ヌマンタの書斎

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晩年になると

2014-01-30 11:57:00 | 社会・政治・一般

先日のことだが、船井総研の創設者である船井幸雄氏の訃報が伝えられていた。

守秘義務が絡むことなので書けなかったが、私は昨年には危ないらしいとの噂を聞いていた。だから訃報に驚くことはなかったが、改めて考えさせられる人物である。

私は普通の税理士であり、コンサルタントを名乗ったことはないが、仕事のうちにコンサルタント的な部分があることは自覚している。だからこそ、国産のコンサルタントの草分け的存在でもある船井氏には興味を持っていた。

コンサル業界というのは、大半が外資、特にアメリカ系のコンサル会社が主流を占めるのだが、船井総研は純国産のコンサル会社として初の上場を果たした大物である。

その仕事は恐ろしく間口が広く、駅前の食堂のレイアウトからメニュー作り、パチンコ屋の新装開店のャXターと、小さなお店から大規模店舗に至るまで広範囲に及ぶ。ある意味、極めて日本的なコンサル業務を行ってきた会社が船井総研であり、極めて興味深い仕事ぶりであった。

ただ、関西はいざ知らず関東では税理士業界とはあまり友好的な関係にはなかった。詳細は省かせてもらうが、法律で認められた独占業務である税理士業務に強引に入り込んできた経緯があるため、私の周囲では評判はあまり芳しくない。

その一方で、私は幾人かの経営者から船井氏のコンサルの成果を誇らしげに語られた経験があるので、その実力は認めざるを得ないとも思っていた。実際、船井氏の熱烈なファンはけっこう多い。

ところが、船井氏を嫌う経営者も少なくなく、その悪口も聞いていたので評価の難しい人物だと思っていた。私自身は直に船井氏の会ったこともなく、講演等で話を聞いたこともない。ただ、著作は何冊か読んでいた。

白状すると、その著作に対する評価はあまり高くはない。以前このブログでも取り上げた「100匹目の猿」もそうだが、なんとなく口先の上手い人との印象が拭えない。船井総研のコンサルの成果をいくつか見てきて、その成果を賛美する経営者を知るだけに、著作の軽さが気になっていた。

何時頃からなのかは知らないが、オカルトとまでは云わないが、スピリチュアルというか精神世界への傾倒が目立ってきて、その主張を胡散臭く感じてしまうのだ。

誤解を招くと困るので、予め書いておくと、私は「失敗には原因があり、成功には運がある」と思っている。運というと、あまりに曖昧であり、論理的でも科学的でもない。

しかし、経験的に成功者には運があったと思わざるを得ないことが少なくない。運、あるいは精神的な支柱、もしくは宗教的なものは、意外なほど経営者に重視されることが多い。

実際、社内に神棚を設けたり、願掛けのダルマを置いたりしている事業者は多いはずだ。また祖先等への礼拝、参内、墓参りなどを欠かさない経営者も多い。私の経験的にも、そのような神事、祭事を大切にする経営者には優れた人が多い。

例えばある仕事の契約内容や、その契約に至る前後の経緯などを記した書面を見たいと頼むと、すぐに出してくれるような会社には神棚などが置いてあることが多い。契約書などの事務文書の保管、整理がしっかりしている会社は、先に挙げた礼拝、墓参りなどをしっかりとやっているところが多いと私は感じている。

思うに経営というものは孤独なものだ。いかに論理的にしっかりと構成された計画でも、売れるかどうかは市場次第。その決断は経営者一人の胸の内次第である。この孤独さを支えるものとして、神事や祭事に重きが置かれるのだろうと考えている。

これは経営に限ったことではなく、政治家や芸能人などにも数多く見られる。守秘義務があるので具体的な名称は出せないが、世間的に名の通った立派な企業には、占い師や名刹の住職などがアドバイザーとして活用されていることは決して珍しいことではない。

その意味で船井氏がスピリチュアルなど霊的なコンサルティングを志向するようになったのも、私からするとそう不思議ではない。

ただ、晩年の著作は少し行き過ぎかと思うこともある。でも、それを支持する読者が少なくなかったのも事実であり、私も否定する気はない。もっとも私自身は、そのような霊的な助言とかコンサルには興味はない。

実は晩年の船井氏の仕事というか、講演などを間接的にだが知る立場にあった。白状すると、あれあれ・・・と思ってしまったのは、あまりに精神世界への傾倒が激しかったからだ。もはや経営コンサルとは言えないのではないかと感じていた。

その仕事が病床から発せられたものであることも知っていたので、無理もないかもしれないと思っていた。詳しくは聞かなかったが、治療が難しい疾患であるらしかった。なれば精神世界への傾倒ぶりも分からなくもない。

私自身、経験があることだが、病床で治るかどうか分からない状態になると、どうしても精神的のものへの依存が増えてくる。それを非難するほど私も分からず屋ではないつもりだが、それでも批判的になるのは避けられない。だから晩年の船井氏に対しては、どうしても好意的な評価とはならない。

でも駅前の小さな食堂で、その店の机の配置や椅子のデザインにまで細やかな指示を出し、店主と一緒にメニューの考案にまで心血を注いだ、若かりし頃の船井氏の業績には、素直に評価したいとも思っている。

まったく評価の難しい人物だと思いますね。

コメント (2)
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