ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

徳州会に思うこと

2013-12-27 13:08:00 | 社会・政治・一般

光が眩しければ、その光の作り出す影はより濃くなる。

一代で日本有数の医療グループを築き上げた徳田虎雄は、まさに眩しすぎる光であった。その眩しさゆえに、影も濃い。その一端が今回の息子である徳田毅議員の選挙違反追及につながったと思う。

予め断っておくと、私は徳州会とは税理士としても、また患者としても係わりがない。だから好き勝手書かせてもらう。

私がはじめて徳田虎雄の名前を知ったのは、キリスト教の集いの後のお茶会であった。「医療に差別なし」を謳い文句に24時間診療、医師への付け届けなしを広言し、離島やへき地での医院設立に尽くしている凄い人物だと聞かされた。

その後、この徳田氏は政界に進出したが、九州の小さな選挙区で凄まじい贈賄合戦を繰り広げていると報じられたことを知り、なぜに政治家になりたがるのか不思議に思ったことを覚えている。

その理由が分かるようになったのは、私が仕事で医療法人等の設立業務を担当するようになってからだ。御存じの方もあろうが、病院等の設立は厚生労働省の許認可事業である。それは町の小さな診療所から全国規模の大病院に至るまで、お役所の権限に縛られる。

それだけではない。地域医療の保護の名の元に、地元医師会の秩序維持と利権も絡んでくるので、一筋縄ではいかなくなる場合もある。実際、私が手掛けた仕事でも、何度も県庁の医療課へ足を運び、説明しご理解をお願いし、書類を何度も書き直して医療法人の設立認可を頂いている。

決して大病院ではなく、単なる一人医療法人でさえ、かくも面倒くさい。まして徳州会のように閉鎖的な地方の過疎部へ積極的に病院を設立するような野心的な存在は、さぞかし反発を食ったと思う。

意外に思う人もいるかもしれないが、医師の世界は非常に保守的で、医師会などは新しい形態の病院の進出を煙たがる傾向が強い。その地域ではやっていなかった時間外診療とか、最新の医療技術などで患者を集める若い医師は、後でネチネチと嫌がらせを受けることがあるほどだ。

小さな診療所でさえ、この様なのだから徳州会病院はさぞかし抵抗を受けたと思われる。だからこそ徳田虎雄は自ら立候補して国会議員の座についたのだと思う。厚生労働省と地元医師会の強烈な圧迫に抗するには、やはり政治力が一番だし、既存の政治家に頼むより自ら先頭をきって戦いたかっただろう。

だが虎雄氏本人が政治家でいられた間は良かった。自らが難病で動けなくなり、その後継に息子を据えたあたりからなんとなくおかしくなった。かつては子供たちへは病院を継がせないと公言していたと記憶している。

しかし、自ら病に倒れ動けなくなったあたりから考えが変わったらしい。現在の徳州会を子供たちに継がせるつもりであることは明明白白である。それは自らの事業を継ぐのは、やはり血の繋がった子供だけだと思うのは、なにも徳田氏だけではない。

今回の徳州会への攻撃も、かつて虎雄氏を信奉し、グループの中核において活躍したが現在は排除された人たちの反撃なくしてあり得なかった。身内をあまりに偏重し過ぎてしまった弊害だと思う。

選挙違反を追及するのはいい。だがへき地医療に功績ある徳州会に救われた過疎地の患者は数知れず。なぜに徳田虎雄は政治に力を得ようとしたのか。自らが動けなくなったら子供にまで政治家への道を歩ませたのか。

ここを追及しなければ、徳田虎雄は死んでも死にきれないだろう。

失政続きの厚生労働省の医療行政があるからこそ、徳田虎雄は政治を目指した。今回の徳田バッシングを単なる選挙違反に貶めると、むしろ却って弊害を残す。

毎日お忙しいマスコミ様、とりわけ大メディアの新聞、TVでは、そこまで追求するお時間はないかもしれません。どなたか真の志をもつジャーナリストに、医療行政と徳田虎雄の確執を真正面から捉えての報道をお願いしたいものです。

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