時の流れは残酷だ。
身体を鍛えに鍛え上げたプロレスラーが演じる格闘演劇、それがプロレスだ。そのプロレスの申し子といって良いのがアントニオ猪木なのだが、その訃報が先週伝えられた。
猪木はプロレス最強を謳い文句に興行で大成功したが、皮肉なことにプロレスラー猪木の最盛期は、最強を言いだす前、具体的にはIWGPを打ち出す前だったと私は考えています。
猪木の強さは、その受け身の異常な巧さに起因しています。自分よりも一回り、二回り大きい外人レスラーの大技を受けて試合を盛り上げる。だが、アメリカに太いパイプを持つジャイアント馬場とは異なり、猪木の伝手では超一流レスラーは呼べない。
そこでシューターとして一定の評価があったカール・ゴッチの伝手で一癖、二癖ある外人レスラーを招聘していました。初期の新日本プロレスの目玉の外人レスラーは、そんな危なっかしいレスラーが多かった。
そのせいか、新日本のレスラーたちは受け身の上手い選手が多かった。なかでも猪木は相手レスラーの特徴を活かして売り出すのが抜群に上手かった。受け身の強さならば、坂口も相当ですが、彼はイマイチ演技力不足。強さだけなら猪木以上でしたが、興行は盛り上げてナンボ。
坂口がナンバーワンの座を猪木に認めていたのは、興行面を考えてのことだったと思います。ちなみに、あの頃(1970年代)で一番見応えがある試合は、一年に一回行われた坂口と猪木の一騎打ちでした。見ているだけで疲労を感じるような中身の濃い試合でした。
やがてタイガージェット・シンやアンドレ・ザ・ジャイアント、スタン・ハンセンといった大物を招聘できるようになり、遂にはハルク・ホーガンのような新日育ちとでも言いたい人気レスラーを生み出すと、世は正にプロレス・ブーム。
そして初代タイガーマスクの登場により大人から子供まで大人気の興行として大成功を納めました。はっきり言いますと、あのプロレスブームの実態は、新日本プロレスブームでした。
だが、その頃から猪木の実力に衰えが顕著に出てきた。あの長州の革命は猪木の支配力が及ばなくなったからこそ生まれました。そして猪木の後継者たりうる前田日明のUWF行きが、猪木の衰えを確定させました。
あの頃から猪木は名勝負を演じきれなくなり、ハプニング(舌出し失神事件)や外部(たけし軍団)の力を借りての興行に走るようになってしまいました。同時に猪木自身、「1,2,3、ダァ~」とか気合入れのビンタなどのパフォーマンスに走るに至り、挙句の政界入りでした。
最盛期の猪木を知る身としては、正直失望と諦めだったのですよ。とはいえ、現在も新日本プロレスは日本のプロレスを支える大黒柱です。その礎を築いたのは、間違いなくアントニオ猪木でした。
謹んでお悔やみを申し上げたいと思います。