか多数派とならない苛立ちのはけ口がパブリック・コメントに向かわせる。

原発の稼働問題でパブリック・コメントを求めれば、そりゃ原発即時撤廃という正義に燃える反・原発派の方々がこぞって意見を出してくるのは当然であろう。さすがにニュース番組でも、あまりに偏った意見だとの認識はあるようで、その直後に電話による無作為のアンケートによる原発への賛否の数字を出していた。

無作為の電話アンケートでは、原発の即時撤廃は3割に満たず、逆にパブリックコメントでは少数派であった稼働率5%~30%程度が四割強であった。何のことはない、福島原発以前の原子力発電の比率に近い数字だ。

つまり福島原発事故以前の現状維持を望む声が意外に多い。さすがに過半数とまではいかないが、節電を強要されるかもしれない危機感が、放射能に対する危機感を抑えているのではないかと思う。

無理ないと思う。この夏は例年以上の猛暑であり、おまけに雨が少ないので殊更暑さが堪える。クーラーなしで暮らすのは、かなり辛いはずだ。それゆえに、電力が安定供給されるありがたみを感じている人は多いのだと思う。

放射能は浮「。だが、原子力発電により国内の電気需要の3割を賄ってきたがゆえに、現在の原発稼働停止がもたらした電力供給不足に対する不安は大きい。だから、ある程度安全が確保されれば、原発の再稼働もやむなし。そう考える人は、けっこう多いように思う。

ただ、この人たちはパブリック・コメントに意見することもなければ、首相官邸前に集まるようなこともしない。自分の意見を声を荒げて主張するようなことはしない、いわばサイレント・マジョリティなのだ。つまり、声なき多数派。

多数派(マジョリティ)と断言するには、いささか根拠が弱いが、私の実感では相当数に上ると思われる。原発事故に対する不安は持っているが、現在の生活を考えれば、ある程度の原発再稼働は致し方ない。でも、それを口に出すと波風立つから黙っている。

そんなところではないかと思う。

私自身が、日常ではそのような態度をとっている。先だってもある飲み会の席で、一人熱烈な反原発の立場を鮮明にしている方と同席したが、出席者の大半は軽く流して酒の席のたわいない会話として処理してしまった。

はっきり確認したわけでもないが、私も含めて大半がサイレント・マジョリティだったのだろう。

広く意見を聴取して政治に活かす場であるはずのパブリック・コメントだが、現状では熱心だが少数の政治的意見を吸い上げて、ガス抜きする制度に堕しているように思う。

さすがに反・原発に好意的なマスコミでさえ、パブリック・コメントの問題には気が付いているようだ。もっとも、この制度を活用した結果としての過半数が原発ゼロを支持していると結論を下して、原発即時廃止を口にする反・原発論者もいるようだ。

ちょっと困った制度だと思うぞ。断言しますが、国民の過半が即時原発撤廃に賛成はしていないと思いますよ。
コメント (6)
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