海外から日本を訪れた方が、いずれも驚嘆するのが電車が時間通りに運行されていることだ。
我々日本人からすると当たり前のことに思うが、海外暮らしを経験した人は、日本人がきわめて時間に厳格であることを痛感するそうだ。
もっとも、日本人が時間にうるさくなったのは、それほど昔のことではない。明治維新以降、時計が普及してからだと云われている。つまり、江戸時代までは、それほど時間に厳格であったわけではない。いや、厳格な時間を示すものがなかった。だから、時間に関しても今よりはるかに鷹揚であったはずだ。
しかし、西欧から持ち込まれた機械式の時計がすべてを一変させてしまった。およそ日本人ぐらい時間に拘る民族も希だと思う。他にはアメリカのビジネスマンか、ドイツくらいで、西欧、アジア、アフリカ、南米と世界各国を見渡しても、日本人ぐらい時間にこだわる国はない。
ただ、ドイツ人の場合原理原則にこだわる結果としての時間であり、アメリカの場合は効率第一ゆえの時間であるように思う。その点、日本人は時間を神様からの預かりもののように大事にしたがる。
自分自身、顧みても何故にこれほど時間にこだわるのか、いささか理解しかねる部分はある。おそらく、子供の頃から躾けられた成果であり、身体に沁みこんでしまった躾けであるからではないかと思う。
時間に厳格であることに矜持を覚える一方、時間の奴隷と化しているのではないかと思うこともある。時間に囚われなければ、多くのストレスから解放される気もするが、時間に拘束されねば自堕落な自分に退化する恐れも感じている。
そんな悩みとは裏腹に、電車が時間通りに来ることを当然に思い、時間が守られないと苛立つことも止められない。
そんな日本ならではのミステリー小説が、表題の作品だ。もはや古典といっていいものだが、今読んでもそのアリバイの巧妙さは面白い。同時に、こんなアリバイ作りは日本でしか出来ないとも思う。
何度か映像化されているようですが、もし原作を未読なら一度は読んでおくだけの価値はあると思います。
余談だが、日本では電車が朝の通勤ラッシュ時に2~3分置きに正確に運行されている。事故を起こさずに秒刻みの管理運営するのだから凄いと思うが、上には上がある。アメリカのダラス空港では、巨大なジェット旅客機が2~3分置きに離発着を繰り返す。
線路を走る電車と、滑走路を動く飛行機と同列には比べにくいが、これもまた凄い技術だと思いますよ。