ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

イルミネーション

2014-01-10 13:19:00 | 日記

夜の街を華やかに彩るイルミネーションの明かりは、確かに綺麗だが温かくはないと思う。

多分、バブル華やかし頃からだと思うが、商業施設だけでなく一般家庭でも庭や玄関など外から見える場所に、電飾を飾り付けることが珍しくなくなった。とりわけ近年はLED電球が普及し、彩りも以前よりも華やかになったと思う。

綺麗なのは確かだ。でもその煌めきに温かみは感じられない。いくら暖色系の色を使っても、本物の火の温かみには程遠い。本当に温かい炎には、必ず揺らめきがある。それは炎自身が揺れることでもあり、熱気の循環による揺らめきでもある。

大学生の頃、クリスマスや正月明けの休みを使って、東京近郊の低山に一泊してパーティをやっていた。たいがいが標高が1500メートル程度の低山で、無人の山小屋があるのが望ましいが、なければないで勝手にテントを張って泊まっていた。

皆で分担し、酒を運ぶ奴、ケーキを運ぶ奴と手分けして登る。水がないことが多いので、水運びが一番重い。無人の山小屋なので、騒ぎ放題である。西丹沢に行った時は、山小屋がないのでテントで一晩を過ごした。

ちなみに深夜ともなれば氷点下15度の世界である。そこへ旧式の綿布の家テントを張るのだが、フライなぞなく綿布一枚外は地獄の寒さである。

そんな時に活躍するのが、灯油式のコンロである。最近は携帯式のガスコンロが主流なようだが、私が学生の頃は、もっぱら灯油コンロが活躍した。このコンロを8人用テント内に二器設置して、料理から湯沸し、果ては暖房にまで活躍してもらう。

幸か不幸か、隙間風がよく吹き込む家型テントなので換気に問題はない。ただ寒いことは間違いないのだが、そこは脳みそ筋肉の馬鹿揃いなので気にしない。明かりは大型のキャンドルを灯していたが、これは気分は出るが、暖房としては力足らずだ。やはり灯油コンロがありがたい。

よく馬鹿げたゲームをやっていた。山手線ゲームからトランプまで、一晩中騒いだ。罰ゲームには、先輩の発案で上半身裸になって外に出て、雪の上を転がったり、埋められたりと大騒ぎ。確認するが、氷点下15度である。馬鹿でなければ出来ない。

でも、深夜ともなると馬鹿も一休みである。コンロで湯を沸かしつつ、大型のキャンドルの火の揺らめきに見入りながら、けっこう真面目な話をしていたものだ。人生のこと、異性のこと、就職のことと悩みは尽きなかった。

そんな話をするときは、絶対にキャンドルがいい。あの小さな炎がゆらゆらと煌めくからこそ、しんみりと話しが出来る。外で大きな篝火を炊くのもイイが、あれだと炎が大きすぎ、また背中が寒くて長話ができない。

やはりテントのなか、あるいは山小屋のなかでキャンドルの炎を見つめながら話すのがイイ。小さな火は明るくもなく、暖かさにも欠ける。でも、薄暗いからこそ話せる話もある。少し寒いからこそ身体を寄せ合い、互いの温もりを確認できる。

あの日の夜から数十年がたったが、未だあせることなくあの日の思い出は温かい。

夜の街を彩るイルミネーションは、確かに綺麗だ。でも、時には小さく揺らめくキャンドルの炎が与えてくれる温もりも必要だと思うこともあるのです。

コメント (4)
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