東南アジアの近代史のなかでも、特筆すべき国の一つが都市国家シンガポールである。
そのシンガポールの創立者であったリー・クアンユーが死去したのとの報が出ていた。果たして日本のマスコミは、この奇異なる政治家をどう評するのか、私は少し意地悪くみている。
リー・クアンユーは独裁者である。多数決の価値なぞ認めず、少数の賢者による効率的な政治により、小さな都市に過ぎないシンガポールをアジアの四大新興国に育て上げた独裁者だ。
開発独裁なんて言葉で誤魔化す論者は多いが、開発だろうと軍事だろうと独裁は独裁であり、本来は民主主義の対極に属する政治スタイルである。太平洋戦争の敗北後は、民主主義こそ至上の政治スタイルだと思い込んだ日本のマスコミの天敵といっていい存在であるはずだ。
しかし、この東南アジアの独裁者に対する日本のマスコミの舌鋒は鈍い。成功した金日成と評する人もいるが、いくら経済的に成功していようと独裁は独裁である。本当に民主主義が正しいと信じているのなら、本気で独裁者を非難するべきではないか。
いい加減認めるべきであろう。民主主義は絶対ではないことを。そして、優れた独裁政治は、時として民主主義をしのぐ政治となることを。それを認める気概もないくせに、闇雲に独裁政治は悪いと決めつける覚悟のなさがだらしない。
民主主義というものは、人類の歴史上かなり特異な政治形態であり、社会は人々の意思により作ることが出来、一定の共通認識を持つ有権者が自ら政治に積極的に関与することによって、その政治に対して責任を負うことを特徴とする。
有権者が投票という政治行動を誤れば、政治は悪くなるし、投票権という権利を持つ以上、その社会に対して一定の義務を有するとも解される。それゆえに、社会が悪ければ、それは政治家を投票により選択した有権者が悪いと責任転嫁できる。また投票権の対価としての義務には、国を守るために軍隊に参加することも含まれるとされる。
投票により政治指導者を選ぶなんて奇習は、古代ギリシャの都市国家の一部にしかなかった、かなり珍しい政治形態であることは間違いない。では、何故に民主主義が近代になって突如復活したのか。
それは西欧における商業活動の隆盛が契機となっている。儲けたいという欲望が、その妨げとなる政治との対立を生じせしめた。儲けたい商人たちは、税金を納めているのだから、こちらの言い分も聞いてくれ。もっと自由に儲けられるようにしてくれと云いだした。
一方、既成の身分階級と封建社会を維持した既成勢力(王、貴族、キリスト教会)は抵抗したが、儲けたいとの欲望をたぎらせた商人たちに煽動された市民たちの暴動に屈した。すなわちフランス革命である。
政治権力を握った欲望の申し子たちは、その権力基盤を守るため、暴動の尖兵たちを活用することを目論んだ。すなわち政治的発言権をやるから、この新しい国家体制を守ってくれた。かくして革命戦争は始まり、それは悪性の腫瘍のように欧州を席巻した。
従来の騎士や傭兵たちは、欲望の申し子たちの軍隊に抗しきれなかった。これを国民皆兵という。従来の選抜された専門兵士だけでは、この大量に俄か兵士たちには抗しきれなかった。銃器という引き金を引くだけで、簡単に敵を殺せる兵器の存在も大きいのは言うまでもない。
そして改めてこの民主主義という欲望の芳醇な香りに惹きつけられた兵隊の威力を認め、共和制のみならず立憲君主制という誤魔化しで、国家権力の強大化は近代化と称されて隆盛を迎えた。ここに欧米による帝国主義の堅固な土壌が生まれた。
以来2世紀にわたり民主主義国家が、世界の覇権を握ることとなる。民主主義=平和と思い込んでいる人は、認識を改めてもらいたい。国家を強くする手段として、民主主義はきわめて有効であったからこそ広まったことを。
しかし、民主主義という前提が機能するためには、一定の社会的条件があり、それに適合したのは西欧の国々を除けば日本だけであった。この条件を満たさない国では、むしろリー・クアンユーが採用したような国民生活を豊かにする開発独裁タイプの政治が有効であった。
これは台湾、韓国などでも立証されている。すなわち賢明な政治指導者の独裁的な政治のほうが、民主主義を単純に採用した国よりも経済的発展には適している。
賢明でない政治指導者の例は北朝鮮であり、単に民主主義があるだけではダメである例がフィリピンである。この現実を踏まえたうえで、改めてシンガメ[ルの成功と独裁者リー・クアンユーを評してみるべきだ。
私のみたところ、マスコミ様はそこまで踏み込まず、単なる現実主義者的な論評で誤魔化している。これが日本のマスコミの、そして有権者の知的レベルの現状なのだろう。
そんな日本の無様さを、あの世でリー・クアンユーは冷笑しているかもしれませんね。