ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

平成の三四郎

2021-04-02 11:44:00 | スポーツ

バルセロナ五輪の柔道金メダリストであった古賀稔彦氏が先月亡くなった。

まだ50代前半の早過ぎる死であった。最も死因は癌であったそうだから、無理もないかもしれない。

私の記憶に深く刻まれた試合がある。それが1990年の全日本柔道選手権であった。古賀氏はこの大会で、無差別級に出場した。

当時の古賀氏は、身長169㎝体重76キロである。無差別級に出場する選手はいずれも100キロ超であり、準決勝の相手に至っては150キロであった。

しかし「柔よく剛を制す」を体現した古賀稔彦は、超大型の選手を相手に勝ちつづけ決勝まで登り詰めた。相手は身長193㎝体重139キロの小川直也であった。体格は大人と子供ほどの差があったことは否めない。

この試合、無表情が特徴であった小川が、「ホントかよ・・・」と戸惑う様子が見て取れた。二倍近い体重と20センチの身長差は、普通であれば勝負にならない。

これは柔道に限らず、他の格闘技でも云えることだが、体格差は残酷なまでに格差を生み出す。にもかかわらず、この決勝戦は前半までは互角であったと思う。観客はもちろん、柔道関係者からも「もしかしたら・・・」を思わせる接戦であった。

しかし、圧倒的な体格差が徐々に古賀のスタミナを奪っていった。終盤、動きが落ちた古賀を見逃さず、最後は小川の技が決まっての優勝であった。この時、小川直也は間違いなく日本一の柔道家であった。

だが、私の視線を奪ったのは、倒れ伏したままの古賀の目から流れる涙であった。きっと古賀は自分が負けることなんって考えていなかったのだと思う。自分の強さを信じ、これまでの鍛錬の日々を信じ、己の柔道に確信を抱いていた古賀は、自分の敗北に口を噛み締めて泣くことしか出来なかった。

残酷にして壮烈な敗北を噛み締める古賀の姿は、私の心に深く刻まれた。平成の三四郎と呼ばれた古賀稔彦の最高の場面であったと私は信じている。

謹んでご冥福をお祈り致します。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする