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ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

くもりときどきミートボール2

2014-01-21 14:57:00 | 映画

君のアイディアで世界は変えられる。

子供向け映画に苛立つのはどうかと思うが、上記の科白に正直少し苛立った。

予め断っておくと、子供向け映画としては十分楽しい。実際、私も笑ったし、楽しんだことは間違いない。にもかかわらず私が苛立ったのは、冒頭の科白「君のアイディアで世界は変えられる」の一言が原因だ。

子供には夢が必要なので、同行していた子供には何も言わなかった。実際楽しそうだったのだから、その気持ちに水を差すほど私は無粋ではない。

無粋にはなれないが、それでも忸怩たる気持ちは拭えない。アイディアが世界を変えることは確かにある。しかし、アイディアだけで世界が変わったことはない。

アイディアを実現し、それを世に受け入れさせるのは至難の道である。だからアイディアが生まれても、そのうち実現できただけでも数千件に一件あるかどうかであり、ましてそれが世の中に受け入れられて、世の中を変えるともなれば天文学的な確率でしかない。

ほとんどのアイディアは日の目を見る前に沈没してしまう。それが現実なのだ。ただ、子供には夢が必要なので、口には出さなかった。

私が苛立った理由の背景にあるのは、21世紀の現代文明が技術的な停滞期に入っているからでもある。18世紀に始まった産業革命は、火力と電気という新たなエネルギーを活用することで、飛躍的に生産力を伸ばした。

それは20世紀になり、石油化学製品を生み出すもととなり、科学の進歩こそが人類に最大の貢献をもたらすことを証明した。だが、次なるエネルギーの開発で停滞を余儀なくされた。

アインシュタインが理論構築した原子力エネルギーは、いわば地上に恒星をつくるようなもので、現時点でもまったく実現の展望は開けていない。現在ある原子力活用は、原子力のエネルギーの一部を使っているだけで、後は爆発させるしか出来ない。つまり未完成の技術なのだ。

はっきり断言しますが、ヨーロッパもアメリカも、そして日本も技術的な発展は限界に達し、産業は停滞している。だからこそ、未だ発展開発の余地があるアジア、南米、アフリカ、シナが新たな発展先として考えられている。

だが、現在急成長しているシナでさえ、欧米で生まれた産業革命の成果をそのまま模倣しているだけで、地球人類的にみるなら新たな発展は何一つない。シナは成長できるだけマシで、アフリカや南米は可能性を持ちながら、思うようには発展していない。

現時点で、新たなアイディアが世界を変える可能性は、ほとんどないと私は思っている。

割と勘違いしている人が多いが、コンピューターは確かに便利な計算機であり、その機能は今後も発展していく。だが、コンピューターは付加価値であり、元となる機械なりサービスを向上させることは出来ても、新たなエネルギーは産みだせない。事実、IT産業は国家を支える基幹産業にはなれない。

なぜなら、ITの本質は付加価値であり、付加する対象となる基幹産業あってこそ、その機能は活かされるからだ。例えば現在、農業にITを活かすことで、農業の生産効率を高めることが行われている。コンピューターによる温度、湿度、水量、照射量管理などは、従来にはありえないほどの農作業の効率化をもたらしている。

だが、これは農業という基幹があってこそであり、ITが農業に代わることを意味する訳ではない。ITの本質は、なにかの機能を高めることであり、そのなにかがなければ価値を持たない。

上記の映画は続編で、一作目では水から食料を作り出すアイディアを実現した発明家の青年のドタバタ劇であり、今回はその食料がモンスターとなって暴れ出す騒動が引き起こされる。その解決のために、再び発明家の青年が仲間とともに乗り込んでのドタバタ劇。

アニメーションとしては実に楽しい。だから子供を楽しませるには良いと思うのだが、私は余計なことを考えすぎて、あまり楽しめなかった。

原子力エネルギーの究極は、水からエネルギーを作り出すことだ。すなわち水素を核融合によりエネルギー転換することなのだが、未だ実験室レベルでも実現の糸口さえ見つかっていない。

水からエネルギーを作り出すアイディアは素晴らしい。でも、その実現には幾多の困難が控えており、最先端の研究現場で働く科学者からは絶望の溜息がもれるばかり。やはりアイディアの実現は、凄まじく困難な道程であるのが現実だ。

余談だが、私は現在の日本でマスコミが盛んに宣伝する脱・原発報道が大嫌いだ。不完全で有害な現行の原子力発電に否定的なのは分かるが、そのアイディアを実現することの困難さを、まるで直視せずに安易に騒ぎ立てるだけ。

子供向け映画ならば許せるが、現実の社会がそれと同じでは困る。子供には夢が必要だが、大人には冷静に現実を直視する勇気が必要だと思う。それなのに、大人がお子ちゃま理想主義に走っているのは、実に醜悪であり、現実問題迷惑でさえあると思います。

コメント
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