退職金制度がにわかに議論されるようになった。
私なりに思うところがあるので私見を述べたい。そもそも退職金は長年の勤務に対する功労金であると同時に、退職後の生活保障の意味合いがある。もっといえば、終身雇用を前提として、雇用中は安い賃金で働いてもらい、退職時に埋め合わせをする性格すら有する。
この制度は公務員を中心に大企業から中小企業まで幅広く採用されたが、終身雇用制度と同じく戦後に確定したものだ。それほど長い伝統がある訳ではない。
実際、明治時代や昭和初期の頃には、公務員でも途中退職、途中採用は珍しくなく転職は官民問わず当たり前だった。そのような時代では、退職金は功績があったもの限定の報奨金であり、現在のように当然視されたものではない。
だが、戦後とりわけ高度成長が退職金制度を育てた。勤務中は賃金を低く抑え、退職して初めて支払われるゆえに、賃金調整の意味を持っていた。それだけではない。退職金の有無、多寡が生涯賃金に大きな意味を成すようになると、退職した官僚OBたちが現職の官僚たちをコントロールする手段としての新たな役割が生まれた。それが天下り制度である。
日本は官僚により統治される国家である。官僚が社会に果たす役割は大きい。だが、現職の若手官僚たちの賃金は著しく低く抑えられている。特にキャリアと称されるエリート官僚たちは、その激務と仕事の重要性を鑑みてもかなり低い賃金である。
同じ東大を出ても、だいたい40代くらいまでは民間企業に務めた方が賃金は高い。50代になってようやく並び、官庁を退職して天下りをして退職金を数回貰ってようやく国を支えるエリートに相応の金額が得られるようになる。
言い換えれば、天下り先があってこその生涯賃金であり、その天下りを決めるのは退職したOBたちである。つまりもはや公的な権限を持たぬ退職官僚たちが、若手官僚たちをコントロールしてしまっている。
当然ながら天下り先は官僚たちが築き上げた制度に乗っかっているものであり、膨大な既得権を擁する。この既得権を犯すような制度改革を官僚OBたちは決して許さない。
後輩でもある官僚トップの事務次官を動かして、若手官僚たちが考えに考えた改革案を潰しにかかる。事務次官はすぐ先の退職後の生活を考えるとOBには逆らえない。天下りさせてもらえなかったら、住宅ローンでさえ完済は厳しい。まして豊かな老後など送れるはずもない。
かくして何の責任も権限もないはずの退職官僚が、政府の中核である若手キャリア官僚たちを縛り付ける。これで抜本的な改革が出来る訳がない。
若手のエリート官僚たちは、頭がイイだけに日本の問題点、改革すべき点などを包括的に網羅して、どうするべきかを真剣に考えている。だが、若手の情熱に水をかけて冷やしてしまうのが先輩官僚たちであり、その背後には退職官僚がふんぞり返っている。
この現実に絶望したエリートたちは、組織にいられなくなり、ある者は政治家をめざし、ある者は大手の企業に転職する。海外で研修を積んだ有能な人材になると、自ら起業して経営者として新しい人生を立ち上げる。
数千万円の退職金を何度ももらう老後の退職官僚(キャリア限定だが)を羨むよりも、もっと考えなくてはいけないことがある。幾人かの識者は勇気を奮ってこの現実を告発するが、如何せんマスコミの動きは鈍い。
大手のマスコミ様にとって、官庁の記者クラブは出世の最短距離であり、ここでミスを犯すわけにはいかない。官僚に嫌われる記事を書いて記者クラブを追放されたら社内の出世の階段から転落すること確実である。
政治家は政治家で官庁を敵に回すより、官庁に恩を売り予算配分のおこぼれに預かるほうが賢明だと知っている。
かくしてこのような情報は、発行部数の少ない雑誌や、根拠があやふやで勘違いも多いネット記事に限られる。敢えて書くが、拙ブログの記事だって明確な根拠を示していないことには留意して欲しい。
私の場合、職業上の守秘義務に縛られているから、そこに抵触しないよう難儀している。もし、退職したキャリア官僚の話を講演会等で聞ける機会があったら、是非参加してみて欲しい。曖昧にごまかしながら、問題の本質を突く彼らの優秀さを知ることが出来ます。決して言質をとらせぬ巧妙な発言が多いながらも、拝聴に値する価値ある情報が聞けると思いますよ。