今年三回目の入院は、ある意味後始末でもあった。
今年初めに心室細動により入院したが、これは心臓の心拍異常である。この原因は心臓内部に壊死した箇所があり、そのために心臓の脈動がブレてしまった。
これは再発率が高いため、二回目の入院ではICDという機械を体内に埋め込んで、心室細動を人工知能が判断して対処させることで突然死を防ぐ方法をとったわけだ。
ただ、これでは心臓内の壊死した箇所が残ってしまうので、今回の入院ではカテーテル手術でその壊死した箇所を焼き切ることにしたそうだ。
本当は6月に予定していたのだが、血液中の鉄分が少なすぎて出血が止まらなくなる可能性があったので、6月は入院手術は中止となっている。なので、今回は二度目のチャレンジである。
しかし、入院直前の血液検査でまたも問題が発覚した。主治医曰く「白血球と血小板の値が低すぎる」と。これもまた出血が止まらなくなる原因であり、感染症リスクを高める原因ともなる。
長い病歴を誇る私からすると別に珍しいことではない。20代の頃は外出を禁じられるほどに免疫力が低かったが、その判断基準が白血球と血小板であった。
でもまだ若い主治医からすると、医師として当然問題視すべき重要なことだと力説する。
厄介だ。なにが厄介かといえば、私が30年以上前お世話になったN医師は、一応名誉教授として名を残しているが、現在は実務に携わっていない。もうカルテも残っていないのだが、今の主治医にとっては殿上人にも等しい格上の方だ。無視は出来ないが、比較されるのは本能的に嫌らしい。
私がそのことに気が付いたのは、前回の退院時のカンファレンスの時だ。循環器科の教授はあまり気にしていないようだが、まだ中堅どころの私の主治医はけっこう気にしていた。
ここで変に意地を張られての手術の中止は避けたい。多少余裕がある今のうちに済ませておきたいのだ。だから私は慎重に、かつN教授の話は出さずに、やんわりと多少のリスクは覚悟の上なので、手術をお願いしたいと話した。
これ以上、手術を延ばされて繁忙期に食い込むことのほうが、私にとってはリスクが高いと思ったからだ。結局、血液内科の医師の意見を訊くことが妥協案として持ち出され、主治医とは微妙な緊張関係のまま入院続行となった。
幸いなことに、派遣された血液内科の医師とは円滑に問診を終えたせいか、好意的な意見が主治医の元にもたらされたようで手術決行が決まった。私としては、もうまな板の上の鯉である。
つまりどうにでもなれ、が私の本音だ。手術が失敗して死ぬのならば、それが私の終着駅だ。やらずに終えるよりも、やって結果を出したほうが後々後悔せずに済む。
手術はけっこう長丁場で、13時に手術室に入り、私が病室に戻ったのは18時過ぎだった。主治医が病室に顔を見せたが、安堵感よりも緊張感が高そうな顔つきであったと思う。もう手術は終わっているんだけどね。
だが、翌日は一転して笑顔で病室にやってきて、手術は順調であったと説明してくれた。ある意味、私の予想通りであった。
元々、この手術は主治医から積極的に推し進められた。医師にとって技術レベルの高い手術の実績は、なによりも重要な目標の一つだ。2月にICUに入れられた段階で既に複数の医師から、この手術をしたいと私の下に話が持ちかけられたほどだ。そして、その機会を入手したのが、今の私の主治医である。
ただし、絶対に失敗はしたくないとも痛切に思っていたはずだ。慎重なのは、その顕れだと私は憶測していた。自分でいうのも何だが、私はこの大学病院に30年以上通っていた。多少の裏事情は知っている。
大組織の中における医師の出世競争の厳しさは、断片的ではあるが患者であった私らにも伝わってくる。30年前、N医師は当時、第一内科の講師であり、組織内ではナンバー3の立場にあった。私の症例は珍しいものであったからこそ、N医師が担当となったはずだ。
幾度か治験にも協力したが、4回目の治験では悪い結果が出てしまった。もともと実験的な意味合いがあることは承知していたので、私は気にしなかった。でもN医師は相当に気を病んだらしい。以降、治験には参加させてもらえなくなった。もっともリスクの少ない微妙な治療の繰り返しとなり、最後は精神論になってしまったほどだ。
幸い私は成功例として医学雑誌に掲載されたと聞いている。そのせいだと思うが、私はかなりN医師から好待遇を受けていた。実際、医学部教授の名前の威力は相当であり、私は他の科を受診する際もN医師の一言で優先的に診てもらえたほどだ。
だから今回の手術に挑んだ主治医のストレスが相当なものであったと想像できた。おそらく手術後の循環器科の検討会などで好意的な評価を貰えたのが、笑顔の理由だと思う。
医療とは誰の為のものなのかという疑問がない訳ではない。しかし、このようなストレスの積み重ねが技量の高い医療を作り上げる一つの土台だと私は認識しているので、個人的には問題はない。
しかし、まな板の上の鯉としては、さばかれた後の評価までは気にしてはいられませんね。無事退院できただけで、あたしゃ満足ですよ。ね、K先生。