ヌマンタの書斎

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つわものがたり第三巻 細川忠孝

2022-10-28 11:54:06 | 
戦いに勝つには情報が大事だ。

それは幼少時から骨身に沁みていた私であった。近所の白人の子供の場合、気を付けねばならぬのはタックルであった。あの大きな身体を地面に近いほど縮めて、いきなり全身でぶつかってくる。

今にして思うと、アメフトの真似事なのだろうけど、最初にやられた時は一発で吹っ飛ばされた。体格が同じくらいなら受け止められるかもしれない。しかし白人の子は大柄で、小柄な私では無理。でも後ろに下がってはダメだ。だから後ろ斜めに引いて、側面から当たって相手のバランスを崩す。

理屈は簡単なのだが、なかなか教わったとおりには出来ず、幾度も苦杯をなめている。馴れて、ようやく倒し方を覚え、背後に回って首絞めで勝てた時の嬉しさは今でも思い出せる。

引っ越した先の住宅街の悪ガキどもは、ある意味白人より性質が悪かった。とにかく卑怯だ。必ず群れて襲ってくる。手足を抑えられたら勝ち目はない。だから私は放課後、相手が一人になる帰宅間際を狙って逆襲して泣かせた。後ろから襲いかかって首を閉めながら引きづり回せば、大柄な子でも勝てた。ただ、家に近すぎると家族が出てきて邪魔をするのが難点だった。

再び転校した先では、堂々たるタイマンが好まれた。これは意外であったが、嫌いではなかった。汚い手を使わず、堂々と戦えば、負けても相応の立場を守れた。ただ、この頃から格闘技をやっている子供が出てきて、素人の私は負けてばかりいた。素人同士ならば、そうそう負けないが、見た事もない投げ技や絞め技に驚愕した。

この頃から自分の喧嘩の弱さを自覚するようになった。同時に相手をよく観察することの重要性を学んだ。学び得た情報を活かせば、強い相手ともそこそこ戦えることが分かった。ただ、私はとろいのか、その覚えが鈍かった。 

また運動部などとは無縁であったため、柔軟運動が苦手で身体が固かったが故に、内回し蹴りなんて理屈で分かっても、自分では出来なかった。あのあたりが限界だった気がして、次第に喧嘩をしない大人しい子になった。ただし短気なので、余計な喧嘩はしていたが、何故だか気が付いたら仲介役を任されることが増えて、自分で拳を振るうことはなくなった。

もうかれこれ30年近く、殴り合いはしていない。随分とヘタレた男に成り下がったが、社会人としては真っ当なのだと思うようにしている。でも、格闘技には関心はあるし、戦争についても関心を持ち続けてきた。

だからこそ、薩摩の侍たちの強さには注目せざるを得ない。九州自体、尚武の地であり、古来より武道は盛んであるが、如何せん中央から遠い。そのため情報がなかなか入ってこない。古代の大和王朝の頃でも九州の武の力は噂に上っていたという。だが、その実力が本当に知られたのは、やはり戦国時代末期であろう。

秀吉も九州平定にはけっこう苦労しているが、圧倒的な兵力差でかろうじて秀吉の戦国統一を認めさせたのだろう。でも、内心は正面から戦えば負けはせぬとの意地を押し隠していたと思う。実際、関ヶ原の戦いでみせた島津の引き際の戦闘の凄まじさは、家康にも強い印象を残したようだ。

しかし、なにより島津の凄さを世に知らしめたのは、慶長の役における撤退戦、泗川(しせん)の戦いであろう。既に秀吉の死により撤退を決めていた日本軍だが、明の将軍董一元は旗下に10万の兵隊をもってして日本軍の殲滅を狙っていた。

撤退軍の殿を務めた島津義弘は、わずか2千の薩摩の兵を率いて得意の釣り野伏戦法で、この明と朝鮮の連合軍10万を散々に打ち破り、堂々と撤退した。以降、薩摩の侍は鬼島津として怖れられるようになった。

少し意見すると、撤退する敵を追討する軍というものは勝ち意識が強く、早く凱旋帰国して恩賞を貰いたいものだと浮かれていることが多い。遠く朝鮮半島南部まで行軍した明の兵隊たちは、凄まじい戦意で襲ってくる薩摩侍との戦いなんぞ真っ平だったと思う。普通、撤退する側は負け組であり、追討戦は容易だと考えていたのだから、意外過ぎる薩摩兵の強さに辟易して逃げたのだと思う。

ちなみに董一元将軍は明に帰国後、降格処分を受けている。つまり明朝政府は事実上の負け戦だと評価したらしい。もちろん脳内世界一のコリアでは大勝利となっている。大好きな英雄・李舜臣は日本兵の矢を受けて戦死していますけどね。

それはともかくも、薩摩の兵士の強さは遠く大陸にまで鳴り響いた。当然、江戸時代になっても、その強さは伝えられ噂となっていたが、具体的な戦法はなかなか伝わらなかった。

幕末の政府側の私兵集団である新撰組は、江戸に居た頃から多くの流派と交流を結び、様々な流派に対応できる実戦剣法を目指していた。その新選組をして最も警戒さしめたのが薩摩の示現流である。

表題の漫画では前巻から引き続き薬丸自現流の使い手である田中新兵衛と、北辰一刀流の使い手で新撰組の藤堂平助との仮想試合を描いている。なぜに仮想かといえば、史実として田中と藤堂の切り合いの記録は残されていないからだ。

ただ、魁先生の異名を持つ藤堂だけに、京の街で田中と遭遇した可能性は0ではない。まァ私はないと思っているが、もし実際に遇ったのならば壮絶な切り合いになったと思う。

まァ、その結果は本作を読んで楽しんで欲しいです。
コメント
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