春はどうも、気忙しい。
春は新しい世界への扉を開ける季節でもあるが、同時に今までの世界に別れを告げる季節でもある。どちらかといえば、後者の印象のほうが強いのは、ただ単に出会うだけでは新しい世界の扉が開かれないからだ。
出会いというものは、人と人が出会い、交わり、時はぶつかり、相争い、また理解と和解の繰り返しにより深まっていく。だからただ単に春になり、新しい学校、新しいクラス、新しい会社、新しい仕事というだけでは、本当の出会いにはならない。
それゆえに、今まで狽チてきた人間関係などに別れを告げる季節としての春のほうが印象が強いのだと思う。
私が十代の頃、アイドル歌手として人気を博していた柏原芳恵のヒット曲に「春なのに」という曲がある。この歌の歌詞のなかに「春なのに、お別れですか」というフレーズが繰り返される。
この部分だけ、妙に記憶に残っているのは私自身、春になり幾多の別れを経験してきたからだと思う。仲が良かったはずの友人との疎遠であり、心から愛したはずの女性との別れであり、未来を約した筈のパートナーとの別れでもあった。
私にとっては「春なのに、お別れですか」ではなく、春だからこそ、別れの時期である。別れることで、新たな展開が拓け、新たな友人と知り合い、新しい人生が始まる。
人はいつまでも同じではいられない。仕事も家も友人さえも時の流れと共に変わっていくし、なによりも自分自身が変わらねばならない。そして自らの意思で、自身を変えていくのは難しい。
だからこそ別れは必要となる。別れてしまえば、自分も変らざるを得なくなる。本当は変わりたくない、変わりたくなんかない。でも変わらねばならないことも分かっている。別れはその未練を断ち切ることが出来る。
この春は、何に対して別れ、どんな出会いと変化が待ち受けているのだろうか。春はどうも気忙しくていけないな。