馬鹿と煙は高いところにすぐ登る。
だとしたら私は正に馬鹿そのものだ。子供の頃から高いところが好きだった。だから木登りは得意である。幸か不幸か東京育ちにも関わらず、わりと緑の多い場所で育ったので、木登りのターゲットとなる木には不足しなかった。
でも次第に私は木登りに満足しなくなっていた。なぜって、周囲には樹よりも高い建築物が沢山あったからだ。団地でもマンションでも、なぜだか屋上に昇れる建築物はあまりない。
学校ならば屋上で遊べたが、その屋上には高いフェンスが囲ってあり、私は満足できなかった。そのフェンスに登ろうものならば、確実に先生に叱られた。
危ないじゃないかと先生は言うが、私に言わせれば危ないからこそ面白い。でも中学の先生たちは腕っぷしの強い人が多く、怖くて逆らえない。だから校舎の屋上は諦めた。
その代わりに自宅近辺のマンションの屋上に上がり込んで、夜半一人で空を眺めて寝転ぶのが好きだった。商店街と飲み屋街を抱えた三軒茶屋の街の夜景は、遠目には綺麗で、見ていて飽きなかった。ただ、管理人に見つからないようにするのが結構骨だった。
この高いところから見下ろすのが好きな性癖が、やがて高校での山登りに繋がっていく。実際、夜の山頂付近から下界を見下ろす光景は、私の気持ちをひどく落ち着かせてくれた。
強く印象に残っているのは北海道は白雲岳近辺で見た旭川市の夜景、既に10日ちかい山暮らしだったので、ひどく郷愁にかられたものです。また東京は奥多摩の御前岳の避難小屋でクリスマスを楽しんだ夜、一人小屋を出てタバコを吸いながら見た眼下の寒村の灯火。そして冬の終わりに四国は宇和島近郊の公園に幕営した時、眼下に広がる宇和島の夜景。
夜の光景には、どこか心を寂しくさせるものがあり、孤独に癒されたいと思う時の特効薬でした。私は皆とわいわい楽しくやるのも好きですが、どうしても一人で静かに過ごしたい夜を切望する傾向があるのです。
そんな私でも何故だか高層マンションの上階に住みたいとは思ったことはありません。むしろ地階に近い方が望ましい。偶にならいいけど、やはり上から見下ろして生きる感じがあって、高いところに住みたいとは思わないのです。
更に付け加えるなら、綺麗な夜景は遠くから見るからこそ美しい。実際にそこを歩いてみれば、華やかな繁華街の裏の汚い面に気が付かざるを得ない。ゲロに塗れた酔漢を介抱するふりして財布を抜き取る奴がいる。酒にかこつけて暴力で欲求不満を解消する暴漢もいる。昼間の太陽の下では老女だが、夜のネオンの下ならば妙齢の美女を演じて暗がりに男を引き込む奴もいる。
私は夜景を高いところから眺めるのは好きだが、その下で行われている汚い現実も知っている子供だった。でも、その汚い現実こそが身近な存在であることも自覚していた。避けられないのならば、なるべく関わらないほうがいい。でも、知らんふりして生きるのも息苦しい。だから3階くらいに住むのが一番だと思っている。でも、高層に住みたがる人が多いのも分からないではない。一種の優越感を味わえますから。
そんな超高層マンションの一室で起きた殺人事件を、関係者の心理面から描き出そうとした宮部みゆきの実験作だと思えるのが表題の作品です。文章構成が一風変わっているので、いささか違和感はありますが、興味深い作品でしたよ。
だとしたら私は正に馬鹿そのものだ。子供の頃から高いところが好きだった。だから木登りは得意である。幸か不幸か東京育ちにも関わらず、わりと緑の多い場所で育ったので、木登りのターゲットとなる木には不足しなかった。
でも次第に私は木登りに満足しなくなっていた。なぜって、周囲には樹よりも高い建築物が沢山あったからだ。団地でもマンションでも、なぜだか屋上に昇れる建築物はあまりない。
学校ならば屋上で遊べたが、その屋上には高いフェンスが囲ってあり、私は満足できなかった。そのフェンスに登ろうものならば、確実に先生に叱られた。
危ないじゃないかと先生は言うが、私に言わせれば危ないからこそ面白い。でも中学の先生たちは腕っぷしの強い人が多く、怖くて逆らえない。だから校舎の屋上は諦めた。
その代わりに自宅近辺のマンションの屋上に上がり込んで、夜半一人で空を眺めて寝転ぶのが好きだった。商店街と飲み屋街を抱えた三軒茶屋の街の夜景は、遠目には綺麗で、見ていて飽きなかった。ただ、管理人に見つからないようにするのが結構骨だった。
この高いところから見下ろすのが好きな性癖が、やがて高校での山登りに繋がっていく。実際、夜の山頂付近から下界を見下ろす光景は、私の気持ちをひどく落ち着かせてくれた。
強く印象に残っているのは北海道は白雲岳近辺で見た旭川市の夜景、既に10日ちかい山暮らしだったので、ひどく郷愁にかられたものです。また東京は奥多摩の御前岳の避難小屋でクリスマスを楽しんだ夜、一人小屋を出てタバコを吸いながら見た眼下の寒村の灯火。そして冬の終わりに四国は宇和島近郊の公園に幕営した時、眼下に広がる宇和島の夜景。
夜の光景には、どこか心を寂しくさせるものがあり、孤独に癒されたいと思う時の特効薬でした。私は皆とわいわい楽しくやるのも好きですが、どうしても一人で静かに過ごしたい夜を切望する傾向があるのです。
そんな私でも何故だか高層マンションの上階に住みたいとは思ったことはありません。むしろ地階に近い方が望ましい。偶にならいいけど、やはり上から見下ろして生きる感じがあって、高いところに住みたいとは思わないのです。
更に付け加えるなら、綺麗な夜景は遠くから見るからこそ美しい。実際にそこを歩いてみれば、華やかな繁華街の裏の汚い面に気が付かざるを得ない。ゲロに塗れた酔漢を介抱するふりして財布を抜き取る奴がいる。酒にかこつけて暴力で欲求不満を解消する暴漢もいる。昼間の太陽の下では老女だが、夜のネオンの下ならば妙齢の美女を演じて暗がりに男を引き込む奴もいる。
私は夜景を高いところから眺めるのは好きだが、その下で行われている汚い現実も知っている子供だった。でも、その汚い現実こそが身近な存在であることも自覚していた。避けられないのならば、なるべく関わらないほうがいい。でも、知らんふりして生きるのも息苦しい。だから3階くらいに住むのが一番だと思っている。でも、高層に住みたがる人が多いのも分からないではない。一種の優越感を味わえますから。
そんな超高層マンションの一室で起きた殺人事件を、関係者の心理面から描き出そうとした宮部みゆきの実験作だと思えるのが表題の作品です。文章構成が一風変わっているので、いささか違和感はありますが、興味深い作品でしたよ。