20世紀において最も流行った思想の一つが平等だと思う。
なかでも男女平等ほど性質の悪いものはない。
断っておくと、私は機会均等という意味での平等なら強く支持したい。しかし結果の平等には断固反対する。女だからと言って、機会を与えないのはおかしい。チャンスさえあれば、それを活かせることだってあるからだ。でも男女が同じでなければならないのはおかしいと思う。
現実問題、高度産業化社会では男女差よりも、その個人の能力の差が重要となる。高度な訓練(学業や労働経験)を積んだ人材に、個人の能力差はあるが、男女の差異はないと思っている。
しかし、だからといって男女が平等な能力を持つとは考えていない。むしろ異なる能力を持つものだと認識したほうが、より効率的に人材を活用できると考える。
実際、男女の能力にはかなり違いがある。例えば地図の認識能力は男性のほうが優れている。平面の地図から実際目にしている風景を照らし合わせて、現在位置を把握したりするのを苦手とする女性はかなり多い。
また車の運転でも違いがある。これは統計調査などからも分かっているのだが、交差点内での事故は圧倒的に男のドライバーが多く、逆に女性は少ない。これは男性が直線方向に視野を向けがちなのに対し、女性は広く視野をとる傾向が強いためだ。
ところがこれだけよく見ているのに女性は概ね縦列駐車は苦手だ。ハンドルの動きと車の動きの連動を把握したうえで、周囲の状況に合わせて車を適切な位置に動かす縦列駐車は、だいたい男性のほうが得意である。
もちろん訓練を積めば、このような違いはある程度解消できるが、統計値でみるとはっきりとした傾向が出てくる。同じものを見ているはずなのに、なぜか男と女では見ているものが違う。
この違いはかなり顕著で、パーティや会合などに顔を出すと、男性はそこで何が行われ、何が決まったかなどは良く認識している。しかし、誰が出席し、その時どのような服装で、どのような態度でいたかはまるで覚えない。
ところが女性は、誰がなにを喋り、誰と集まり、どのような雰囲気であったかを瞬時に把握する。当然のように服装のチェックも厳しく、かつ人間関係まで推察する慧眼ぶりを発揮する。
何故にこのような差異があるのか。この疑問に科学的アプローチで挑み、それを難しい用語を避けて分かり易く解説したのが表題の書だ。かなり売れた本であり、いろいろ物議を醸したようだが、概ね受け入れられたと思う。
しかし、未だに男女平等を結果の平等の観点から美化する人は少なくない。
もっと現実を見ろと言いたい。男と女は違う、違って何が悪い。違うからこそ惹きつけられる。違うからこそ、互いの共通点を大事に出来る。現実にそぐわぬ平等は、むしろ人を不幸にすると私は思うぞ。