三鷹の裏番と呼ばれていたことは内緒だ。
それが新日本プロレスの闘魂三銃士の一人、蝶野正洋だ。私と年齢が近く、また世田谷に住んでいた私にとって三鷹は隣の市でもあったので、噂は聞いていた。
あの頃は暴走族が全盛期で、私の友人知人にも暴走族のチームに入っている奴らは何人もいた。高校の時のバイト先である牛丼屋の二階には喫茶店があり、そこは暴走族のたまり場と化していた。
バイト中の休憩時間に私もこの喫茶店で一休みしていた。顔見知りも多く、時たま雑談に加わることもあった。そんな時に聞かされたのが、三鷹の裏番の話であった。
なんでも普通科の高校の生徒で、昼間は真面目なサッカー部員で、夜になると暴走に加わる変り種らしい。えらくおっかない奴らしいが、筋を通せば話の分かる奴だとの評判であった。
あの頃の暴走族は中卒社会人組と、高校中退組で構成されていて、高校生は工業高か商業高が多かった。逆に普通科は珍しく、まして裏番(いうまでもなく、裏番長のこと)を張る根性者は珍しかった。
もっとも私が覚えていたのは、その名前が珍しかったからだ。最初、チョウノと聞いた時、どんな漢字なのか悩んだ。まさか数年後に、あの裏番のチョウノが新日本プロレスの若手レスラーとなっているとは思いもしなかった。
ただ若手時代は、私にもほとんど記憶にない。ただプロレス誌にヨーロッパで活躍している記事を読んで、そんな奴がいたっけ?と思った程度の印象であった。だから後に闘魂三銃士の一人としてデビューした時も、一番地味な印象は否めない。
新人の頃からスター性があった武藤、デブだが陽性な橋本が人気を博したのに比して、蝶野はあまり人気はなかった。が、当時からレスリングのテクニックは抜群であった印象がある。武藤ほどセンスはなく、橋本ほどパワーはなかったが、基礎的な技術が高いのは素人目にもわかった。
だが人気は出なかった。今にして思うと、外見が地味であった。筋骨たくましく、しかも手足のバランスもいい。しかし、真面目そうな感じがあり、それがやもすると暗い印象を醸し出してしまったからだ。
実際、その人柄は真面目であったらしい。父親は上場企業の役員であり、父の海外赴任中のアメリカで生まれ、家庭でも厳格に育てられたが故に、言葉使い、礼儀作法などはプロレスラー離れした常識人として知られている。
誰とでも喧嘩する暴れん坊でもなく、酒を飲みまくる酒豪伝説もなく、ましてや性豪ぶりが伝えられることもない至って真面目なプロレスラーであったがゆえに、地味な存在に甘んじていたのが蝶野であった。でも実力は本物であったのは、IWGPベルト争奪戦を連覇したことからも分かる。
彼が輝きだすのは、悪役側に回ってからだ。NWOのリーダーとして脚光を浴び、元々もっていた実力も相まって、ようやく人気プロレスラーとして独り立ちした。TVにも出演して、強面の顔を活かしての強烈なキャラクターを売りにして注目を浴びた。やがて映画やCMにも出るようになった。
蝶野は地味な雰囲気を、黒い革ジャンとサングラスで隠して、悪の雰囲気を醸し出すことで成功した。悪役レスラーを演じることで一皮剥けたのだろう。ドスの効いた声も、堂々たるヒールぶりに大いに役立ったと思う。
でも相変わらず、素顔の蝶野は真面目な人。ドイツで知り合った奥様とは、今もオシドリ夫婦として名高い。どんなに悪役をやろうと、その裏側には真面目な素顔が覗けてしまう。
私のプロレス観戦歴は長いが、不思議なのはチャンピオンとか頂点に立つ人気レスラーは、世間的な常識で判じるとその枠から外れてしまう人が多い。逆に蝶野や坂口征二のように社会人としての常識を備えた人だと、どういう訳かNo1にはなれない。
でも、真面目な坂口や蝶野がいたからこそ、プロレス団体は興業組織として成り立っていたのだとも思う。その意味で三鷹の裏番長は貴重な存在であったと思います。