goo blog サービス終了のお知らせ 

ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

牧羊犬シェップと困ったボス マージョリー・クオートン

2012-10-29 12:18:00 | 

犬と仲良くなるのは、わりと得意だ。

まず、犬の目線に立つことが大事。間違っても上から見下ろしてはダメ。地面に座り込むぐらいが丁度いい。ただし、犬の顔、とりわけ視線を合わせる時は注意が必要。

彼らは見知らぬ人間に対して警戒心が強い。目と目を合わせるという行為は、探り合いであり、挑発にもなりかねない。無理して笑顔を作る必要はないが、優しく声をかける必要はある。

意味なんて通じないが、敵対心のないことを声から判断させることが大事。犬に声をかけるなんてバカらしいと思うかもしれないが、案外と犬は聴いていますよ。意味は分からなくても、警戒心を緩めることは出来ると思っています。

私は「遊ぼう、遊ぼうぜ」と軽く声を鰍ッながら、ゆっくりと近づきます。初対面の犬の場合、まだまだ警戒しているはず。だから私はゆっくりと腕を差し出して、口元にもっていって、わざと咬ませます。

舐めてくる犬もいますが、大概は軽く噛み付いて、こちらの反応を伺てきます。少し痛いけど、それは顔に出さず、笑顔で優しく撫でてやると、大概の犬は警戒心を解いて、こちらに関心を持ってくれます。ここから遊びにもっていくのは簡単。

ただし、この腕を差し出す前に、よ~く観察することが大切です。犬が本気で噛み付いてきたら、人間の腕の肉なんて軽く引き裂けます。無言で鼻に皺をよせ、尻尾を軽く下げ、後ろ足を緊張させて跳びかかる姿勢をとっている時は、一度ゆっくり後ずさって様子をみるべきです。

唸っている時も同様ですが、無言の時のほうが危険度は高い。過去に見知らぬ人間から痛い目にあっているような犬は、なかなか警戒心を解きませんから、その犬が信用している飼い主などが一緒でない限りは、そのような犬には近づかないほうが無難です。

この見極めが出来ないと、けっこう痛い目に合うことになります。

ですが、飼い犬ならば人に慣れているはずなので、これほど警戒心が強い犬はそう多くないです。ほとんどの犬は遊ぶのが大好き。ただ、安心して遊べるかどうかこそが、犬にとっては問題なのです。

だからこそ、わざと咬ませる。

咬むという行為は、犬にとって大事なコミュニケーションの一つ。犬にとって軽く咬んでみて、それで怒らない相手ならば安心して遊べる。犬ってそう考えているみたいです。

更に付け加えるなら、番犬として専門の訓練士の調教を受けている犬は、他人とは絶対仲良くなりません。日本だと滅多に居ませんが、まれに見かけたことがあります。これはちょっと浮「ぐらいで、ペットではなく猛獣と捉えたほうが適切だと思います。

東京だと、外国大使館が多くある麻布や麹町界隈で、そのような犬を見かけたことがありますが、金属製の柵越しであるにもかかわらず、不安を感じるほどの威圧感を感じたものです。これは、犬をそのように躾けた人間の側の問題だと思いますがね。

でも、大半の犬は人間と遊ぶのが大好き。犬も人間同様、社会性の強い生物ですから、遊ぶ=コミュニケーションであり、きわめて重要な行為でもあるのだから当然です。数多ある野生動物のなかで、社会性が強い動物はかなりいますが、人間を仲間だと認識する動物は極めて少ないのが実情。

太古の人間たちは、よくぞ犬を見出したものだと感心します。もっとも、犬の側からしても、人間という極めて強い集団戦闘力を持つ生き物との共同生活を営むことで、相当なメリットを享受したのも事実でしょう。

偶に新聞などの紙面に、虐待されたり、放置された犬の記事を読むと胸が痛みます。彼らは数少ない人間のパートナー足り得る存在です。猫でもいいけれど、私としては一緒に散歩してくれる犬がいい。

歩き回るのが好きな私にとって、犬は絶好のパートナーとなってくれるはず。いつか、必ず犬を飼いたい。まだ私生活に余裕がないので我慢してますが、犬が寄り添う生活を待ち望んでいます。

ところで、表題の作品はアイルランドを舞台とした牧羊犬と、その飼い主家族の物語。深いテーマがあるわけでなく、盛り上がるエピソードが挿入されているわけでもない。たいして面白くもない平凡な毎日が綴られているだけ。

ただ、それだけ。でも、犬好きにとって、その平々凡々たる毎日こそが幸せの源泉であることは、ご理解いただけると思います。無理に読む必要もなく、強いてお薦めもしませんが、犬好きなら楽しめる作品です。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする